第2話 ようこそ、カオスへ!

 再び真っ暗な視界の中で、私は自分の意識が少しずつ戻ってくるのを感じていた。

 

 あれ? 私……さっきまで何してたんだろ? なんか……女神の顔をした悪い悪魔に捕まっていたような夢を見ていた気が……


 そんなことを思いながら、「うぅ」と小さく声を漏らした時、近くから普段あまり聞かないような音が聞こえてくることに気づいた。そう、いうならば馬車が近づいてくるような……


「…………馬車?」


 私はそこでハッと意識を取り戻し、慌てて瞼を開けた。そして頭を起こして立ち上がった瞬間、視界に飛び込んできた景色にぎょっとする。


「ここって……どこ?」


 思わず声を漏らした自分の目に映っていたのは、まったく見た事も聞いた事もない異国の『町』だった。

 足元には真っ直ぐと石畳の道が続いていて、その両端にはコンクリートではなく、同じく石を積み上げられて作られた家が軒を連ねて立っている。

 しかもどの家もアンテナの代わりにサンタさんでも入れそうな煙突は立っているし、中には屋根が藁みたいな材料で作られた家まである。

 空の青さと、遠くに見えるのどかな山々の風景も合わさってか、その景色はさながら中世のヨーロッパみたいだ。いや、そんなことよりも……


「な、なんであの人あんなに耳が長いの⁉︎」


 この村に住んでいる人だろうか、バスケットを片手に目の前を通り過ぎていく女性の耳が異様に長いのだ。それだけじゃない。辺りをキョロキョロと見回してみると、あきらかに人間とは違う生物がいたるところにいる姿も確認できる。

 

 ……え、ちょっと待って。あそこにいる猫なんで普通に服着て二足歩行で歩いてんの?

 

 わけわからずあわあわと唇を震わせて固まっていると、「お嬢さんちょっと邪魔だよ」と後ろから突然声をかけられた。


「え?」

 

 振り返った私の目と鼻の先に、馬の顔が急に飛び込んできて、私は「ひッ!」と慌てて避ける。

 見ると、それはどうやら馬車を引っ張る馬だったようで、手綱を握っているカールおじさんみたいな顔をした人に、「道の真ん中に立ち止まってたら危ないよ」と注意されてしまった。私はバクバクと早鐘を打つ心臓を胸の上から必死に押さえると、「す、すいません!」と言って急いで逃げる。


なになになになに⁉︎ ここどうなってんの? どこの国なの? っというより、なんで耳が長い人がいたり猫が服着てふつーに歩いてたりするの⁉︎

 

 わけがわからず泣き出しそうになるのを必死に堪えて、私は見知らぬ家と家の間にある細い路地裏へと隠れた。そして壁に背中を預けると、へにゃへにゃとその場に座り込んでしまう。


「もう一体なんなのさ……私、なんでこんなところにいるんだろ……」


 半泣き寸前の声でそんなことを呟けば、もやもやと頭の中にはさっきまでの記憶が徐々に浮かび上がってくる。

 

 ああそうだ……たしか私はバスの事故で死んで、気がつくと変な場所にいてやたらとえっちぃ服を着た女神とか言ってた人に……

 

 順に記憶を辿って少しでも心を落ち着かせようとしていた時、「誰かその子を捕まえてー!」と誰かが叫ぶ声が耳に届いてきた。

 その声にハッとして顔を上げると、私のいる場所から石畳の道を挟んだ向かい側、坂になっている大きな道の上から1匹の子犬を追いかけている女の人の姿が見えた。犬は飼い主から逃げ出しのか、首輪の紐を自由に泳がせながら猛スピードでこちらに向かって走ってくるではないか。


「誰かお願いーッ! その子を……その子を捕まえて!」


 栗色の長い髪に、まるで女優のような美しい顔をしたその女性は、その美しさを台無しにてしまうほどの必死な形相で子犬を追いかけている。その迫力に動揺してしまっているのか、近くにいる村人たちは誰一人犬を捕まえようとしない。

 子犬は自分がいるこの路地裏に向かって一直線に走ってくる。これは自分が捕まえるしかないか、と思い立ち上がろうとした時だった。両足にうまく力が入らなかった私は、誤ってそのままドテンと目の前に倒れ込んでしまう。


「痛いッ!」


 情けないほどの見事なこけっぷり。

 が、それが良かったのか悪かったのか、ちょうど子犬の進路を塞ぐ形となって、行き場を失った子犬は今度は倒れ込んだ私に懐いてきた。


「ワンワンワンワンワンワン……」


 耳元でやたらと元気に吠え続ける子犬はよっぽど遊んで欲しいのか、私の顔を容赦なくペロペロと舐めてくる。その勢いがすごいのなんのって、私は思わず目を瞑りながら「こら、やめてよ!」と白旗を上げてしまう。すると再びさっきの女性の声が近くから聞こえてきた。


