第112話 自決
銀色の一閃がその右肩から左腰に走った。腹から内臓を垂れ流して、操舵手はそのまま事切れた。
「塩水どころか鉛弾の歓迎か?俺の居ないうちにずいぶん胡州軍の歓迎は手荒くなったもんだねえ」
煙の中の見下すような嵯峨の視線と、彼らしい自虐的な笑みが硝煙の煙の中に浮かんだ。
傷一つない姿で嵯峨はそこに立っていた。
「貴様!なぜ!」
「近藤君。君はさっきまでうちの悪餓鬼達の戦闘を見ていなかったのか?あれが典型的な法術兵器の運用方法という奴のお手本だ。そして今あんたが見てるのは、それの白兵戦時の応用というわけだ。いい勉強になったな。感謝しろよ」
嵯峨は肩に愛刀『長船兼光』を背負い、胸のポケットからタバコを取り出し一服つける。
「安心しな。俺が興味があるのは近藤君だけだから。近藤君。部下を粗末にしてはいけないねえ。特に信頼できる部下は貴重だ。国を思うなら彼らは生きながらえる義務がある。そう思わんか?」
目の前にある現実を受け入れるべきかどうかためらっているブリッジクルーを余裕たっぷりにそのニコチンでにごっている瞳で嵯峨は見回す。
「なるほど」
近藤は口の中に溜まったつばを飲み込む。もはや雌雄は決している。嵯峨の瞳で魅入られた部下達はすでに銃を投げ出す準備をしていた。
「艦長!君は部下を連れて外へ出たまえ」
「しかし!それは……」
「我々の負けだ!全責任は私が取る!
近藤はヒステリックに叫んだ。艦長は海軍指揮の敬礼をすると呆然と立ち尽くしている部下を、一人一人、平手で正気を取り戻させる作業にかかった。
「近藤君。ここで親切な俺から提案があるんだが、聞いてもらえるかね?」
近藤の癇に障るような余裕のある笑みを浮かべながら嵯峨は切り出した。
「近藤君には今回の事件の責任をとる義務がある。そのことは理解してもらっているだろうが、俺も宮仕えの身だ。君がこれから司直の手に渡り、君がかかわったあまり表ざたに出来ない胡州のスキャンダルが明るみになって困る人間がどれだけいるか、俺もよく知っているつもりだ」
嵯峨は思わせぶりにつぶやく。彼の言うとおり、近藤が作り上げた遼州から胡州へ流れる資金の流れが司直の手に渡れば胡州軍に粛清の嵐が吹き荒れることは容易に想像できた。そうして胡州は同盟内部での発言権を失い、その権威が失墜することは近藤の望むところではなかった。
「何が言いたい……」
近藤は目の前の悪魔の契約を提案してくる男を最後の力を振り絞ってそうつぶやいた。この帰結は嵯峨にとっては最初から仕組んだ出来レースだったのだろう。返り血を浴びながらも平然として自分を眺めている嵯峨に、近藤はただ嵯峨の提案を聞く以外のことはできそうに無かった。
「怖い顔しなさんなって。君も少しは覚悟くらい出来てるだろ?」
悪党が悪事をなし終えた後に出る笑み。嵯峨の表情を今の近藤はそう読むことしか出来なかった。まさに憎むべき敵。そう思うとなぜか安心して力が戻ってくるのを感じる。
「そこで優しい俺はそこで三つの提案をしたいんだが、どうだろう?」
近藤は目の前の化け物に対峙するには自分がいかに非力な人間かということを感じていた。
「一つ目は腰にぶら下げている拳銃の銃口を咥えて引き金を引く。きわめてシンプルで効率のいい方法だ。簡単だろ?俺もそうしてくれると助かる」
嵯峨はそう言うとゆっくりとタバコに火をつけ、廊下から逃げ出そうとするブリッジクルーを見送る。
「二つ目はちょっと俺が仕事をしなければならんな。ここからそっちまで一気に跳んで、そのまま君の首を落とすという寸法だ。まあ確実に墓場へ秘密を持って帰りたいと言うならこの方法も悪くはないな」
「三つ目は?」
近藤は思わず叫んでいた。それでも嵯峨の余裕の笑みは消えない。
「君も誇り高き胡州海軍の将校だろ?なら言うまでもないんじゃないか?」
そう言って嵯峨は嘲るように笑う。かつて遼南で数知れない反政府ゲリラをなで斬りにしたと言うこの化け物。その矛先が自分に向いているというのに近藤の心は穏やかになっていく。敵ばかりでなく味方の死体と残骸で戦場を埋め尽くしてきた嵯峨にとって見れば、潤沢な資金を用意して同志を増やすなどと言う近藤のやり口など生ぬるくて鼻歌でも出るような事柄なのだろう。そして自分がどのような最期を迎えようと、目の前の悪党にはただの余興程度のものに過ぎない。そんな自分が胡州軍人らしい最期として選ぶもの。
「腹を切れと言うのか?」
嵯峨の笑みが狂気ともいえる色に染まる。
「分かってるねえ。さあ、どうする?吉田達が第六艦隊の使者を解放するまで時間はないぞ」
そう言うと嵯峨は吸い殻を足下に捨ててもみ消す。
「介錯はしてもらえるんだな?」
ゆっくりと短刀を引き抜く近藤の手には震えは無かった。
「焦りなさんな。刀を腹に突き立てて、横に引くところまで待ってやるよ」
嵯峨はゆっくりと近づいてくる、肩に背負った刀から血が滴り落ちているのが見える。近藤は静かに座ると、短刀をじっと見つめる。
「何か言い残すことは?」
嵯峨の言葉はまるで事務官のそれのように感情と言うものが感じられないものだった。おそらくこういった状況には嵯峨は慣れているのだろう。近藤は大きく息をして嵯峨を見上げた。
「遺書は執務室にある」
そう言うと近藤は自らの腹に短刀を突き立てた。焼け付くような痛みがこみ上げる。
「うっう」
息が漏れ自然と声が出る。腹からの痛みに短刀を握っていた手がずれてもう一度短刀を握りなおす。
「静かに横に引け」
明らかに見慣れていると言うような顔をした嵯峨がゆっくりと刀を振り上げる。
「うっ」
ようやく傷口が広がりかけたところで、近藤は嵯峨の表情の消えた顔を見上げた。
「地獄で待ってな!」
そう言うと嵯峨は刀を振り下ろした。近藤の首は床に転がり、胴体もしばらく痙攣したあと倒れこん
だ。
「でもすまんな、俺はしばらく行けねえんだ」
そう言いながら嵯峨は口にしたタバコを床に落とすと、近藤の血に濡れた愛刀『長船兼光』を振り下ろして血を払った。
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