13
「で、なんでアタシもやるの?」
藍色の胴着に身を包んだリリアが、眠そうな目を擦りながら言った。
道場の天井に空いた大きな穴から、白い朝日が差し込んでいる。夜中に降った雨で、床並んだ木の桶には少し雨水が溜まっている。吸い込んだ空気は酷くカビ臭く、彰は思わずせき込んだ。
彰とリリアを道場に連れ出したのはアクレスである。疲れのせいか昼頃まで寝ていた二人にアクレスは胴着を渡すなり、「着替えろ。修行だ」と言って引っ張ってきたのだ。
「アタシ、剣使わないんだけど。」
「これから教えるのは実戦の動きだけだ。お前も知っておいて損は無い。」
アクレスは懐から細長い布切れを取り出す。そして、それを見て首を傾げる二人に言った。
「今日から三日間、二人にはこれを付けたまま修行してもらう。」
「鉢巻?」
「違う。これで目を覆うんだ。」
「いやいや、無理でしょ。何も見えないじゃん。」
「……そうだな。実際に見せた方が良いか。」
そう言うと、アクレスはその布で自身の目を覆った。
「さぁ、かかってこい。」
「はぁ……、バカじゃないの。アタシ帰って寝てても良い?」
ため息をつきながら立ち上がるリリアを、アクレスは慌てて止める。
「俺だって今日は非番だから布団で寝たいんだよ。でも、これは教えるべきだから、わざわざこうして教えてるんじゃないか。」
「実戦での動き方なら父さんからも教わったし。これ以上、教わることは無いよ。」
「そこまで言うなら……、よし、こうしよう。あそこの木刀で俺を殴れたら帰って良い。ただし、当てられなかったら一緒に訓練だからな!」
目隠ししたアクレスが指さしたのは、入り口横に置いてあった人型の模型だ。三体あるうち一体の胸部には、確かに木刀が突き刺さっている。
しかし、それを見て彰は首を傾げた。アクレスの視界は封じられているにも拘らず、まるで道場内が見えているかのような振舞いだ。
リリアは特に疑問に思わなかったようで、ため息をつきながら木刀を引き抜いた。そして何度か素振りすると、慣れない様子で構える。
「怪我しても知らないからね。」
そう言うや否や、リリアはアクレスに飛び掛かった。対して、アクレスは微動だにせず仁王立ちしている。
リリアは一気に距離を縮めると、木刀をアクレスの頭に目掛けて振り下ろした。攻撃に一切迷いがない。どれだけアクレスが頑丈だとしても、このまま当たれば悲惨なことになりそうだ。それを想像した彰は、思わず顔を逸らす。
ところが、次の瞬間、アクレスはそれを難なく躱して見せた。空を斬った木刀は、高い音を立てて道場の床と衝突する。
「ほら、どうした。教わることは無いんじゃなかったのか?」
アクレスは驚いた顔で木刀を握るリリアを挑発する。
「この……!」
リリアは木刀を握りなおすと、向かって何度も飛び掛かっていった。しかし、その攻撃は、尽くアクレスに躱されてしまう。
その動きは視界が塞がれている人間の動きのようには見えない。いや、見えていたとしても、あれだけの攻撃を避け続けるのは難しいだろう。
しばらくして、リリアの息が上がってきた頃。アクレスは彰に向かって言った。
「おーい、アキラ。お前も来い。」
「……ちょっと! ……アタシの相手は!」
「二人同時に相手してやるよ。」
「いやいや、さすがに無理があるでしょ。」
「俺は戦場で何万という敵を相手にしてきた男だぞ。お前たち二人程度、なんてことないさ。」
「俺たち程度、ねぇ……。」
彰はその言葉に立ち上がると、道場の端に落ちていた木刀を拾い上げた。そして、アクレスに向けてそれを構える。大きく息を吐いて呼吸を整えると、力強く地面を蹴った。
「システィアから、『流れを見抜け』と教わっただろ。」
アクレスは彰とリリアの攻撃を躱しながら言う。
「あらゆる事象に原因があるように、あらゆる攻撃においても、その行動のための予備動作がある。あらゆる行動には、ある一連の『流れ』があるんだ。実戦で敵の攻撃を避けるには、その流れを素早く、正確に読み切る必要がある。それを極めれば、こうやって目隠しをしても攻撃を避けられるようになるのさ。」