「ありがとうお嬢ちゃん―ッ! ケルベロスの子供捕まえてくれて!」


「……ケルベロス?」


 聞いたこのない犬の種類だなと思いそっと目を開けた時、私は自分の頬をペロペロと舐めている子犬の姿を見て血の気がひいた。なぜか……なぜか子犬の頭が数えてみるとポンポンポンと三つもある。


「ひッ……ひやぁッ⁉︎」

 

 あまりの恐怖に思わず悲鳴を上げて立ち上がった瞬間、目の前までやってきた女性がひょいと犬を抱きかかえた。


「ほんと助かったよ! まさか散歩中にケルベロスの子供逃しちゃったことがバレたら危うく神様にぶっ飛ばされるところだったからねー! いやー、良かった良かった!」

 

 わっはっはと豪快に笑う謎のおねーさんとは裏腹に、私は恐怖のあまり唇を歪めたまま、おねーさんの腕に抱きかかえられている奇妙な生き物を指差す。


「そ、その犬……頭が三つも……」


「そりゃそうだよ。この子は伝説の魔獣の一種、ケルベロスの子供なんだからね。この大きさで頭が一つだと、ケルベロスじゃなくてただのチワワになっちゃうよ!」


 そう言って謎の美女は何が面白いのかまたわははと笑う。

 魔獣が何かもわからないし、ケルベロスと呼ばれているこの子犬も奇妙な生き物にしか見えないけれど、それを抱っこしているおねーさんもよく見ると随分と不思議な格好をしている。

 白いワンピースみたいな服を着ているけれど、その上から青いヒラヒラの布みたいなのをかぶっていて、よーく見るとそこに刺繍されている模様が金色に光っている。

 ジャンル不明、ブランド不明。少なくとも私がよく行くショッピンモールでは、こんな服を売っているお店は見たことがない。


「ほらこの子小さくても一応魔獣だからさ、村の人みんな怖がっちゃって誰も捕まえてくれなかったのよ。だから勇気あるお嬢ちゃんが捕まえてくれてほんと助かった! ほらお嬢ちゃんに迷惑かけたんだからちゃんと謝りなさい、ケロちゃん」


「……ケロちゃん?」

 

 え? 何そのカエルのマスコットみたいな名前……


 次から次へと起こる予想外な出来事に呆然としていると、おねーさんが「おや?」と不思議そうに目を丸くした。


「もしかしてお嬢ちゃん、この世界に転生してきたばっかりとか?」


「え?」


 転生、という言葉が頭にピンとこず私は一瞬きょとんとした顔を浮かべた。おそらく、女神のアスなんちゃらさんが言っていた話しのことなのだろう。違う世界に送り出すって言ってたし。

「は、はい。そうですけど……」とおずおずとした口調で答えると、おねーさんは急に真剣な顔つきで私の姿を頭の上から足先までまじまじと見る。


「ったくアスティーナのやつ、服装といい持ち物といいこの子をこんな姿で異世界に送り出すとか、さては仕事さぼりやがったな。今度会ったらお尻叩き百万回の刑ね!」


 そう言って一人ぶつぶつと文句を言う相手の言葉につられるように、私は自分自身の服装を改めて確認してみた。

 着ている服は自分がたしかに女子高生だったことを証明してくれるセーラー服のままで、履いている靴も学校指定のローファーのまま。そして身につけているものといえば、誕生日の時にお父さんに買ってもらったライトピンクの腕時計だけだ。


「さすがにその格好だと魔王退治はちょっとキツイわよねぇ」と悩ましげに呟くおねーさんの言葉に、私の耳がピクリと反応する。そういえば、アスなんちゃらさんも最後にそんなこと言ってたような……


「あ、あの……『魔王退治』って何ですか?」


「え? もしかしてアスティーナのやつ、その説明もちゃんとしてなかったの⁉︎」

 

 目を見開いて驚く相手に、私はもしかして何かヤバいことに足を突っ込んでしまったのではないかとゴクリと唾を飲む。すると「はぁ」と眉間を押さえて盛大なため息をついたおねーさんは、気を取りなおすように咳払いをした。


「仕方ないわね……私が代わりに説明してあげるわ。この世界はね、お嬢ちゃんが住んでいた世界と違って色んな種族の生き物が住んでるの。中でも『モンスター』と呼ばれる連中は人間に悪さをしたり土地を荒らしたりと悪いことをする連中で、その親玉が『魔王』と呼ばれている存在……」


「……」

 

 あれ? なんかおかしいな……。私、和希を探しに来ただけなのに話しが違う方向に流れているような……

 

 タラリと頬に嫌な汗が流れるのを感じる中、それでもおねーさんは構わず説明を続ける。


「この魔王っていうのがちょっとやっかいな存在でね。200年くらい前までは大人しいただの引きこもりだったんだけど、ここ最近なーんか妙に活動的になっちゃって……まあざっくりというと、今この世界はその魔王に支配されちゃってるってことなのよ」


「……はい?」

 

 ちょっと待って。今一番はしょっちゃいけないところをざっくりとまとめられた気がするんですけど?


