四年後

 俺はコンパウンドボウを片手に、もう片手は矢筒に添えて集中していた。

 呼吸を整える。一度目を閉じゆっくり開ける。

 目の前には、短い木の枝を持ったアスタルテが無表情で立っている。


「───」

「…………」


 アスタルテは、無表情のまま枝を三度動かす。

 右、左、背後。次の瞬間、俺は動く。


「───しゅっ」


 短く息を吐き、矢筒から一気に三本の矢を取り出し跳躍。

 魔力を目に、そして身体に通し身体強化──瞬間、世界が広がる。

 右。距離1500、糸に結ばれた葉。

 左。距離2200、枝に括り付けられた木の実。

 アスタルテの背後。距離1000、木の根元にいる蛇。


 俺は瞬間的に獲物を見つけ、ほぼノータイムで弓を射る。

 矢はほぼ同時に飛び、葉を吹き飛ばし、木の実を砕き、蛇の頭部を矢が貫通した。


「───」

「シッ!!」


 アスタルテが無言で石をいくつか俺に投げた。

 俺は弓を折りたたみ手首を反らす───すると、仕込みブレードが展開した。

 これはアスタルテから貰った暗器。暗殺用の武器。

 ブレードで石を叩き落し、折りたたんだ弓で残りを弾く。

 このコンパウンドボウは特別性で、折りたたむとロッドになる。


「最後」

「───」


 アスタルテは頭上に丸太を縦回転するように投げた。

 見た目以上の怪力に今さら驚いたりしない。俺は一瞬でコンパウンドボウを組み立て矢を五本矢筒から抜き、連続で射る。

 矢は丸太を貫通───残りの全ても命中した……ように見えた。

 丸太が地面に落下すると同時にアスタルテは言う。


「二発、外したな」

「……っく」


 アスタルテは丸太を拾い、俺に見せた。


全て最初に空けた・・・・・・・・穴に通せと言った・・・・・・・・はずだ・・・

「…………」


 丸太に空いた穴は三つ・・

 射った矢は五発。最初の一発が丸太を貫通し、残りの四本はその穴に通す予定だった。だが……二発は通せたが、残り二発は通せなかった。

 アスタルテは丸太を投げ捨て、手をゴキゴキ鳴らす。


「罰を与える……来い」

「……行くぞ」


 俺はコンパウンドボウを再びロッドにし、くるくる回転させて構える。

 罰とはすなわち組手。

 いつもそうだ。アスタルテは何かにつけて俺を罰しようとする。

 そのたびに組手をする。アスタルテは素手、俺は何をしてもいい。

 だが、この師匠から一本取ったことは、ない。


 修行開始から七年。俺は十五歳になっていた。


 ◇◇◇◇◇◇


 組手を終えた俺は地面に突っ伏していた。


「…………」

「はぁ、はぁ、はぁ……くそ、あんた強すぎる」

「当たり前だ。最強の聖女だった私に、たった七年修行したガキが勝てるわけないだろう」

「……はぁ!? あんた、最強の聖女って……」

「昔の話だ。それより、お前……もう十五になったか?」

「え、ああ……そういやそうだな」


 身体も大きくなり、筋肉も付いた。

 相変わらずエクレールたちには酷い目に合わされるが。

 今日も電撃を浴び、凍らされ、殴られ、変な薬を飲まされた……が、不思議とそこまで辛くなかった。


 さすがに七年経てば抵抗力も付く。と言いたいが、魔力の扱いを覚えた俺は、自然とエクレールたちの攻撃を魔力で防御できるようになっていた。

 アスタルテの修行の一つに、エクレールたちや村の聖女たちの嫌がらせを全て受け、決して折れるなという教えがあった。おかげで、肉体的に強くなり、薬物耐性も付いた。

 アスタルテは少し考えこむ。


「そろそろ、成人式か。セイヤ、お前の村に成人する聖女は何人いる?」

「えっと……二十~三十人くらいかな」

「なるほどな。ところで、村の様子はどうだ? 浮足立つ連中は多くないか?」

「…………そういえば」


 そういえば最近、村の聖女たちが騒がしい。

 新しい服を仕立てるために行商人を呼んで布を買ったり、仕立て屋を村に呼んだり、宝石商を呼んだり……やたら客が多かった。


「近々、村で成人の義が執り行われるだろう。聖女たちがめかしこんでいるのは、『聖女神教』や『聖女王国』の連中が来るからだ」

「……えっと」

「……そういえば、戦いの技術ばかりで教えていなかったな」


 アスタルテは説明してくれた。

 この世界には、『聖女神教』という、聖女を生み出した神を主神とする宗教があり、そこにいる聖女たちはこの世界の『宗教』司っている。

 そして、この世界最大の『アレクサンドロス聖女王国』という大国家がある。

 聖女にとってこの国と組織で働けるのは光栄なことらしい。

 そして、成人の義に聖女をスカウトしにやってくるそうだ。


「お前は何も聞いてないのだな?」

「……うん」

「…………よし。セイヤ、お前はその日に村を出ろ。聖女の祈りの効力も切れるしな……」

「え?」

「……なんでもない。それと……」

「ん?」

「…………いや、なんでもない」


 アスタルテは曖昧にほほ笑んだ。

 それは、俺が初めて見る表情で……嫌な顔だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 アスタルテと別れ、薬草籠を持って森を出た。

