第693話 お出かけ前

 すでに始業時間を過ぎている。停めてある車は三台。黒い小型車は先月異動していった技術下士官の車。急な異動でパンクの修理の時間が無いため島田が直してから売りに行く予定のものだった。隣には銀色のかなめの超高級イタリア製スポーツカー。余りにも場違いな為、今のところいたずらはされてはいないが、いつかはされるだろうと誠もつい苦笑いを浮かべた。


 そしてその奥に最新型の赤いスポーツカー。そしてその隣には……、


「早く来い!」


 叫ぶかなめの姿がある。誠は仕方なく小走りでかなめのところまで急いだ。


「アイツ等はまだか?気合いが足りねえよ」 


「いや、これはあくまで休暇中のことで仕事じゃないですから……」 


 誠のいい訳に明らかに不機嫌になるかなめ。そのタレ目が殺意がこもっているように歪む。


「なんだ?同僚が行方不明なのに気にならないのか?オメエは。冷たい奴だな」 


「行方不明も何もちゃんと仕事は進めてるんだから無事なんですよ。やっぱり余計なお世話はしない方が……」 


 ここまで言って誠は言葉を飲み込んだ。下手に逆らえばただ機嫌を損ねるだけ。こういうときは黙っているに限る。


「余計なお世話かもしてないけどよう。やっぱりこういうとき心配してくれる人がいる方がいいと思わねえか?アタシは心配してもらった方が……」 


「私が心配してあげる」 


 突然後ろからアイシャに声をかけられてかなめはもんどり打って誠に抱きついた。その後ろではカウラがめんどくさそうに車のドアの鍵を開ける。


「あらー……朝から情熱的ね」 


「脅かすんじゃねえよ!ちゃんと一声かけてから声をかけろ!」 


「一声かけてから声をかけるって……どうやるのよ。やりかたが分からないから教えてよ」 


 いつものアイシャの減らず口。かなめはただ怒りをため込んでアイシャを睨み付けた。


「押し込まないでくださいよ」 


 182cmのアイシャが隣に座るとなると186cmの長身の誠はいつもよりさらに小さくなって後部座席に入り込まなければならない。


「文句を言わないの。男の子でしょ?」


「テメエがでかいんだ。いい加減にしろ」


「身長は培養ポッドを出た時から変わらないわよ」 


 アイシャがひねくれたようにかなめを睨み付ける。アイシャの鮮やかな瑠璃色の髪の毛を見れば確かに彼女が自然界で生まれた人間でないことは誰の目にも明らかだった。


 うんざりした表情でカウラが車を出す。静かにエンジンが回り、車は砂利道を動き出した。


「それにしても……かなめちゃん。吉田少佐の家は分かるの?」 


「アイシャ……西園寺もそこまで馬鹿じゃない」 


「カウラ……フォローするのか馬鹿にするのかどちらかにしてくれ」 


 カウラの言葉にかなめは複雑な表情を浮かべた。車はそのまま路地へと進む。東都から西に60kmの郊外の都市豊川。その下町を静かにスポーツカーは動き始めた。


 平日である。住宅街の人影はまばらで時折老人会の集まりでもあるのか同じバッグを持ったお年寄りがすれ違っていく。


「何かイベントでもあるのかしら?」 


「アタシに聞くなよ。市役所なりなんなりに聞けばいいだろ?」 


 アイシャは普段は見ないお年寄りの姿に珍しそうに目を向けている。誠はただ苦笑いを浮かべながら早く目的地に着くことだけを祈りながら小さくなってじっとしていた。


「しかしシャムが知らねえとは驚いたよな……」 


「シャムちゃんが吉田少佐の家を知らなかったの?まあたぶんいつも吉田少佐の方が迎えに行くんでしょうね。意外と吉田さんは紳士だし」


「紳士?あれのどこが紳士なんだ?紳士は玄関じゃなく常に壁を昇って進入するのか? あれはただの空き巣の出来損ないだ」 


 さすがの吉田もかなめのかかればただの空き巣に身をやつすことになる。苦笑いを浮かべる誠だが、すぐに大通りにでる交差点に車がたどり着いたので周りを見回した。


