第20話 出会いは突然に
異界の森には似合わない透き通ったその声に、私は「え?」と慌てて顔を上げる。そして視界の先に映った人物の姿を見て驚いた。
「あ、あなたは……」
大きな木の隣に立っていたのは、一人の女性だった。
歳は自分よりも2つか3つほど上だろうか。まるで人形のように整った綺麗な顔立ちに、色白の肌よりもさらに白くて艶やかな髪。それを一つに束ねている姿は、その女性が着ている服装にピッタリと合っていた。
なんだか和風にも思えるあの服、どこかで見覚えがあるような……
そんなことを思いながらただ呆然として固まっていると、その女性がゆっくりと近づいてきた。
「私は忍び一族のくノ一、名前はシズク。あなた、見たところ人間のようだけど……」
落ち着いた声色で自己紹介をしてくれたシズクさんは、そう言いながら私の隣までやってきた。そしてしゃがみ込んだままの自分の足を見て、一瞬目を細める。
「その傷……プラグイーターにやられたのね。すぐに消毒しないと」
「え?」
シズクさんの言葉につられるように自分の右足を見てみると、たしかにふくらはぎには引っかいたような傷が数本。その直後、脳裏には浮かんだのはあの時の先生の言葉。
猛毒の蔓で一気に締め上げてーー
「ど、ど、どうしよう……私の身体に毒が……」
ふるふると身体を震わせながら涙目になる私。そう言えばさっきから胸の奥が妙に気持ち悪いような……う、うおぇ。
「落ち着いて。傷は浅いからまだ毒は身体には回ってないはずよ。今すぐ消毒すれば間に合うわ」
「ほ、ほんとですか⁉︎」
口からのリバースを避けるために再び両手で口元を覆っていた私は、シズクさんの言葉を聞いて思わず聞き返した。すると、「ええ」と端的に答えた彼女は、腰につけている小さな袋から薬草のようなものと包帯を取り出す。そして私の傷口に薬草を当てると、それを固定するように手際良く包帯を巻いていく。
「……これでもう大丈夫。この解毒草には体力を回復させる効果もあるから、こうしておけばあなたの力も戻るはずよ」
そう言うとシズクさんは立ち上がり、私に向かって右手を差し出してくれた。「あ、ありがとうございます……」とぎこちない声でお礼を言うと、私はその手を握って同じように立ち上がる。
「ここは魔王の力によって異形のものたちが数多く生息する森。あなたのような女の子が来ることはできないはずだけれど……一体どうやって来たの?」
「そ、それはですね……」
私は相変わらずきごちない口調のまま、自己紹介も兼ねて事の経緯を説明した。すると一通り私の話しを聞いてくれたシズクさんが呆れたようにため息を吐く。
「それは随分と愚かな行為ね。何の準備も無しにこんな場所にやって来るなんて、無駄死にするようなものよ」
「す、すいません……」
シズクさんの正論に、私は眉尻を下げてしゅんとした声で答える。……って、なんで私があの変態先生の代わりに謝らないといけないのよ。
そんなことを思い、思わず大きなため息をつくと、少し声を和らげたシズクさんの言葉が再び耳に届く。
「けれど宮園さん、あなたが無事で良かったわ。あと一歩遅かったらプラグイーターから助けることはできなかったから」
「え? もしかしてさっきのってシズクさんが助けてくれたんですか⁉︎」
「ええそうよ」
そう言ってシズクさんはクイッと視線を上げた。つられて私も同じように上を見上げると、驚いたことに、巨木の幹にプラグイーターの蔓が何かで打ち付けられているではないか。
「あなたの姿が見えた瞬間、咄嗟にクナイを投げて敵の動きを封じたの」
「す、すごい……」
同じ冒険者としてあまりに次元が違い過ぎる話しに、私は思わずゴクリと唾を飲み込む。
というよりこんな凄い人が準備を入念にしてやってくる森に、桜の棒一本だけ握りしめてやってきたら絶対にダメでしょ!
