第694話 上流の街

 カウラのスポーツカーは地元の豊川では目立つ車だが、北上川の高級住宅街の中ではどちらかと言うと地味な存在に変わる。


「……着いたのか?」


 誠はようやく目覚めたかなめが不機嫌そうな顔で振り向くのを見ながら苦笑いを浮かべた。


 高速ではかなめとアイシャはすっかり熟睡していて、まるで話を切り出すこともできなかった。運転するカウラが時折バックミラー越しに何かを語りかけようとするのは分かっていたが、アイシャが狸寝入りでないという保証は無い。二人ともただ何も言わずに風景が次第に都会的になっていくのを眺めているだけ。ただ無駄な時間を過ごしたというようにつまらなそうにカウラはハンドルを操作している。


「なんだよ……ったくいつ見ても気取った街だな 」 


 寝ぼけた頭を左右に振りながら眺めているかなめの一言。その一言がきっかけだったように突然ぱちりとアイシャが目を開いた。


「アイシャさん起きたんですか?」 


 誠の言葉にアイシャが目覚めたことを知ったかなめがめんどくさそうな表情で振り返る。アイシャはそのままむっくりと起き上がると大きくため息をついた。


「ここどこ?」 


「北上川だ。もうすぐ目的地だろ?」


 カウラの言葉にアイシャはようやく気がついたというように目を見開いた。 


「まあな、このままこの通りをまっすぐ行くと白壁の屋敷にぶち当たるからそこを右だ」 


 淡々とそう言うとかなめは口をつぐむ。その行為が少し意識的なものに感じられたようでアイシャがにやにや笑みを浮かべながら自分のジャンバーのポケットから携帯端末を取り出す。


「北上川……現在位置。中央白壁通り……突き当たるのは『摂州公東和別邸』。つまりかなめちゃんの家の別荘?」 


 予想通りの質問が来た。そんな感じでかなめは苦笑いを浮かべる。誠も重箱の隅を突くようなアイシャの態度にはさすがにかなめに同情したくなってきていた。


「悪かったな。うちのオヤジは外交官上がりだからな。それに東和は胡州とは因縁のある土地だ。時にはここに居を構えて交渉に集中する必要があるわけだ。その為の連絡事務所みたいなもんだな」 


「それなら大使館に一室設ければ良いじゃないの……っていうかさすが胡州貴族四大公家筆頭は考えることが違うわね」 


「別にアタシが考えたわけじゃねえよ。昔からそうなってるって話なだけだ」 


 相変わらずふくれっ面のかなめを見ながら誠はただ呆然と周りの高級住宅街を眺めていた。下町育ちの誠には本当に無縁に見える門構えが並んでいる。家の屋根が見えるのは希で、ほとんどが大きな塀しか道路からは見えない。その道路も豊川の建て売り住宅なら二軒分はあるような広さの歩道を持っていてさらに中央のこれも広すぎる路側帯にケヤキの巨木が寒空に梢を揺らしていた。


「本当にお金って言うのはあるところにはあるのね」 


 感心しながら周りを眺めるアイシャ。誠も通り過ぎる車が高級車ばかりなのに圧倒されながら目をちかちかさせつつ見物を続ける。


「あれで良いんだな?」 


 カウラの声で誠は正面を見た。目の前には本当に誠達の部隊の防壁よりもさらに高い白壁とその上には銀色に光る瓦屋根を載せた塀が延々と続いているのが見えた。


「本当に……お金持ちはいるものね……」 


 冷やかすのも忘れたアイシャがあんぐりと口を開けたまま左右に長々と続くかなめの実家の別邸の壁を眺めていた。


 右折して続く真っ直ぐな道。左手には延々とかなめの実家の所有物の屋敷の白壁が続いているのが見える。


「本当に……お金貸してよ」 


「なんでその話が出てくるんだ?」 


 かなめは苦笑いを浮かべるしかない。確かにこのただでさえ豪邸の並ぶ街にこのような巨大な施設を所持できること自体かなりの驚きでしかない。誠もただ呆然するしかなかった。


