第10話 異世界の初夜
「二名だと20ピッツァになるね」
「え⁉︎ ピッツァって何? 『円』じゃないの??」
たまたま見つけた宿屋の受付で、私はもじゃもじゃ頭のおじさんに向かって叫んだ。
「何言ってんだよお嬢ちゃん、お金は昔からピッツァだろ」
「……」
力強い声ではっきりと断言する宿屋のおじさんに、私の顔が急速に青ざめていく。
ピッツァって何よ? ピザのこと? 異世界だとお金はピザになっちゃうの? それによく考えたら『円』だったとしても……私今財布持ってないや。
どっちにしてもアウトじゃん! っとウガーと唸りながら頭を抱えていると、和希がおずおずとした口調で口を開いた。
「あ、あの……宮園さんお金持ってないならここは僕が出すよ」
「え、和希この世界のお金持ってるの?」
「うん……モンスターを倒したりダンジョンをクリアすれば報酬が貰えるし、あと職業決まった時に『初心者手当て』を貰ったから」
「初心者手当て? 何それ?」
「冒険者になったばかりだと色々と準備しないといけないからその補助金みたいなものなんだけど……あれ? 宮園さんもしかして貰ってないの?」
首を傾げるに和希に向かって、私はそれ以上に首を傾げる。補助金なんてもらってないし、そんな言葉も一切聞いたことがないんですけど?
「おっかしいなぁ、僕にそのことを説明してくれた神殿のスタッフさんはたしか誰でも貰えるって言ってたはずなんだけど」
「……」
一人ボヤく和希の言葉を聞きながら私の脳裏に浮かんだのは、あのおっちょこちょいのエロうさぎの姿。くそーッ、明日もう一度神殿に行って絶対に問い詰めてやる!
「ご、ごめんね和希……今度絶対に返すから」
「ううん。別に気にしなくて大丈夫だよ。それに宮園さんのおかげでこの宿屋を見つけることができたんだし」
そんな優しいことを言ってくれた和希はローブの袖口から小さな巾着袋のようなものを取り出すと、その中から2枚の硬貨を手に取った。
「へぇ、これがこの世界のお金なんだ」
私は和希が右手で握っている硬貨をまじまじと見てみる。それは五百円玉よりも少し大きいぐらいの硬貨で、鈍い金色をしていて特に何のデザインもない。なんだかお金というよりゲーセンのコインみたいな感じだ。
「はいよ、じゃあ確かに20ピッツァは頂いた。部屋はその階段を上がってちょうど突き当たりにあるからね」
「わかりました」
そう言って和希がペコリと頭を下げると、宿屋のおじさんがため息まじりに口を開いた。
「まあお二人さんは若いから仕方ないけど、この宿の壁は結構薄くて音が漏れやすいんだ。だから苦情が出やすいから、もしもの時はあんまり激しい声を出さないようにしてくれよ」
「げッ⁉︎」
不意に宿屋のおじさんの口から飛び出してきた爆弾発言に、私は思わず顔を真っ赤にしてぎょっとした表情を浮かべてしまう。
けれど和希にはどうやらその意味がよくわからなかったみたいで、あろうことか「それはどんな時ですか?」と真面目な顔でおじさんに質問しているではないか!
「か、和希! 何も起こらないから大丈夫だよ! ぜったい大丈夫! それより早く部屋にいこ」
ほらっと言って私は和希の右腕を掴むと、急いで階段の方へと向かって二階へと上がった。
もうッ! あのおじさん急に変なこと言わないでよ! だいたい私と和希はただの幼なじみでそんな関係じゃ……
プンスカと頭の中で怒りながら部屋の前までたどり着いた私は、力いっぱいに扉を開いた。そしてその直後、思わず絶句する。
「な、何よこれ……」
私の視界に飛び込んできたのは、想像していたような宿屋の部屋なんかではなく、とても簡易的でボロっちい部屋だった。
部屋にはお風呂どころかトイレも洗面台もついてないし、床の板はところどころめくれ上がっている。窓にはかろうじてプライバシーを守るためのカーテンみたいな布はついているけど、それも色んなところに穴が空いていてちょっと埃っぽい。
いや、そんなことよりも一番衝撃的なのは……
「ベッドが……一つ」
私はその光景を凝視したまま一歩も動くことができなかった。そんな自分の背中から、「どうしたの?」と和希の不思議がる声が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと部屋間違っちゃったみたい!」
私は慌てて扉を閉めると、和希に向かってそう言った。さすがに受付のおじさんも『二名』とたしかに口にしていたので、こんなシングルベッド一つしかない部屋は案内しないはずだ。
そう思って踵を返して受付へ戻ろうとしたが、うーんと声を漏らしていた和樹が口を開いた。
「でもこの部屋であってると思うよ。突き当たりって言ってたし、他の部屋はもう埋まっちゃってるみたいだから」
和希の言葉につられるように私はキョロキョロと辺り見回してみた。たしかに他の部屋にはすでに宿泊者がいるようで、「起こすな」という意味だろうか、扉の取手には札のようなものがぶら下がっている。そして廊下の突き当たりにはこの部屋しかない。
「……」
嘘でしょ? 何この異世界初日にしてハプニングの連続は? しかもよりにもよって和希とそんな……そんな……
私が顔を真っ赤にしてあわあわと一人焦っていると、和希は何事もないかのように部屋の扉を開けて中へと入ってしまった。「ちょ、ちょっと和希!」と言って私も慌てて後を追う。
「ほらやっぱりこの部屋で合ってるみたいだよ」
部屋に入るなり和樹がニコリと笑いながら言ってきた。その言葉にもちろん私は目を丸くする。
「いやいやちょっと待ってよ! そんなのおかしいよ! だってベッドが……ベッドが一つしかないんだよ⁉︎」
私は慌てて言い返すと、
「ここはランク5の宿屋だからね。僕らみたいな駆け出しの冒険者が泊まる宿屋はだいたいこんな感じだよ。むしろあの金額だと普通ならベッドも何もない部屋の方が多いんだけど、きっとあのおじさん僕らのためにサービスしてくれたんだと思う」
「サービスってそんな……」
私は愕然としたまま彼の話しを聞いていた。
っというより、和希のやつやけに詳しいな。まさかとは思うけど……すでに誰かとお泊まりとかしてないよね? 大丈夫だよね??