そこまで言うと、アクレスは二人の木刀を両手で止めた。
「少しはやる気になったか?」
彰とリリアは顔を見合わせると、木刀を置いた。
「視覚からの情報が多い分、人間はそれに頼り切ってしまって、他の大事な情報を見落としてしまう。見えてるからこそ、大事なものが見えなくなるってことだな。」
目隠しをして座っている二人にアクレスが言う。
「どういうことだよ。」
「つまりは……、こういうことだ。」
アクレスは床に落ちていた木刀を拾って構えると、座っている二人の間を目掛けて大きく振った。その風圧で二人の髪の毛がふわりと揺れる。
「アキラ、今何を感じた?」
「風……?」
「それだけじゃない。もっと感覚を研ぎ澄ますんだ。」
再びアクレスは木刀を振るった。
「リリア、どうだ。」
「……踏み込みの音、振り上げる音、剣が通り過ぎた風圧。あと、弱い殺気かな。」
「まぁ、ざっとそんなもんだ。」
アクレスは木刀を置く。
「敵が攻撃するとき、必ず直前に『流れ』が生まれる。力んだ相手の息遣い、向かってくるときの風圧、殺気。数えていけばキリがないな。俺が教えたいのは、そういう情報を直前で見極めて、敵の攻撃の前に攻撃を躱す方法だ。」
「攻撃の前に、攻撃を躱す? そんなの出来るのか?」
「俺の言う通り修行すればな。よし、一度二人とも目隠しを取れ。」
アクレスはそう言うと、二人の前に全身を覆う防具を投げてよこした。頭を保護するための革でできたヘルメットのような物まである。
目隠しを外した彰は、あることに気が付いた。防具が一人分しかない。対して、横に置かれた木刀は二本。
「……もしかして、『ひたすら殴られ続けろ』とか言わないよね?」
「俺の修行ってのは、ひたすら攻撃を避け続けるだけの簡単なものだ!」
「そのまんまかよ!」
不満顔の彰に、アクレスは頭を掻きながら答える。
「これが一番良いんだよ。ほら、どっちから殴られるか早く決めろ。」
修業というには、あまりに強引すぎて馬鹿らしくも感じるが、アクレスがそう言っている以上、やらないわけにはいかない。これから旅をしていくために、元の世界へ帰るために、強くならなければならないのだ。
静かに決意した彰がふと横を見ると、リリアが黙って防具を彰に押し付けていた。
「お前なぁ!」
「大丈夫。急所は外すから。」
「それで安心できるか!」
どうしても譲らないリリアに根負けし、彰は立ち上がった。洗ったらしいが、まだ少しカビの臭いがする防具に袖を通す。ヘルメットを着けて目隠しをすると、彰は大きく息を吐いた。
「よっしゃ! どこからでもかかってこい!」
◇◇◇
「うわぁ、師匠。例のやつやったんですね……。」
仕事を終え、道場に来たシスティアが呟いた。
日は傾き始め、外からは鴉の鳴き声が聞こえてくる。道場には、木刀で素振りをしているアクレスと、修行を終えて横になる二人が居た。
道場の空気はカビ臭さに熱と湿度が加わって、とても快適な物とは言えない。床もボロボロで、普段であれば寝転がるには躊躇するのだろうが、二人はそれが気にならないほどに疲れ切っていた。
「あれ? 防具付けなかったんですか?」
システィアは彰の腕や足にできた青痣を見て言う。すると、彰は勢いよく飛び起きてリリアを指さした。
「こいつの殴る力が強すぎるんだよ!」
「アナタが避けるの下手くそなんでしょ。」
「お前が上手すぎるんだ! 初めてじゃないのかよ!」
木刀の一撃は非常に大きい。防具をしているとはいえ、手加減なしの攻撃を食らえば、その衝撃は容易に体まで貫通する。
当然、修業初日の彰は二人の攻撃避けられるはずも無く、全身でその衝撃を受け止めていた。対してリリアはというと、初めの数発は食らったものの、すぐにコツを掴んだのか、なんとか攻撃を読めるようになってきていた。痣の数も彰とは段違いに少ない。
