第104話 出撃前の緊張

 自分の部屋。それを見るのはこれが最後かもしれない。そんな気分になると奇妙に全身の筋肉が硬直した。恐怖でもない、怒りでも悲しみでもない、そんな気持ち。


 訓練、演習、模擬戦。


 そのどの場面でも感じたことの無い奇妙な緊張感がそこにあった。キーを解除し、殺風景な部屋の中に入る。嵯峨が指摘したように、誠自身も飾りが無さ過ぎる自分の部屋にうんざりしていた。せめて特撮ヒーローのポスターでも貼っておくべきだったと後悔した。


 作業着にガンベルトを巻き、支給された小口径の拳銃ルガーマークⅡの入ったホルスターとマガジンポーチを取り付ける。ここに戻ることが出来るだろうか? 先ほどの不思議な緊張感が誠の心臓を縛り、動悸は次第に激しくなる。


 右腕の携帯端末を開き時計を見る。


 あと25分。


 中途半端な時間をどう使うか。そう考えて誠には特にすることも無いことに気づいた。とりあえず早めに更衣室に向かうことぐらいが出来ることのすべてだった。ただ作業服にガンベルトを巻いただけの状態で廊下に出た誠の前に、アイシャが立っていた。


「誠ちゃん、顔色悪いわよ」 


 アイシャはもう二日酔いが治ったのか、青ざめた皮膚の色は見た限り残っていなかった。濃紺の長い髪が空調の風にあおられて舞う。


「パイロットスーツってことは出撃ですか?」 


「まあそんなところよ」 


 アイシャはそう言うと今日始めての笑みを浮かべた。


「第一小隊のランちゃんは、現在特命で帝都で任務中。吉田少佐とシャムちゃんは隊長と別任務に就くって話らしいわよ」 


 アイシャはそう言うと少しだけ、ほんの少しだけ笑った。いつもの笑顔に比べるとどこか不器用な笑顔だった。


『この人でも緊張するんだな』 


 誠は当たり前のことに感心している自分が少し滑稽に見えて口元を緩めた。


「更衣室の場所知ってる?とりあえずそこまで行きましょう」 


 そう言うとアイシャは紺色の髪をなびかせて歩き始めた。


「僕のシミュレーションに付き合ってくれたのって、このためだったんですね」 


 誠はとりあえずそう言ってみた。


「まあね。明華さんから訓練メニュー渡された時からこうなる予想はついていたけど」 


 下降するエレベータのボタンを押すとすぐに扉が開いたので、二人は誰も乗っていない箱の中に入った。


「勝てるんでしょうか?敵は50機近くいるんですよね。こっちは七機……」 


 ひっそりと口を出した誠をこれまでに見たことのない、鋭い視線でアイシャが見つめてくる。


「勝てるか?じゃないわよ。勝つのよ」 


 技術部の庭と言えるハンガーにつながる階で扉が開く。


 ここは別世界だ。


 急ぎ足で指示書片手に行きかう技術部員達。何人かはアイシャに気づき、敬礼をする。


「火器整備班の倉庫の裏側が更衣室よ。それじゃあ」 


 アイシャが不意に誠の顔に唇を近づけ、その額にキスをした。


「よくあるおまじないよ。きっと効くから」 


 そのままアイシャはハンガーの方へ向かった。何が起きたのかわからず、誠は呆然と立ち尽くす。


「いいもの見せてもらったよ」 


 話しかけてきたのはキムだった。


「いえ、その、いっ今のは……その」 


「わかってるって。ベルガー大尉と西園寺中尉には黙ってるよ。それよりお前に用があってな。これ、一応、お前の場合拳銃だけじゃあかわいそうだから」 


 そう言うとキムは一丁のショットガンを銃身の下にぶら下げたライフル銃とマガジンが三本入ったポーチを差し出した。


「なんですか?これは」 


 誠は奇妙なアサルトライフルを受け取ると眺め回す。


「M635マスターキーカスタム。20世紀末に使われたアメちゃんのサブマシンガン。ストーナーライフルAR15のシステムを9mmパラベラム弾に流用した改造銃だ。まあバレルは下にイサカM37ソウドオフショットガンをアドオンするために別途注文してこの前組み終わった奴だ」 


 キムは誇らしげに言い切る。誠は特にすることもなく銃とマガジンを持て余していた。


「まあ俺としては使われないことを祈るよ。デブリで敵と生身で銃撃戦なんてぞっとするからな。パイロットスーツに着替えるんだろ?何ならうちの兵隊に運ばせるぜ?」 


「じゃあお願いします」 


 そう言うとキムは銃を受け取った。


「飯塚兵長!こいつを第二小隊三号機に持って行け!じゃあがんばれよ!新人君」 


 キムの声を背中に受けて誠は更衣室に入った。


 誰もいない男子用更衣室。机の上には吸殻の山が出来ている大きな灰皿が鎮座している。誠はまずガンベルトをはずし、机の上においた。


『神前』と書かれたロッカー。作業服を脱ぎながらその扉を開くとパイロットスーツにヘルメットが出てくる。


 動悸は止まらない。更に激しく動き出す心臓。喉の奥、胃から物が逆流するような感覚に囚われ、思わず口を押さえる。


「僕らしいか」 


 独り言を言う。 


 鏡を見た。


 血の気の無い顔がそこに浮かんでいる。


 カウラ、かなめ、アイシャ。彼女等が自分を見て同情するのもこれを見たらうなづける。


「仕方ないか……」


 自分自身に言い聞かせるようにそうつぶやきながら制服を脱ぐ。筋肉はまるで記憶されているかのように正確にボタンを外しホックを外していく。


「これが初めての実戦だとは言え……どんなエースにもこの瞬間があったんだ」


 独り言を言いながら誠はパイロットスーツを着込んだ。ヘルメットをかぶるとそのまま気密調整プラグを押して外気と完全に遮断された状態で口元のスイッチを押し会話用の外部スピーカーをオンにする。


「テスト……テスト……」


「何やってんだ?」


 突然現れたかなめの言葉に思わず誠はのけぞってよける。


「突然なんですか!」


「いやあ……遅いなあって」


 悪びれる様子もなくかなめはそう言うと男子更衣室の中を歩き回る。


「ここは男子更衣室ですよ!」


「男性パイロットはお前さんと、そういうことにこだわらない吉田の野郎だけだ。別にいいだろ?いつも飲んだら全裸になるくせに」


「そう仕向けているのは西園寺さんじゃないですか」


「何か言ったか?って言うかここからヘルメット被るのかよ」


「でも……」


 誠は紫色のパイロットスーツのかなめの方を見る。手には顔面を覆い尽くすデザインのサイボーグ用のヘルメットが握られていた。


「そのヘルメットだと前が見えないですからね」


「そうでもないぜ、こいつの正面はカメラになってるからな。首筋のジャックと接続すればほぼヘルメットをかぶっていないような視野を確保できるっていう代物だ」


「じゃあなんでかぶらないんです?」


「首が重いだろ?」


 あっさりとしたかなめの一言に誠は大きくため息をついた。


「じゃあ行きますよ……時間ですから」


「へいへい」


 かなめはめんどくさそうに返事をする。誠はそのまま更衣室を出た。そのまま静かな通路を進んで行きあたったところで壁にあるスイッチを押す。


 扉が開かれ光と喧騒が支配するハンガーへたどり着いた。

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