第3話 手術
昨秋。おじさんが手術をしなければならなくなった。
しかも、手術のための検査をあれこれ受けさせられた挙げ句、歯を治してからでないと手術は受けられないと言われてしまったそうだ。
「このひと、ちっとも歯医者に行かないの。歯医者は痛いからイヤだ、って。子供でもあるまいし」
おかあさんが呆れている。
「虫歯だらけらしいんだけど。そこから感染症になる危険があるから、治療してからじゃないと手術できないんだって」
いつもはおしゃべりなおじさんが今日は知らん顔だ。だからつい、意地悪をしたくなって
「そんなに虫歯がある方が痛いんじゃないですか?」
と聞いてみる。
「痛いよ。でも、ほら、その部分で噛まなきゃ痛くないし。歯医者は行けば絶対に痛いけど」
よっぽどイヤなのだろう。おじさんの笑顔がいつもより小さい。申し訳ないけど笑ってしまう。
とは言え、どんなにイヤでも今回ばかりは治療しないわけにはいかず、事情が事情なので予約を詰めてもらって通ったらしい。数週間後。
「終わりましたか?」
「終わったよー」
ニパッと笑った口元は、相変わらず何本か分のすき間が空いたままだ。
まあ、今回の通院は虫歯の治療であって、差し歯を作りに通っていたわけではないから当然なのだろうが、それでも見た目、何も変わらない。痛い思いをしたにも関わらず何も変わらないいつものトボけた笑顔につられ、こちらも笑ってしまった。
「これでようやく手術できますね」
笑ったまま声をかけると
「おぅ」
虚勢を張っているようだが、子犬のそれみたいに可愛らしい。
「…というわけで、入院したらしばらくはここもお休み」
おかあさんの声に、私は我に返った。
ああ、そうだった。
おじさんがいなければ、ここが開くわけがない。
「お休みはどれくらいになりそうですか?」
「術後の経過が良ければそんなにかからないだろうけど、でも、冬になるから。やっぱり正月明けくらいからかしらねえ」
…そうか。今年の年越しは、おじさんのところでは買えないのか。
いつもだったらここにくればなんとかなっていただけに、今年は計画的に買い置かないといけない、と自分に言い聞かせる。
二人と会えないのはつまらないけど、しばらくは我慢、我慢。
「早く治して、さっさと開けてくださいね」
明るい声で発破をかけた。
開いていないのは分かっていても、つい気になって足が向いてしまう。
何度目の偵察だったか、中が開いているのが見えた。背伸びして覗き込むと、いた。
おかあさんだ。
「わぁー。久し振りです」
会っていなかった分だけ声が勝手に弾む。
「おじさん、どうですか?元気ですか?」
「おかげさまで元気、元気。無事に退院してきて、ちょこちょこ動き始めてるよ。今は畑に行ってる」
この調子なら来年早々、ここも開けると思うよ、とおかあさんが嬉しいことを言う。
「ああ、よかった。ホッとしました」
「小松菜と大根なら少しあるけど。持ってく?」
早速ありがたいお言葉。喜んで好意に甘える。
今日のこの野菜はさっさと頂こう。保存もきくけど、せっかくの好意、採れたてで味わわなくてどうする。それに、なんてったって無事に退院してきたひとが作った野菜だ。ご利益がありそうではないか。
いい年を、とお互いに言葉を交わして別れた。
松も取れた頃に顔を出したら、元気そうな顔にすぐに会えた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしく」
ありきたりの挨拶もそこそこに、
「なんかおじさん、縮んだ?」
つい、言わなくていいことを口にしてしまった。でも、気にするふうもなく、
「縮んだよー。5キロかな?痩せたもん」
変わらない笑顔でなぜだか自慢気に言うおじさん。
「そんなに痩せたの?!」
「うん。やっぱり病院にいるのはダメだね。これでも2キロは戻ったけどさ」
常日頃から身体を使っているからだろう、この辺りの農家の男の人はたいてい締まった身体つきをしている。おじさんも例外ではない。そういうひとの5キロは大きいはずだ。
「そんなに減ったらキツくない?」
「まあねえ。でも、ぼちぼちやってくよ」
病み上がりとは思えないくらい、飄々としている。
おかあさんも変に甘やかしたりはしない。
「家でじっとしてるよりは無理しない程度に使った方が、身体にも良さそうだしね」
「経過は?」
「悪かったらやれないよ」
二人で笑っている。
ああ、よかった。
順調な回復で。いつもの二人で。
新しい年になっても、二人とのおしゃべりは変わらなかった。
変わらないことが嬉しい。私たちは既にそういう年齢だ。
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