第2話

 

 「――ッ!?」


 東条は流れてくる獣の臭いと血の臭いで、一瞬硬直した脚を無理やり叩き起こす。即座に反転し、未だビビろうとする筋肉に発破をかけ全力で前に突っ走った。


 幸い信号は青のまま、走り出してすぐ車に跳ね飛ばされることはない。


 横断歩道の対岸の人達はまだまともに動けていない。


 異形が生まれ落ちている光景は現在進行形で見えているはずだが、悲鳴が聞こえずらかった人もいるのか、「なんだあれ?」と非現実的な光景を処理しきれていない人の方が多い。


「おいっ」


 対岸についた際人にぶつかり文句を言われるが、彼は構わず突っ込みまっすぐ進む。


 ここで些細なことを気にしたら必ず死ぬ。それだけは分かっていた。


 現に対岸についた直後から、


「グルㇽㇽぁぁあアアッ」「どちゅぅ」「ゲッゲッゲッ」「オオオォォォォオオ」「きゃあああぁぁぁあ」「ギィイィィィィ」「バシュッ」「ガアァァァァン‼」「ズッ」「ドちゃあッ」「ヒュルルルルル」「たすkッ」「ダァンッッ‼」「あっ」


 後ろから咆哮やら悲鳴やら爆発音やら、その他の聞きたくない音が迫ってきている。


(止まったら、死ぬッ‼)


 東条は駅の入口に入り、下り階段を十数段飛ばしで二回連続飛び降りる。そして半分転びながらも地下についた。




 地下では、地上で何かが起こっているのは分かるが、確認をするのはおっかないから、と留まって様子を見てる人が多かった。


「っつー」 

 彼は痺れる足首に顔を顰める。少々痛むが、問題はない。

 すぐに起き上がり、踏み込んだ。


 視界の端には、外から追いやられて階段を下ってくる大群が見える。その中に紛れて人を襲っている四足獣らしきモノも。


 鬼気迫る勢いで逃げてくる人間の波を見て、地下にいた者達も一斉に動き出した。


 数メートル進んだところで不意に、


 タタンッ


 と軽い音が東条の耳を打った。


 構わず進もうとした矢先、階段で見た四足獣が飛び出してくる。



 ……狼。体長は一メートル前後、体毛は灰色、目は黄土色で血走っている、そして何人殺してきたのか、牙と爪は血に濡れていた。


 狼は鼻をひくつかせ周りを見回してから、近くの女性に襲いかかる。が、隣にいた男性が殴り飛ばし、そのまま取っ組み合いになった。


 狼が出てきた場所は立ち入り禁止の外に繋がる上り階段だ。それを証明するかのように、たった今同じ所から新しい狼が二体飛び出し、それぞれ別の獲物に襲いかかった。


 東条が後ろを見ればすぐそこまで追われてきた人達が迫っている。このままでは挟み撃ちに合う。


「クっソがっ」


 彼は逃げ場がなくなる前に、左横に見えた大型デパート【ポルカ】の地下入口へ向けて走った。




 ――東条は直接二階へ繋がるエスカレーターを駆け上る。


 さっきまでいたポルカの地下一階は、地上と地下を繋ぐ経路でもある。いつどこで化物が雪崩れ込んでくるか分からないため、一刻も早くその場を離れなければならない。


 普段池袋へ来る時、彼はよくこの道を使っていた。それが功を奏し、階段やエスカレーターの場所は大体把握できているのだ。



 店内に入ると、浅階ほど、外から聞こえる音やただならぬ気配を察して不安な空気が漂っていた。


 大型デパートにはそもそも窓が少ないため、外を見る術がない。


 何かを感じながらも状況を確認する手段が何もないこの現状が、人々の不安を増長させていた。





 ――「ハァッハァッ――」


 七階まで来た彼は、一先ず歩きながら軽い深呼吸をして呼吸を落ち着ける。


 心臓が早鐘を打ち、耳まで響いている。緊張が薄まり、減速した瞬間に大量の汗とともに疲労がやってきた。


「――ふぅっ、」


 しかし、まだやることがある。


 彼は再び脚に力を込め、速足で目的の場所まで向かう。


 ポルカは、隣の【W:P池袋本店】と連絡通路で繋がれているのだ。そしてW:P池袋本店には、生活雑貨・日用品を扱わせたら右に出るものは【ドゥンキ】くらいしかいない【OFtN】がある。OFtNには何でもある。


