第三章 かなめ、アイシャの罠にはまる

第139話 かなめ、アイシャの罠にはまる

「遅いじゃないですか!」


 フルーツポンチをつつきながら島田がそう叫んだ。アニメショップの向かい、有名チェーンの喫茶店の奥の方の席で島田とサラとパーラが手を振る。扉を押し開けたアイシャは島田の言葉に軽い微笑みで答えた。彼女は大量の漫画を、シャムは食玩の箱を三ケース抱えてその後に続いた。


「ずいぶん買い込むねえ」 


 隣のテーブルに一人座っているかなめはアイスコーヒーを啜りながら彼女の正面に腰掛ける二人を見ていた。誠は荷物を置いて椅子に腰掛けようとするアイシャを黙って見つめる。いつもならアイシャはここでかなめを茶化しにかかるはずだった。


 しかしそのような動きは無い。かなめがアイシャとカウラへのあてつけの為に明らかに際どい水着ばかり誠に見せてきたのは事実だったがそれで終わりだった。


 それより明らかに際どいアイシャが選んだ黒いビキニを見ながら、かなめがなぜかニコニコと笑っているのを見て、少し誠は不思議に思っていた。


「私もアイスコーヒー飲もうかしら。シャムちゃんはどうするの?」 


「アタシはチョコパフェ!」 


 そう言うとシャムの携帯端末からシュールな着信メロディーが店内に響いた。店に居た客達が一斉に誠達を見つめた。その中に軍の制服と同じものを着ているカウラがいるのがわかると、奥に居た女子高生のグループが顔を寄せてなにやらひそひそ話を始めるのが見える。


「ちょっと待ってね!」 


 慌てて立ち上がり通信を受けたシャムが店外に消える。ウェイターは真面目そうに水とお絞りを置いていく。


「私はアイスコーヒー、それにチョコパフェと……」 


 アイシャが促すように誠の顔をのぞいた。誠はアニメショップには行かずにかなめの相手をしていたが、つい喉が渇いてアイスティーを飲み干していた。


「僕もアイスコーヒーで」 


 誠のその言葉に安心したようにウェイターが店の奥に消えた。


「ごめんね、ちょっと小夏ちゃんから電話で」 


 シャムはそう言いながら戻ってくる。


「小夏か。そう言えばあまさき屋、今週行ってないよな?」 


 かなめが呟いた。その言葉にニヤリと笑いその動静を見守るアイシャの顔が誠の目に入った。


「給料日前だもんね。私もちょっと今月は……」 


 いかにも弱ったようにアイシャが答える。でもそれが演技であることは誠にも見破ることが出来た。ちょっと一杯引っ掛けたいという本心が彼女の顔には書いてあるのが誠にも分かった。


「趣味に金を使いすぎだ。少しは節約と言う事をしろ」 


 隣のテーブルからカウラが突っ込みを入れる。サラとパーラが大きくうなづく。それでもアイシャは何かを待っているようにじっとかなめを見つめていた。


「なんなら奢ろうか?」 


 ぼそっと呟かれたかなめの意外な一言が、一同を凍りつかせる。ただアイシャはガッツポーズをしかねないほどのいい笑顔を浮かべていた。


「俺のもですか?」 


 島田がそう言ったのを聞いて、かなめは我に返った。誠を見る、シャムを見る。明らかに自分の言葉が思い出されてきて、急にかなめは顔を赤らめた。もう後戻りは出来ないとその表情は覚悟を決めたものへと変わった。