不満げな顔で再び寝転がる彰に、リリアは「アナタとは経験値が違うの」と小さく言った。
奥に居たアクレスは、苦笑するシスティアを見て素振りをやめた。そして、手に持った木刀を置くと、汗を拭きながら言った。
「ってことで、システィア。お前の弟弟子と妹弟子だ。暇があれば相手してやってくれ。」
「あ! 確かに、そういうことになりますね!」
システィアは嬉しそうに言うと、何かを思いついたかのように手を叩いた。
「リリアちゃん、一緒に温泉行かない?」
「え、温泉?」
「母屋の裏手を少し行ったところに、天然の温泉があるの。あ、私道具取って来るんで、待っててね!」
「え、あ、ちょっと待って……」
リリアは慌てて起き上がるが、システィアは既に道場を飛び出していってしまっていた。それを見たアクレスは転がる彰を担ぎ上げると「さ、俺たちは向こうで水浴びだ」と言って道場から出ていく。
一人残されたリリアは、困惑した顔でそれを見送るしかなかった。
硫黄の臭いに顔をしかめながら、リリアは服を脱いでいく。立ち上る白い湯気の向こう側には、システィアの後ろ姿がぼんやりと見えた。精巧に作られた義手の横に脱いだ服を置くと、リリアは手ぬぐいを持って湯気の中へと入っていった。
「右腕、義手だったんですね。」
リリアが言うと、システィアは笑いながら肩をさすった。首に提げたままの青い宝石が揺れる。
「言ってなかったっけ。戦争で吹き飛んじゃったんだ。この右目もその時にね。」
システィアの体には、義手を外した右肩から脇腹にかけて大きな傷跡があった。顔の右側も大きな火傷跡が残っている。戦争があったのは五年前だが、その爪痕は彼女の体に今でも明確に残っている。そして、その爪痕は一生消えることは無い。
システィアは温泉に浸かると、大きく息を吐き出した。
「リリアちゃんも入りなよ。少し熱いけど気持ちいいよ。」
リリアは小さく頷くと、ゆっくりと温泉に浸かった。疲れた体に熱いお湯が沁みていく。少し感じていた緊張も、知らない間に解けて無くなっていった。
二人はしばらく黙ったまま浸かっていると、不意にシスティアが口を開いた。
「リリアちゃんって、アキラ君の事どう思ってるの?」
「な、なんですか急に!」
「わざわざ月島まで来てくれるってことは、何かこう、特別な感情を……」
「無いですよ! 何も無いですって!」
リリアは慌てて顔を背ける。けれども、すぐにシスティアの方へ向き直り、小さな声で尋ねた。
「シ、システィアさんは、アクレスさんの事……、その……、す、好きだったりするんですか?」
「好きだよ?」
「そ、その『好き』は…………、あの……、愛してるっていう意味の……?」
「そうだよ?」
「わぁ……。」
リリアは赤い顔で目を見開く。
「師匠だけじゃなくて、お義父さんも、アキラ君も、もちろんリリアちゃんの事も愛してるよ。」
「えぇ……、私?」
「そう。リリアちゃんも、もう私の大事な家族だからね。」
「あぁ、そういうこと……。」
リリアは不満げな顔で息を吐くと、システィアは優しく笑った。
「……でも」
システィアが懐かしそうに遠くを見ると呟いた。
「昔、特に大切だった人が居たの。」
「それって……。」
「ただ、その人はもういないんだ。五年前の戦争で、私を庇って吹き飛んじゃったの。私の右腕と一緒にね。」
そう言うと、首に提げていた青い宝石を外した。
「これ、リリアちゃんにあげる。」
「大事な物なんじゃないの?」
「大事なものだからだよ。大事なものだから、リリアちゃんに持っててほしいの。」
システィアは、宝石をリリアの首元に提げる。
「伝えたい大事な想いは、伝えられるうちに伝えないと後悔するからね。リリアちゃんには後悔してほしくないの……。」
その言葉は、立ち上る白い湯気と共に薄暗い夜空へと吸い込まれていった。月を隠していた小さな雲が、風で東へと運ばれていった。
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