第19話 ここが最高クラスのダンジョンです。

 翌日、何とか和希の初体験の危機を守り抜いた私たちは、予定通りダンジョンへと足を踏み入れていた。


「先生……本当にこのミッションって簡単なんですよね?」


 鬱蒼うっそうと木々が生茂る不気味な森の中、私は自分の後ろを歩いている先生に向かって尋ねた。……って、なんで私が先頭なの?


「もちろん! 一番簡単そうでしかも報酬が高いものをチョイスしたので安心したまえ!」


「…………」

 

 なんだかすっごい不安なんですけど……

 

 私はそんなことを思うとゴクリと唾を飲み込む。

 森は森でも、ここは異世界の森。

 見たことも聞いたこともない植物や木々はどれも不気味な形をしているし、今のところまだ現れてはいないがモンスターだってウヨウヨいるだろう。


「しかし驚いたな。異世界に来たばかりの君が、すでに勇者連盟に加入していたとは。おかげでS級ダンジョン探索の申請も一発オッケーだったよ!」


「……はい?」

 

 先生のよくわからない話しに私はポカンとした表情を浮かべる。すると隣にやってきた和希が説明をしてくれた。


「アッラマー神殿からダンジョンに訪れる場合は、個々の冒険者の能力によって行ける場所が決まってくるんだよ。初心者だとDからCランク、中級者や上級者になるとBからAランク。そして魔王討伐の勇者連盟に加入している勇者のみSランクのダンジョンに行くことができるんだ」


「ちょっと待って和希。それってつまりここは……」


 私は思わずぎょっとした表情を浮かべると、その場に立ち止まってしまう。すると今度は浅田さんの呆れたような声が後ろから聞こえてきた。


「何だホウキ勇者、今さら気づいたのか? ここは魔王軍の領域、最高ランクのダンジョンだぞ」


「…………」

 

 え? 何それおかしくない? 私まだゴブリンでさえまともに一人で倒したことないんですけど?


「嫌だ嫌だ嫌だ! 今すぐ帰る! 神殿に帰る!」


 そう言って私は元来た道の方へと爪先を向けると走り出そうとした。が、ガシッと先生に左腕を掴まれてしまう。


「なーに心配する必要はない。たしかにここは魔王の息がかかったS級ランクの場所だが、かつて魔王軍がちょこっとだけ侵攻してきて普通の動物たちが住むことができなくなっただけの森だ」


「いやもうすっごく危険な場所としか思えないんですけど⁉︎ ちょこっと侵攻しただけで住めなくなるってどういうこと⁉︎」


「まあ魔王軍が通った場所は生態系が一気に変わってしまうからな。ここはエアリストの森といってかつては美しい湖と豊かな自然で有名だったのだが、魔王軍のせいで植物の生態系が変わってしまったのだよ。だから今回のミッションはただの雑草刈りだ」


「ただの雑草刈りって……そんな得体の知れない植物の処理をしないといけないんですか⁉︎」


「不安がることはない。このパーティには火属性の魔法を使える優秀な黒魔術士はいるし、ダメージを負った時と私が欲求不満に陥った時に癒してくれる白魔術士もいる。それに君は数少ない選ばれし勇者だ。その腰に携えた聖剣カラドボルクがあればどんな敵もなぎ倒せる!」


「いやもう突っ込みどころが多すぎて何から言ったらいいのかわからないんですけど⁉︎ 欲求不満を癒してくれるってどういうこと⁉︎ それに私が持ってるのはそんな強そうな剣じゃなくてただの桜の棒なんですけど⁉︎」


 私は目を見開いて必死に訴えると、先生に見せつけるように桜の棒を一生懸命に振る。


「ふむ……勇者であり女の子でありながら常に棒を握りしめるとは、君もやはりこちら側の人間だったか」


「…………」

 

 うわーどうしよう……すっごく捨てていきたい。元担任でお世話になった人だけど、この人を森の中に今すぐ捨てていきたい!


 そんなことを思い桜の棒を握りしめた拳をフルフルと震わせていると、隣にいる浅田さんが呆れたようにため息をついた。そしてローブの袖口から小さな鈴を取り出す。


「いざとなったらこの『踵返きびすかえすの鈴』を鳴らして神殿にワープして戻ればいいだけだ。それに心配しなくても、ホウキ勇者がやられた時は私が高橋くんのことをしっかりと守る。ね……ねえ高橋くん?」


「ちょっと浅田さん! なんで私がやられる前提で話しを進めてるのよ! それとその上目遣いでチラチラと和希を見るのはやめてって言ってるでしょ!」


「いちいちうるさいなホウキ勇者は……自分にとって大切な人を守ることは異世界でも当然の行いだ」


「そうだとも諸君! 自分にとって大切な人に大切な身体を毎夜……いや日中から捧げる! これぞまさに真の異世界ライフの過ごし方!」


「「ちょっと先生は黙ってて下さい!」」


 元担任の妄言に、いがみ合っていたはずの私と浅田さんの言葉が思わずハモった。そして再びすぐに睨み合う私たち。……って、もうこのパーティ解散してもいいですか?