「そこでお嬢ちゃんみたいに他の世界から送り込まれた助っ人が登場! ってなわけ。この世界の住人はほとんど魔王にビビっちゃってなかなか退治しようとしてくれないから、だからその人たちの代わりにサクサクっと魔王を倒してほしいってことなのよ」

 

 ねッ、と可愛くウィンクを送ってくる相手に、私の顔は一気に青ざめる。


「ちょ、ちょっと待って下さい! そんなの無理、ぜーったい無理ですって! だ、だって私ただの女子高生ですよ⁉︎ べつに何の特技もないし部活もやってないし頭も特に良い方じゃないし……ま、魔王とかそんな恐ろしい怪物倒せるわけないじゃないですか!」

 

 無理です無理です! と必死になってブンブンと首を振る私に、なぜか相手は愉快そうに肩を揺らして笑っている。

 だいたい自分の部屋に現れたゴキブリ一匹退治できない私が、世界を支配する魔王なんて退治できるはずなんてないッ! 死んでも無理!


「そんなに怖がらなくても大丈夫大丈夫! 魔王と言っても、私から言わせれば大人のケロちゃんにちょっと毛が生えたぐらいの強さだから」


「…………」 

 

 たとえが独特すぎてわけわかんないよッ! なに大人のケロちゃんって⁉︎

 

 ウルウルと瞳を揺らしながらおねーさんの顔をじーっと睨んでいると、相手もさすがに私の心境を察してくれたのか困ったような表情を浮かべる。


「ま、まあ転生させられたからといって魔王退治は義務じゃないから……ち、違う生き方も目指してみるのもいいかもしれないね! ほらお嬢ちゃん可愛くて素直だから、パン屋さんとか向いてそうだし」


「……ほんとですか?」

 

 グスンと鼻を啜りながら尋ねると、おねーさんは「あはは」と苦笑いを浮かべてそっと視線を逸らした。あれ……もしかして私なんか騙されてる?


「と、とりあえずこの世界に転生させられた人はまず初めに自分にあった『職業』を見つけることがルールになってるの。だから職業案内所に行ってみるといいわ」


「職業案内所?」

 

 やっと出てきた聞き慣れた言葉に、私の心が少しだけホッとする。

 たしかに生き返ることはできたとはいえ、この世界で生きていくためには働く必要はあるだろう。高校生を雇ってくれる職場がどれほどあるのか知らないけれど、お金を稼ぐ必要はある。


「さっき私が降りてきた坂の上に立派な職業案内所があるから、そこで適職を診てもらうといいわよ」


「……わかりました。行ってみます」

 

 少し気を取り直した私は指先で涙を拭うとコクリと頷く。そんな自分を見て、おねーさんがふっと優しく微笑む。


「まあいきなり知らない世界に飛ばされて戸惑うこともたくさんあると思うけど、ここも住み慣れたら結構良い世界よ。だから心配しなくても大丈夫!」


 そう言っておねーさんは私の頭を優しく撫でてくれた。そのせいか、自分の視界がまたじわりと滲む。


「あ、そうだ! ケロちゃん捕まえてくれたお礼に、私から良いものをプレゼントしてあげる」


「……良いもの?」

 

 首を傾げて問う私に、「そうよ」とニコリと笑ったおねーさんは、右手の人差し指を私のおでこにピタリとつける。と、その瞬間。私の体が突然白い光に包まれ始めた。


「うわッ!」

 

 驚く私におねーさんはクスリと笑うと、すぐに人差し指を離した。それと同時に光は消えていき、何ごともなかったように元の姿に戻る。


「あなたに神のご加護がありますように……。それじゃあ頑張ってね、宮園朱莉ちゃん!」


「あれ? どうして私の名前を……」

 

 私の質問におねーさんは何も答えずニコリと微笑むと、「またどこかでね!」と言ってケルベロスとかいう子犬を抱いたまま路地裏の奥へと消えて行ってしまった。

 ……何者だったんだろう、あのおねーさん。

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