改めてダンジョンの選択を先生に任せてしまったことを後悔していると、シズクさんが森の中をすっと指差すのが見えた。
「ここを真っ直ぐ進めば中継場があるわ。そこから神殿まで戻ることができるはず」
「よ、良かった……私、帰れるんですね!」
「ええ。ただ森の中には凶悪な魔物が数多く生息しているからかなり危険よ。私もちょうど中継場に向かうところだったから案内するわ」
そう言うとシズクさんはしなやかな足取りで森の中を歩き始めた。無駄がなく、音も立てずに洗礼されたその歩き方はまさにくノ一。私はその美しさについつい見惚れそうになりながらも、慌ててシズクさんの後を追う。
「あなた、気配を消す能力は持ってる?」
「気配を消す能力?」
一歩先を歩くシズクさんの背中に向かって私は首を傾げた。するとシズクさんが立ち止まってこちらを振り返る。
「ええそうよ。さっきの騒ぎでかなりの魔物が私たちの存在に気付いたみたい。できれば無駄な戦闘は避けたいから、ここらは気配を消して先に進んだほうがいいと思う」
「え、でも……私そんな凄い能力なんて」
持ってません、と声にするようりも前に、シズクさんが再び右手を差し出してくれる。
「大丈夫。私の手を握っていればあなたの気配も変わるから、魔物たちは襲ってこないわ」
「は、はい……」
私は小声で返事をすると、おずおずとした動きでシズクさんの右手を握った。その手は思ったよりも細くて柔らかく、とてもあのクナイを投げた手とは思えない。
「行くわよ」というシズクさんの声に合わせて、私も再び右足を一歩踏み出し森の中を歩き始めた。
「……」
シズクさんの言った通り、どれだけ森の中を進んでいっても自分たちがモンスターに襲われることはないどころか、変な植物たちでさえこちらには一切気付かないようで動く気配がない。
す、凄い……
私は息を潜めて歩きながらそんな光景を見つつ、改めてシズクさんの力に驚かされていた。
それにしても本当に凄い人だと思う。
歳はほとんど自分と変わらないはずなのに大人びていてこんな森の中でも落ち着いているし、見ず知らずの私のことまで助けてくれるなんて。
身も心もクールビューティーというのは、まさにこんな女性のことをいうのだろう。
「す、凄いですね! 本当にモンスターが襲ってこないなんて」
「魔物からすれば私は空気のような存在になっていて見えないし、今のあなたは二足歩行する毒キノコにしか見えないから敵が襲ってくる心配はないわ」
「え? ど、毒キノコですか?」
あれれー? なんで私だけ毒キノコなんだろう? きっとそのほうがより安全だからですよね? 冷静沈着にイジられてるわけじゃないですよね??
そんなことを思いながら、一瞬毒キノコの姿で歩いてる自分を想像しかけたが、乙女心が傷つきそうな気がしてやめた。
「止まって」
突然シズクさんが右手を離したかと思うと、その手を私の進路を遮るようにサッと横に伸ばした。
「え?」と慌てて立ち止まった私は、不意に視界に飛び込んできた前方の景色に目をパチクリとさせる。
「なに……これ?」
思わずそんな言葉を漏らした自分の視線の先、
「おかしい……ここは負の魔力が充満している森の中のはず。普通の植物ならともかく、魔界に生息している植物が一切育っていないなんて変だわ」
「なんか育ってないというより……食い散らかされたように見えるんですけど」
そう言って周囲を見渡すと、目につくのは無残にも根元の部分だけ残した巨木の数々。そのあまりに恐ろしい光景に思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「魔界の植物をこんなに食い荒らすことができる魔物なんて聞いたことが……」
そこで何故が言葉を止めたシズクさんは、「危ない!」と突然私を突き飛ばした。直後、自分とシズクさんの間を、物凄いスピードで何かが飛んでいった。
「ちッ、気配に気づかれたようね」
「え?」
何がなんだかわからず辺りをキョロキョロと見回すと、あろうことか背後の茂みの中からゾロゾロとおぞましい姿をしたモンスターたちが現れてくるではないか!
「ヒィィぃぃっ!」
私は思わず悲鳴を上げると咄嗟にシズクさんの背中に隠れる。
「ど、ど、どうしようシズクさん! 囲まれちゃったよ!」
「4、5、6……全部で8体。問題ないわ」
「はい?」
動揺も恐怖も限界を超えている私の目の前で、シズクさんは相変わらず冷静な口調でそんなことを呟くと、腰につけた袋から小さな玉のようなものをいくつも取り出した。そしてそれを指と指の間にセットしていく。
「ちょッ! シズクさん何やってるんですか! 来てます! モンスターが来てます来てます!!」
「心配ないわ……一瞬で勝負がつくから」
「え?」と私が思わず声をもらしたその瞬間だった。
突然目の前でシズクさんがヒュンと高速で一回転した直後、周囲にいたモンスターたちがピタリと動きを止めた。そして何故かみな口をモグモグと動かし始める。
「ど、どういうこと……」
何が起こったのかまったく理解できない私をさらに追い込むかのように、急にモンスターたちが「キィェっ!」と悲鳴のような声を上げたかと思うとバタバタと突然倒れていく。
「毒薬よ。どんなに強い魔物も口から毒を摂取すればひとたまりもないわ」
「口から毒って……も、もしかしてさっき持ってた小さな玉のことですか⁉︎」
私は驚きのあまり目を見開いてシズクさんのことを凝視する。まさか……信じられない……。あんな小さなものを一瞬でモンスターの口の中に入れるなんて……
愕然と固まったままの自分に向かって、シズクさんは相変わらず冷静な態度で話しを続ける。
「私たち忍び一族は物を投げれば必ず魔物の口に入るように幼い頃から訓練されているの。忍び一族は毒薬を使う攻撃に長けているから」
「な、なるほど……」
なんだろう……。異世界に来てやっと……やっとまともで凄く強い人に出会えた気がする。これはすぐにでも宮園ファミリーに勧誘するべきなのではないか?
そんなことを思い、「し、シズクさん……」と感謝の言葉と一緒にパーティへのお誘いを告げようとした時、突然耳に異質な音が聞こえてきた。
バギ……バギバギバギィっ!
凄まじい勢いで何かをへし折るような
「ちょ…………アレ、何?」
突然の出来事に、一瞬にして語彙力を失う私。そんな自分の隣では、「まさか……」と珍しくシズクさんも動揺したような声を漏らす。
そりゃそうだ……。だって……だって突然巨木をなぎ倒して自分たちの目の前に現れたのは……
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