 いつも通り大通りには車の通りが激しい。営業車、トラック、バン、営業車、自家用車、バン。次々と通り抜ける車を見ながら誠はただ窮屈に座り続けていた。


「誠ちゃんそんなに向こうに行かなくても……ほら」 


 調子に乗ったアイシャが密着してきた。すぐに助手席のかなめが殺気を込めた視線で睨み付けてくる。


「何よ、怖い目」 


「別になんでもねえよ」 


 かなめの捨て台詞にあわせるように車はそのまま大通りを郊外へ向かうことになった。


「そう言えば吉田さんの家ってどこなんです?」 


 誠は当たり前の質問を当たり前の顔でした。不意に振り向くかなめ。明らかに不機嫌そうなそのタレ目にただ誠は冷や汗を流した。


「北上川町」 


 かなめの言葉から東都郊外屈指の豪邸ばかりが並ぶ街の名前が出て来たので、誠はただあんぐりと口を開けた。


「ああ、吉田少佐らしいわね。傭兵時代にかなり溜め込んだんでしょ。それにあの人はうちでも一番の高給取りらしいから……さすがというかなんというか」 


 別に驚くに値しないというように流れていく景色を見ながらアイシャがつぶやく。確かに考えてみれば当然のことかもしれなかった。下手な宇宙艇よりよっぽど高価な軍用義体を自前で用意する吉田の蓄えが半端なものと考える方がどうかしている。


 それに吉田の交際範囲には傭兵時代に場つなぎにしていた音楽関係のプロデュースの仕事のつながりもあることは誠も耳にしていた。最近はとんとそちらでの仕事はしていないと聞いているが、それにしても一度当たれば大きいのが芸能業界である。それなりに長く活動をしてきたらしいのだから、印税やその他の定期収入もあるのだろうかなどと誠の考えが次々と巡った。


「北上川町近辺なら……かなめちゃんの顔でなんとか情報を得られるんじゃないの?何しろ胡州帝国宰相のご令嬢ですもの。私達下々のものとは住む世界がちがいますから……うん」 


 自分で言った言葉に自分で納得するアイシャ。かなめはといえば聞き飽きたというように車窓を眺めたままだった。


「あのなあ、アイシャ。アタシはほとんど親父の仕事関係の人脈とはノータッチだ。確かにたまに領邦コロニー経営の関係で人に会うこともあるが、ほとんどは役人ばかりだぜ。経営者クラスはアタシに頭を下げても金にならないのは分かってるだろうからな。そんな暇があったら直接摂州コロニーの統治組合にでも顔を出すんだろ」 


 曇ったガラスに文字を書いては消しながらかなめはすげない言葉を返す。確かにかなめの言うとおり狭い下士官寮に彼女が移ってからも、彼女の統治する領邦コロニーの関係者がやってきたことは一度もない。第三小隊の小隊長の嵯峨かえで少佐が所有する泉州領邦コロニー群と比べれば少ないとはいえ1億近い人口の徴税権をを握っているかなめである。こういうときには彼女が遠い存在に感じられて誠はただ静かに黙り込んだ。


「このまま高速に乗るからな。暴れるなよ」 


 主にかなめを牽制するように一言言うとカウラはギアをシフトダウンしてそのままアクセルを踏み込み車をできたばかりのバイパスへと進める。


「なあに、この車も菱川のフラッグカーだぜ。多少暴れてもそう簡単にコントロールを失ったりしねえだろ?」 


「めんどうなんだ。止めてくれ」 


 かなめの茶々に苦笑いでカウラが答える。車はそのまま目の前の大型トレーラーに続いて高速道路の側道を走る。


「あれ……前の車が積んでるのは菱川の機材かしら?」 


「さあな。アタシの知った事じゃねえよ。ついたら起こしてくれ。寝るから」 


 それだけ言うとかなめはそのままシートを倒してきた。誠は狭い車内がさらに狭くなり思わず顔を顰める。


「かなめちゃんにはかなわないわね」 


 明らかに人ごとだというようにそれだけ言うとアイシャもまた誠の足下に長い足を伸ばしてきた。


「勘弁してくださいよ……」 


 バックミラーの中で苦笑しているカウラにそれだけ言うのが誠のできる唯一の抵抗だった。

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