 武器になるものだって、きっとある。




「スゥ~~フゥ~~~」


 東条は無理やり呼吸を落ち着かせ、滝のように出てくる汗を袖で拭う。


 幸か不幸か、十階を超えると地上の音はほとんど聞こえてこない。フロアには普段と何も変わらない、穏やかな空気が流れていた。


 それが自分の逸る気持ちとに明確なギャップを感じさせる。


 彼は着ているジャンパーを脱ぎ、腕にかけて店員の所へ直行した。



 案内された先に並んでいるのは十数種類の包丁。


 東条は手っ取り早く、一番高い物の中から『よく切れる‼』と宣伝文句の入ってるステンレス製の牛刀を選ぶ。続いて、盾として一番固そうな銀製のフライパンを手に取った。

 結構重いが根元を持てば扱える。          


 傍から見たら、フライパンを吟味する料理好きの一般男性。内実は、撲殺武器兼盾の取り回しを確認する一般男性だ。


 合計五万ちょい。かなりお高いが、この緊急事態、金に糸目はつけられない。


 会計の途中で、館内アナウンスが鳴った。


 『館内のお客様に、お知らせ致します。現在外で、不審者が暴れております、不審者は、凶器を所持している、可能性があります、誠に申し訳ございませんが、慌てず、当店員の指示に従い、行動してください。よろしくお願い申し上げます。繰り返します――』


 不安を与えないように所々ぼかしてはいるが、下の階で外を見れる場所にいる客もいるのだ、大した効果はないだろう。


 彼は会計を済ませ、トイレに行く。そこで包丁を抜き身の状態にしてポケットに押し込み、いつでも取り出せるようにした。

 フライパンはビニール袋に入れたまま持ち歩く。ポケットは多少破れるだろうが、この際しょうがない。


 トイレから出ても、館内アナウンスが流れている以外は大して変わりなかった。





 ――東条は汗ばんだ手で、ひんやりとした感触に力を込める。

 手の中が熱い、包丁の柄を握る手が異常に熱い。


 せっかく収まった動悸も、うるさいほどに響いていた。

 あの最初の光景を思い出し、また足が竦みそうになる。あれからまだ七、八分しか経っていないのだ。


 ......嫌な考えが過る。


 自分は本当に、襲われたら反撃できるのだろうか?

 奴等を前にして動けるのだろうか?

 そんな考えが頭の中をかき回してゆく、


(……アニメイトに来ただけだぞ俺ぁ……どうしてこうなった)


 彼は純粋な不満を心の中で吐き捨てる。


 今日は好きなライトノベルの発売日だった。クリスマスイヴに発売などふざけているにもほどがあるが、周りのリア充に負けず見事任務を達成した。


 矢先に、文字通りリア充が爆発し始めた。

 これはサンタからのプレゼントだったのかもしれないが、諸共一般市民を巻き込んだのはいただけない。いくらサンタが赤が好きだからと言って、そこら中真っ赤に染め上げるのはどうかと思うのだ。




 東条が下らないことに頭を回しながら歩を進めていると、目的の場所に着く。

 八階のレストラン街、外の景色を見れる場所だ。


 OFtNのある十一階に行く途中にも通った場所だが、店内の光景は然して変わっていなかった。客も店員も皆窓の周りに集まっている。


 一様にして悲愴な空気が漂い、中には泣いている者や、焦った様に携帯で誰かと話している者もいる。外からは何かのサイレンが聞こえ、逃げてきた自分からすれば、彼等の見たものが容易に想像できる。


