第3話
――(…………これからどしよ)
東条は丸まりながら一人考える。
数秒考えてから、別段纏まるはずもなくごそごそと携帯を取り出した。
SNSやネットニュースは、どこも謎のドブ球と溢れ出てきた化け物の話題で持ちきりだ。
あのドブ球は全国各地に現れていた。一部では既に自衛隊が派遣され、戦闘が行われているようだ。
親から着信があったことを思い出し、生存のメールを送る。
『隠れてる電話できないしてくるな』
返信はすぐに来た。
『あんた今どこにいるの』
『池袋』
『そっちはどう?安全?』
『安全ではない』
『私たちの区域は何も起きなかったみたいだから大丈夫だけどニュース見たら大変なことになってるよ。連絡つかないからお父さんが車で飛び出していった
(――っ)
けど区ごとに厳戒態勢が引かれてるらしくて追い返されてきたところ。
(――)
余裕ができたら連絡しなさい、自衛隊も出てるみたいだから助けが来るまでなるべく動かないで、あと、
絶対に死ぬなよ』
親からの心配とエールに、万感の意を込めて返信をする。
『うぃ』
一息ついて、携帯をポケットにしまう。
「…………死ぬかよ」
彼は誰にも聞こえないように、されど決意を込めて、己に言い聞かせた。
――隠れてから三十分が経過した。
未だ外から物音は聞こえてこない。そろそろ来てもおかしくないはずだが……、
そう思うが、一つ考え得ることがあった。
この階の途中にある八階はレストラン街だ。化物どもがそこで食料を貪り食ってても不思議はない。
東条は大した情報もない画面を、自堕落にスクロールする。確証のない推測も、無駄に使うスマホも、余計なエネルギーを浪費するだけだ。
小さな住処にも慣れてきた。
彼は再びスマホの電源を落とし、真っ暗の中目を瞑った。
――――あれから何分経ったのか、ふ、と自分のものではない、微かな呼吸音で目が覚める。
「?……っ」
理解するのに一拍を要したが、東条は自分の置かれた状況を思い出す。
そして、焦らず、耳を澄ます。
「はぁッはぁッはぁッ……っんぐっはあっ……はぁっはあっ――」
押し殺すように浅い呼吸を繰り返している。
(……人?……男か?)
どうやら声の主は人間のようだ。
東条か緊張に強張った身体を弛緩させようとした、
その時、奇声と激しい足音が緩んだ意識の隙間を殴りつけた。
「「――ッ!?――――――――」」
二人同時に息を潜める。
「ギャッギャッゲッ、グゲッ!!」「グガギャ、ギャッ」「ガギャッ!!」
近づいてくるそれは、明らかに人のものではない。そして最悪なことに、複数。
ペタペタと素足で歩くような音をさせながら近づいてくる。
(……)
声の近さと反響からして、トイレの中に入って来たのが分かった。
東条は無意識にいっそう息を潜める。
ゲギャゲギャと何か争うような口調、
――直後、連続した強打音が辺りの空気を打った。
「ヒッ!!?」(――っ)
名も知らないその人が漏らしてしまった些細な、しかし致命的な怯えの音は、その人ではない何かに確信と愉悦を与えてしまった。
「ギャアッ!!ギャアッ!!ギャアッ!!ゲァァァ!!」
「うああああぁぁぁぁ!!来るなッ来るなッ!!」
いっそう激しくなる強打音。もはや隠す気もない悲鳴。
そのバランスが崩れるのは、早かった。
ガキャッ 「あっ」
金属質の鍵が壊れる音と気の抜けた声が重なり、さっきとは違う、鈍い音が連続して響く。
「グガギャッ!!」
「あがッやめッ……やめてッ……やめてくだッぐぶッ――」
「ゲガッ!!」「ギッ!!ギッ!!ギッ!!」
ひとしきり殴り、うめき声しか聞こえなくなった頃、奴らは何か重いものを引きずる音と共に遠ざかっていった。
「――っはあっはあっ――」
全身の力を抜いた東条は、今更自分が息を止めていたことに気付く。
酸素を欲する肺に、しかし慎重に、音が出ないよう、慎重に、慎重に、空気を送り込む。
冷や汗が止めどなく溢れ、動悸が収まらない。
もしかしたら聞こえてしまうのでは、と怖くなり、必死に抑えようとする。
目と鼻の先で、自分の目と鼻の先で、人が『狩られた』。
無慈悲に、抵抗も許されず、一匹の獲物として、狩られていった。
次は自分の番かもしれない、たまたま見つからなかっただけかもしれない。あてのない恐怖が纏わりつく。
それからしばらく、一ミリも態勢を変えず、彼はずっと外で続く打音に耳を澄ましていた。
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