 そんなことを思いながらガルルと浅田さんと睨み合っていると、「あ、あのー」と和希がおずおずと声を掛けてきた。


「なんかさっきからガサゴソと音が聞こえない?」


「……え?」

 

 急に怖いことを言い出した和希に、私は思わず辺りを見渡した。そして慌てて耳を澄ます。すると……

 

 ガサ……ガサゴソ……


 たしかに茂みの中で何かが動く音が聞こえてくる。しかも一つじゃない。複数聞こえる。


「なるほど……どうやらいつの間にか囲まれてしまったようだな」


「え⁉︎」


 冷静沈着な態度で衝撃的なことを口にする松本先生。そんな先生に向かって私は慌てて口を開いた。


「ど、ど、どうするんですか! こんなところで騒いでたからモンスターが来ちゃったじゃないですか!」


「いや、それは違うな。おそらく私のスキル、『オートフェロモン』に引き寄せられたのだろう。この能力は種族の隔たりを越えてどんな異性をも引き寄せることができる奥義クラスのスキルだからな」


「…………」

 

 やっぱりこの人は今すぐ森に捨てていくべきだ!

 

 そんなことを強く思った時、今度は浅田さんの真剣な声が耳に届いた。


「おいホウキ勇者、ここはランクSのダンジョン。おそらくいつもの黒魔法は通用しない。なので上位魔法の『ナポレオンファイヤー』か『黒炎のルイ16世』を発動しようと思うのだが、何分この魔法は呪文詠唱に時間がかかる。だからその間はお前が持ってる聖剣さくらスティックで……」


「む、無理に決まってるでしょ! っというかどさくさに紛れて私のことバカにしないでよ! だいたい呪文に時間が掛かるって言っても、どうせまた歴史の朗読を始めるだけでしょ!」


「なッ! 貴様、フランスの歴史に対して何たる冒涜を! それに今回の詠唱は教科書6ページ分に匹敵する重要な箇所なのだぞ!」


「どうでもいいから早く魔法を……ひぃッ!」


 浅田さんに向かって魔法の催促をしようとした時、自分の近くにある茂みが一際激しくガサゴソと揺れた。

 その瞬間、思わず腰が抜けた私をその場に捨てて、浅田さんとなぜか和希を抱きしめている松本先生が自分から距離を取る。そんな血も涙もない二人に向かって「ちょっと!」と叫び声を上げようとした時、突然茂みの中から何かが飛び出してきた。


「ギャァァァー…………って、なにこれウサギ?」


 思わず絶叫してしまった自分の視線の先にいたのは、草むらからぴょこっと顔を出した、それはそれはとても可愛らしい子ウサギだった。

 モンスターと思いきや、まさかのギャップ。 

 そのあまりに愛くるしい姿を見た瞬間、私が生まれつき唯一持っているスキル、『オート小動物好き』が発動されてしまう。


「可愛いッ!」

 

 私は思わずそんな声を漏らすと、立ち上がって子ウサギの方へと近づいていく。子ウサギは意外にも人馴れしているのか、私が真正面に近寄っても逃げる気配はない。


「かっわいいなー、ウサミーさんが見たら喜ぶかも! あッ、あそこにもいる」


 見ると辺りの茂みからはひょこひょこっと同じような子ウサギたちが次々と顔を出していた。どうやら自分たちを取り囲んでいたのは、このウサギさんたちだったようだ。


「なーんだ、みんなウサギの仕業だったのか」


 私はほっと胸を撫で下ろすと、目の前でじーっと自分のことを見つめてくる子ウサギの頭を撫でようと右手を伸ばした。


「しかしおかしいな……この森に普通の動物は生息していないはずなんだが……」

 

 怪しがる先生のそんな呟きが背後から聞こえた時だった。私の前にいた子ウサギが、茂みから飛び出すようにジャンプした……と、思いきや、


「…………え?」


 私は自分の目の前で起こったことが理解できず、一瞬フリーズしてしまう。それもそうだ。今しがた茂みからジャンプしたはずの子ウサギは、何故か私の目線の高さで宙に浮くようにして止まっているのだ。

 そしてその子ウサギのお腹から下、本来なら足と可愛らしい尻尾があるはずの下半身が見当たらない。いや、下半身の代わりに何だかおぞましい姿をしたつるのようなものが伸びているではないか。


 …………何これ?