一瞬そんな不安が頭をよぎった私は、おずおずとした口調で和希に尋ねてみた。
「そ、その……和希も何度かこういうところに泊まったことがあるの?」
「うん。そうだよ」
屈託のない笑顔で即答する和希。そしてその屈託がないところが非常に怖い。
「ふ、ふーん……ソウナンダ」と何故かまたもカタコトになってしまった私は、念のために「誰と?」という言葉を付けたそうと思ったが、躊躇してやめてしまった。
……大丈夫。いくら記憶をなくしているとはいえ、あの素直で良い子の和希がお母さんに内緒でそんなことをするはずかない。決してない。
「じゃあ今日は遅いしそろそろ寝よっか」
「えッ! も、もう寝るの⁉︎」
何の心の準備もなくゴーサインを出してきた和希に、私はこれでもかといわんばかりに目を見開いた。すると彼はポカンとした表情を浮かべて、「寝ないの?」とまさかの再びゴーサイン。
「い、いや寝るけどその……お風呂だって入ってないし……それにそんな狭いベッドで二人はちょっと……」
くるくると指先で髪の毛をハイスピードでいじりながら私が呟くと、困ったような顔をしていた和希が「あっ」と何か閃いたような声を発した。
「だったら僕は下で寝るから宮園さんがベッドを使うといいよ。それだったら広々寝れると思うし」
そう言うと和希は本当に床の上へと腰をつけて早くも寝る姿勢に入ろうとした。そんな幼なじみの姿を見て、私は慌てて言葉を発する。
「そ、そんなのダメだよ! それに和希は昔からお腹が弱いんだから床なんかで寝ると冷えちゃうからダメだって」
「でも……」
「わかった。じゃあ私が床で寝るから和希がベッドを使いなよ。それだったらお腹も冷えないし」
「そ、それこそダメだよ! だって宮園さんは勇者なんだからベッドがあるのに床なんかで寝かせるわけにはいかないよ!」
「……」
そこは勇者じゃなくて、女の子だからって言ってほしかったんだけど……。
思わずそんなことを思ってしまい、私は小さくため息をつく。
結局あれやこれやと譲り合いの論争を続けた自分たちだったが、決着がつく前にお互い疲れ切ってしまい、合意の上で二人ともベッドで寝ることになってしまった。
念のためにもう一度。これはお互い合意の上です。
「それじゃあ寝よっか」
眠たそうに目を擦りながら再びゴーサインを出す和希。そんな彼に向かって反対に目が冴えきっている私はゴクリと唾を飲み込むとゆっくりと頷く。
……大丈夫だ。和希とは幼稚園の時に何度も一緒にお昼寝だってしたことがある。その延長だと思えばいいだけ。
再びゴクリと大きく喉を鳴らした私は和希が布団に潜り込んだのを確認すると、慎重な足取りでベッドまで近づく。そして「し、失礼シマス……」とカチコチの声で言った後、ゆっくりと足を上げて大人の花園へ……もとい、ただのオンボロベッドへと身体を乗せる。
そのオンボロ具合はなかなかのもので、少し動くだけでギシギシとうるさく響くマットレスの音がやけに想像力を刺激してくるので本当に嫌だ。
「………………」
やはりシングルベッド一つに高校生2人は思ったよりも狭くて、私は横を向いて限界ギリギリまでベッドの隅に寄るも、少し動けばすぐに和希の背中がピタリと当たってしまう。
「ご、ごめん和希!」
「う、ううん。僕は大丈夫」
お互い何故かよそよそしい声でそんな言葉を口にすると、またほんの少しだけ離れた。そんな自分たちを、見知らぬ世界の夜の静けさが包んでいく。
「……」
この状況、和希は正直なところどう思っているのだろう?
家族も知り合いもいない屋根の下で二人きり。
いくら相手が昔から知っている幼なじみとはいえ、別に恋愛感情なんて抱いたことがない相手だとはいえ、やはりこの状況は妙にソワソワして落ち着かない。というより、年頃の男女がこんな状況でぐっすりと寝れるわけなんてない。
ここはやっぱり和希にベッドを譲って私が床で寝たほうが……と再びそんなことを思った私はおずおずと唇を動かす。
「あ、あのさ和希……」
「ぐぅー……ぐぅー……」
「………………」
どうやら背中にいる相手は早くも夢の世界へと旅立ってしまったようで、返事の言葉はなく、気持ち良さそうないびきだけが聞こえてくる。
そうですかそうですか、私の杞憂でしたか。そりゃそうですよね。特にこれといって魅力がない幼なじみの私が隣で寝てたって何とも思わないですよね。いいですよいいですよそれで。ぜーんぜん気にしてませんから。
「…………和希のバカ」
おやすみの代わりにそんな言葉を小声で吐き出すと、私はヤケクソになってぎゅっと瞼を閉じた。
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