「分かったよ!奢ればいいんだろ!奢れば!アイシャ!なんだその顔は!今月は免停でガス代浮いたからそれをだなあ……」


 空回りするかなめに爆笑をこらえるようにアイシャは手で口を押さえる。 


「私は何も言ってないわよ」 


 そう言うと落ち着いてウェイターが持ってきたコーヒーを受け取る。明らかに勝ち誇った表情がアイシャの顔には浮かんでいた。


「……まあいいか」 


 一人自分に言い聞かすかなめが居た。


「それにしてもさっきは本当にご機嫌だったわね。かなめちゃん」


 ウェイターからコーヒーを受け取りながらアイシャが呟く。


「そうか?今はすっかり気が重いがな」


「自分で蒔いた種じゃないの。それよりなんであんなに浮かれてたの?」


 アイシャの言葉にかなめの表情が誠からもわかるほど明らかに曇った。


「浮かれてた?」


「そうよ……まるで初めてのデートみたいじゃない」


「ブッ!」


 アイシャに言われてかなめはコーヒーを吹き出した。


「汚いわね……」


 かなめが手にしたポーチからティッシュペーパーを取り出す。しばらくむせていたかなめも目の前でこぼしたコーヒーを拭く作業をしているカウラと誠に向けて大きくため息をついたあとアイシャを睨みつけた。


「そんなわきゃねえだろ。アタシだって一応胡州にいた頃はちやほやされてたもんだぜ」


「かなめちゃんがチヤホヤされてたのはお父様が政界の重鎮だったからでしょ?それに胡州はお堅いところだから婚前交渉は御法度じゃないの?」


 アイシャの言葉にかなめは言葉を詰まらせた。そしてそのまま視線を誠に向ける。


「デートだなんて……カウラさんだっていますし、クラウゼ少佐や島田先輩もいるじゃないですか」


「別に俺は数に入れんでもいいけどな」


「私達はパーラの車に同乗しただけだし」


 すました表情で島田とサラがコーヒーを啜る。パーラもまた苦笑いを浮かべながらフラッペを口に運んだ。


「まあ……今回のは……あれだ、イベントだ」


 かなめはそう言うと一気にアイスコーヒーをストローですすり込んだ。


「イベント……という事は奢りの格も上げてもらわなきゃならないわね」


「なんでだよアイシャ!」


「だってイベントでしょ?思い出に残るようにしなきゃ」


 墓穴を掘り続けている。明らかにそう自覚してかなめは握りこぶしに力を込めて座っていた。


「じゃあ……今日は豚玉一人三つ!」


「違うでしょシャムちゃん!ここは寿司とか焼肉とか!」


 調子に乗って叫んだシャムをアイシャがたしなめた。


「おい、アイシャ。調子に乗るなよ。さっきはあまさき屋だから奢るって言ったんだからな」


 アイシャの食えない表情にかなめは苛立ちながらアイスコーヒーの最後のひと啜りを口に運ぶ。


「あまさき屋だけなんて誰が言ったかしら?私は今週あまさき屋に行ってないなあって言っただけよ」


「話の展開からしてそうだろ!」


 切れたかなめが机を叩く。一斉に店中の客が誠達に目を向ける。自然とその視線が集中する東和軍の制服とよく似た司法局の制服を着ているカウラがいかにも迷惑そうな視線をかなめに投げた。


「ともかくあまさき屋で決定な」


「じゃあ私もその線で妥協しましょう」


「奢ってもらう相手にその態度はなんだよ」


 奢ることがいつの間にか前提になっている事実に誠はアイシャの人の悪さを感じつつコーヒーを啜った。


「それじゃあ行きましょう」


 アイシャはそう言うと漫画を抱えて立ち上がる。一人まだ食べ終えていないシャムが一気にパフェを口の中に流し込んで立ち上がる。


「そんなに急がなくても……」


 誠の言葉にアイシャは軽く手を振っただけで店の出口へと向かう。


「チンタラしてると置いてくぞ」


 覚悟を決めたのか、かなめもその後ろを悠然と歩いている。様子をただ見守っていた島田達も突然の二人の動きに合わせるように慌てながら伝票を手にレジへと向かった。


「じゃあかなめちゃんごちそうさま」


「ここもかよ……」


 すっかり奢り慣れたかなめはアイシャから伝票を受け取りさらに島田の伝票も受け取って会計を済ませると車に向かうアイシャの後に続いた。


「いいんですかね……」


「給料の他に相当額実家から仕送りがあるからな西園寺は。いいんじゃないのか?」


 カウラはそう言うと誠の肩を叩きながら彼を追い越してアイシャ達に続いていった。

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