 東条は上りエスカレーターに一番近い店を選び、すみませんと一声かけながら人垣の間を縫ってゆく。店に入るが店員には声もかけられない。

 やっとのこと最前列につき、眼下に見えたのは、


 比喩抜きの地獄絵図だった。





 赤い。


 夜の街に照らされる、道路を埋め尽くすほどの赤。


 人や車ががおもちゃの様に吹き飛んでゆく。


 殴り飛ばされ、群らがられ、貪られている。 


 正しく、それは蹂躙だった。


 強者による、弱者の搾取だった。



 ここからだと細かい所までは見えないのが救いか。もし見えていたら、この場所も恐慌状態に陥っていただろう。


 しかしそれも時間の問題だ。見えずらいと言っても、下は血の海で人間がミンチにされていることに変わりはない。


 今はまだ、現実を受け止めきれない感情が恐怖に勝っているだけ。あと少し経てば、嫌でも直視することになる。



 彼は化物共を注視する。


 (……ゴブリンだ)


 体表が緑っぽいので目立つ、そして恐らく一番数が多い。うじゃうじゃいる。巨大スクリーンに向かって何やら威嚇している様な姿も見えた。


 (狼に……デカいのが三体……)


 狼らしきシルエットの獣は、群れで行動をしているのが上から見ると分かる。


 それとは別に、人間、軽自動車、建物、ゴブリン(仮)、何でも踏み潰し殴り飛ばしているのが三体。異常なほどの筋肉の発達がここからでも分かる。




 東条が多種多様な化物を観察していると、下から、微かだが大勢の人間が階段を駆け上がる音が聞こえてきた。


 彼はすぐに状況を悟り、態勢を低くして人垣を縫ってゆく。何度も人とぶつかるが、歩みは緩めない。お互い生きてたらその時謝ろうと誓った。


 恐らく、遂に化物どもが侵入したのだろう。


 その時、店内に緊急避難警報と共にアナウンスが流れた。


 『不審者が店内に侵入しましたッ。お客様方は、係りの者の指示に従い、おちついて、避難して下さい。……繰り返します――』


 東条は汗で湿る己の武器を、離さぬように握りしめた。




「フッフッフッ――」


 彼はアナウンスを聞き流しながら、何度も何度も自分に言い聞かせる。


 いざとなったら全力で殺せ、躊躇うな、殺さなきゃ殺される。


 ついさっき命がけで逃げ延びて、彼は奴らの中に渦巻くものを垣間見た。


 そこに燻ってたのは、純然たる殺意。何の混じりけもない、真っ白で真っ黒な感情。


 呑まれてしまう方が簡単かもしれない。


 しかし、弱者として必死に背を向けたからこそ、生への欲が生まれた。


 人生楽しんだもん勝ちのこの世の中で、他者のせいで、したいことができなくなるなんて絶対にあっちゃならない。


 自分の欲望を満たせないほど、つまらなくてかったるい人生はない。


 自分は自分の為にある、ならば、その欲を全力で守ろうと、東条はころころ変わる己の心に誓った。



 ――バゴっ


 彼はOFtNの階に戻り、トイレに入って天井にある外しの鍵を殴り壊す。


 先ほどトイレに行った時、あらかじめ場所を確認しておいたのだ。


 そして壊れた鍵の破片を回収し、個室のドアをよじ登り空いたスペースに潜り込む。最後に登った痕跡をできる限り消した。


(せめぇ……きたねぇ)


 彼はベストポジションを位置取り、楽な態勢を作る。ハウスダスターである彼にとって、この環境はかなりきついものがあった。



 今回侵入した『不審者』の正体を知っている彼からすると、指示に従う気なんてさらさらない。


 店内が蹂躙されるのは時間の問題、人ごみによって動けなくなるのが一番怖い。


 東条は息を潜め隠れながら、フロア内に満ちていた慌ただしい空気と音が、段々と引いていくのを感じていた。

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