 そして数分の驚愕の後、ようやく視界の果てに白壁が終わりを告げるのを見てかなめ以外の一同はほっとため息をつくしかなかった。


 道は相変わらず豊川のとってつけた移動手段以外の意味を持たないそれとはまるで違うものだった。豪邸達がその存在を通るものに見せつけるために存在する花道。そんなもののように見えてきた。


「でも駅から遠いみたいだけど……ああ、みんな車を持ってるから平気なのね」 


 自分を納得させるようにアイシャがつぶやく。かなめはうんざりしたというように視界を車窓に飛ばす。


「次は警察署の角を右で……二番目の信号を左か」 


 カウラもかなめの立場を再認識したように瞬きをしながら意味もなく道順を口の中でもごもごとつぶやく。


 両側の豪邸が途切れてしゃれた雰囲気の商店が両脇に並び始める。アイシャは明らかに珍しそうにその店を眺めている。誠もまたこのような上品な店とは無縁だったことを思い出させられる。そう言えば大学時代にはこの近辺の出身の同級生とはどうも話が合わずに気まずい雰囲気の中で酒を飲んだことを思い出す。特に芸術家気取りが多い工学部の建築学科の連中とはそりが合わなかったのを思い出した。


「そこだよ」 


「分かってる」 


 かなめの言葉にカウラは不機嫌そうに交差点を右折する。すれ違う車は相変わらず高級車ばかり。そのまま同じようにしゃれた感じの先ほどよりは少し閑静な感じの並木道をカウラの車は進み、そのまま二番目の信号を左に入る。先ほどまでのとてつもない金持ち達の領分から抜け出たような少しランクの下がったような街並みにアイシャと誠は大きくため息をついた。


「ああいうところは私は駄目だわ。息が詰まるというか……洒落が効かないような感じがして」 


「そうだろうな。テメエの貧乏面には似合わねえや」 


 鼻で笑うかなめを睨み付けるアイシャだが、先ほどのかなめの別邸の巨大さを思い知っているので反論もできずにただ黙り込んで左右の明らかに特別注文されたと分かるそれなりに立派な家々に目をやってまたため息をついた。


 誠もアイシャと同感だった。豊川付近の大手の住宅会社の量産型建て売り住宅とはまるで違う趣のある家々。それぞれに設計事務所の技師が丹精込めてデザインに工夫を凝らし尽くしたのが分かるような家々を見て、ただただため息をつくだけだった。


「もうすぐだな」 


「こんな家が並んでるなら間違えようが無いわね。本当にお金のあるところにはあるものね」 


 アイシャはまた同じような台詞を口にしてため息をつく。ともかく公務員であるカウラ、アイシャ、誠にはとても住めるような世界でないことだけは車が進む度に思い知らされることになった。


「本当にお金持ちの街なのね」 


 感心したようにアイシャがつぶやいたとき車は急に路肩のコンクリートに右タイヤを乗り上げた。


「着いたぞ」 


 かなめの言葉に誠はまだぴんと来ずにただ呆然と周りを見渡した。目の前の打ちっ放しのコンクリートの表面を晒した奇妙な家屋が目を引く。立方体をいくつも組み合わせたようなその姿。ある部分は出っ張り、ある部分は引っ込み。明らかにバランスが悪そうに目の前の空間を占拠している。


「もしかしてあの家ですか?」 


「らしいだろ?吉田の旦那らしいや」 


 助手席の扉を開けながらにんまりと笑ってかなめは下りていった。アイシャが助手席を倒してそのまま這い出る。誠もまた狭い車内から解放されようと急いで道に飛び出した。


 閑静な住宅街。大通りからは遠く離れていて車の音もほとんどしなかった。


「じゃあ行くぞ」 


 かなめの言葉に誠達は目の前の奇妙な建物の玄関に向けて歩き出した。その建物の奇妙さに比べると玄関はそれなりに先進的な作りだがセキュリティーのしっかりした上流階級の家庭ならどこでも見かけるような普通のたたずまいをしていた。

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