 村に入ると、住人の聖女たちの視線が突き刺さる。

 そして、幼馴染の一人……青いウェーブのかかったストレートヘアに、青いドレスを着た少女。十五歳になったフローズンが俺の傍に。


「セイヤさん♪」

「……フローズン」

「ふふ。今日も薬草採取お疲れ様です」

「ああ……」

「あん。そんな顔しないでくださいな。私、あなたに会えてうれしいのですよ?」

「───っづ」

 

 フローズンは、俺の腕に抱きつく。

 ビシッと腕に痛みが走る。

 凍り付くような冷たさだ。同時に、俺の持っていた薬草が凍り付いてしまう。


「あ~らぁ……ごめんなさいね、薬草がダメになってしまいました」

「……別にいいよ」

「……ふぅん?」


 俺はそっとフローズンから離れた。

 フローズンは青い目をスゥっと細め、俺の顔を覗き込む。


「セイヤくん、なんだか変わりましたわねぇ……昔は子犬みたいに可愛かったのに、今は老犬みたいに大人しい……」

「…………」


 あぁ───隙だらけだ。

 ほんの少し首を掴んでひねれば、簡単にへし折れる。

 殺せる。フローズンを。

 殺す?……小さいころから、俺をいじめてたフローズン。

 住んでいた小屋が凍らされ、凍死しかけたこともあった。

 川に突き落とされ、そのまま凍らせてやろうかと脅されたこともあった。

 死は、常に隣り合わせだった。


「───」

「ん~?」


 ブルリと、手が震えた。

 殺す。魔力を込めた拳で顔を殴ったらどうなるか。

 手が震え───。


「───気に入りませんね」

「がっ!?」

「あら、けっこう鍛えてますのね……お腹カチカチですわ」


 突如、フローズンが俺の首を掴んだ。

 ビシビシと喉が凍り付き、声が出ない。

 俺より身長が小さいフローズン。なのに……俺は片手で持ち上げられていた。

 

「なんだかセイヤくん……私を殺しそうな目をしていましたわ」

「が、がが……っ」

「ふふ、私……いえ、私たちが気付いていないとでも? あなた、あの森で薬草採取するついでに、わずかに流れる魔力の制御訓練をしてるのでしょう? ちょっと隙を見せれば私を殺せるとでも?」

「あ、ぐが……がっはぁ!?」

 

 フローズンは俺を投げる。

 俺はノーバウンドで吹っ飛び、近くの木に激突した。

 口から生暖かい物がこみ上げ、吐くと血だった。

 フローズンはゆっくり近づいてくる。


「セイヤさん、教えてあげます……♪」


 フローズンは、俺に顔を近づける。


「魔力による身体強化なんて、七歳の子供でもできますわ。聖女の魔力とあなたの矮小な魔力じゃ効果は雲泥の差……今まで黙っていましたけどね♪」

「…………」

「ふふ♪ 身体を鍛えて、僅かばかりの魔力を操作する術を覚えて、大きくなったら復讐しよう……なーんて考えいました?」

「…………」

「残念でした♪ あなたは死ぬまでこの村で飼われる運命。生まれたことが罪な『忌み子』なんですから……ね♪」

「…………」

「では、ごきげんよう。五日後の成人の義の支度がありますので……まぁ、あなたには関係のないお話ですが」

「…………」


 フローズンはドレスの裾を持ち上げ、歩き去った。

 俺は立ち上がり、凍り付いて割れてしまった薬草の入った籠を掴み歩きだす。

 途中……ニヤニヤした緑髪のポニーテール女、ウィンダミアと出会った。


「よぉ、元気か?」

「……ウィンダミア」

「いいこと教えてやる。フローズンはな……聖女村でも非力な方だ」

「…………」

「後でサンドバッグ頼むぜ。セイヤ」


 ウィンダミアはニヤニヤしながら去った。

 ああ、そうか……俺が身体を鍛えたり、魔力操作を覚えていることはバレていた。

 知ってて、何も言わなかった。

 こうやってバラしたとき、俺がどんな反応をするか見たかったんだ。

 俺は自分の小屋までの道を歩く。


「…………」


 確かに、ショックだった。

 でも……それ以上に、収穫があった。


「……五日後」


 フローズンは言ってた。

 五日後、成人の義があると。

 つまり……俺の出発も、五日後になった。

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