 

 冷や汗タラタラで急速に顔が青ざめていく自分の後ろから、「あッ」と何か思い出したかのような先生の声が聞こえる。


「わかったぞ……そいつは『プラグイーター』だ」


「ぷ、プラグイーター?」

 

 恐怖のあまり身動き一つ取れない私は、とりあえず唇だけ動かして聞き返す。


「そうだ。プラグイーターは魔王の城近くに生息している肉食植物の一種。つるの先端に獲物を油断させる生物を擬態させておいて、相手が騙されて近寄ってきたら猛毒の蔓で一気に締め上げて捕まえる。そして最後は本体のところまで運んでいき……一口でパックンチョ」


「…………」

 

 一口でパックンチョって…………え? なに私食べらるってこと⁉︎


「ひぃぃッ!」と思わず叫び声を漏らした私は慌てて後ろを振り返るが、恐ろしいことに、先ほど顔を出していた子ウサギたちが次々と蛇のようにウニョウニョと茂みの中から飛び出してくるではないか!


「ちょぉぉっとー! すっごく気持ち悪いんですけどぉッ!!」

 

 私は泣き叫びながらみんなのいる方へと向かって全力で走っていく。が、あろうことか先生は和希を抱きかかえたまま、そして浅田さんも私の方など一切振り返ることもなく先に全力で走り去っていくではないか。


「み、宮園さん!」


「か、和希! ……って、先生! なんで和希を連れ去ろうとしてるんですか!!」


「当たり前だろうッ! もしもの事態に陥った時、一体誰が私の欲求を満たしてくれるというのだ!」


「こんな時に何ふざけたこと言ってるんですかッ! だいたい教え子に手を出すとか犯罪ですよ!!」


「犯罪などではない! 決してない!! そのために私はこの異世界をわざわざ選んで転生してきたのだからな!」


「理由が最低だ! って、浅田さんまで何で私を置き去りにしようとしてるのよ!」


「心配するなホウキ勇者! 先生が高橋くんに手を出さないよう私がしっかり奪い返す! そしてそれを成し得た暁には、私が……私が高橋くんと……」


「…………」


ダメだ……やっぱりこのパーティ編成に異議あり! すっごく異議あり!


「って、和希も男の子なんだから自分の力で先生から離れて私を助けに来てよ!」


「そ、それがダメなんだ……なんか……さっきから全然力が入らなくて……」


「ふふふ、私のオートフェロモンは至近距離でもっともその効果を発揮するのだ! 未成年相手なら事がすべて完了するまでは指一つ動かせない。いや、使わせない!」


「いやーッ、後ろだけじゃなくて前にも道徳的に最低なモンスターがいるんですけど! って、きゃあッ!」


 先生たちとそんなくだらないやり取りをしていたせいで、私は背後から忍び寄ってきていた子ウサギもどきの不気味な蔓に気付かずに右足を絡めとられてしまう。

 と、その直後。私の身体がふわりと逆さ吊の状態で宙に浮いた。

「え?」と一瞬何が起こったのかわからず頭が真っ白になった瞬間、今度は自分の身体が宙に浮いたまま猛スピードで森の奥へと引きずり込まれていく。


「い、いやぁぁぁあッ!!」 

 

 視界の中で天地をグルグルと回しながら、私の大絶叫が森の中に響き渡る。その恐怖、まるで安全装置一切ナシのジェットコースター。

 極度の恐怖と何度も激しく揺さぶれるせいで、胸の奥からは強烈な吐き気までこみ上げてくる始末。


 ……え? もしかして私の第二の人生って、こんな情けない形で最後を迎えるの? せっかく和希と再会できてこれから一緒に過ごしていけると思ったのに、和希は変態教師に横取りされて、私はゲロまみれになってパックンチョされて死んじゃうの?


 グルグルと意識が回り気持ち悪くなっていく中でそんなことを悔やんだ時だった。突然、「ストンッ!」と何かが突き刺さるかのような音が聞こえたと思った瞬間、私を森の奥へと引きずり込もうとしていた蔓が空中でピタリと動きを止めた。直後、まるで力が抜けていくかのように私の足を捉えていた蔓がスルスルと解けていく。


「いたッ、…………う、おうぇ!」

 

 いきなり地面に落とされた私は、その衝撃と気持ち悪さのせいで思わずいけないものを吐き出しそうになった。

 が、異世界とはいえそこはセーラー服を着た純情な乙女。

 モザイクが入るような絵面にならない為に、私は必死になって耐え忍ぶ。


「うぅ……ぎもぢわるい……」

 

 口元を両手で覆いながら、とりあえず身の安全を確保する為に立ち上がろうとした時だった。薄暗い視界の中で、どこからともなくまたガサゴソという音が聞こえてくるではないか。


「ひぃぃぃッ!」

 

 私は恐怖のあまり吐き気も忘れて思わずぎゅっと目を瞑る。

 もしかしてまた⁉︎ またあの気持ち悪いウニョウニョが襲ってくるの⁉︎

 そんな恐怖に怯えて頭を抱えこんだまましゃがみ込んでいると、ふっと一瞬静かになった森の中で、突然声が聞こえてきた。


「……こんなところで何してるの?」

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