12

 彰たちが月島へ辿り着く数日前の事である。

 シルヴァは軍部の自室へと入ると、茶色いカーテンを開けた。窓から差し込んだ日の光が、机に積まれた資料の山を照らしている。シルヴァはそれを見て大きく息を吐く。

 例の火事と国王暗殺の対応のせいで、元々多かった仕事が倍以上に増えた。中央都の再建は急ピッチで進んでいるが、被害が大きすぎたせいで元通りには程遠い。

 シルヴァが資料を読んでいると、部屋の扉がノックされた。顔を上げると、ヘクターが片手に新たな資料を持って立っている。

「ヘクター。どうかしたのか?」

「義父さん。月島から緊急の連絡が入ったらしいです。」

 そう言って、ヘクターは持っていた資料を渡した。シルヴァはそれに目を通すとポツリと呟く。

「……月島でも襲撃か。」

「襲撃は例の大火と同日です。そして、おそらく九頭龍による犯行かと思われます。中央都の火事のような被害は無かったのですが、王子の命が狙われていたと……。」

「そうか……。」

 シルヴァは頭を抱える。

 王子の居所は、国内でも一部の人間にしか知らされていない機密事項だ。それが洩れたという事は、国の中枢にまで敵のスパイがいるという事に他ならない。これは、国家の存亡にも関わる一大事である。

 すると、ヘクターはシルヴァの持つ資料をめくった。

「ただ、その襲撃は失敗しました。」

「失敗?」

月島専属のとある用心棒が王子を守ったとか。その用心棒と言うのが月島の英雄、三十年前の戦争で『双頭の蛇』と呼ばれていた二人組の片割れです。」

「………あぁ、彼か。全く、何の因果か。」

 シルヴァは資料に載っていた名前を見て、眉間にシワを寄せた。


◇◇◇


 西の街の中に太陽が半分ほど沈んだ頃。二人が店から出ると、少し先に大柄な男が歩いているのが見えた。周囲の人々よりも頭一つ以上大きな彼は、間違いなくアクレスだ。ちょうど会議が終わった所なのだろう。

「おーい! アクレス!」

 二人が駆け寄ると、アクレスは両手を上げて喜んだ。

「無事でよかったぁー!」

 そう叫ぶ彼の目には若干涙が浮かんでいる。

「すぐに引き返して迎えに行こうとしたんだが、来てみれば月島の方も大騒ぎでな……。俺もシスティアも引っ張りだこで……。」

 確かに彼の顔は若干やつれているように見える。

 アクレスとシスティアがこの島へと着いたのは、王子暗殺未遂からすぐの事だった。その事件では王子の暗殺は失敗に終わったものの、軍幹部の半分以上が二人の暗殺者によって殺害されるという、甚大な被害を受けることとなった。月島駐屯軍としては、頭脳の大半を失ったようなものだ。

 月島へ辿り着くなり、二人は膨大な仕事の処理に回されたのである。

「リリアも付いてきてくれたのか。わざわざ悪かったな。」

「……単なる気まぐれだよ。特に何かしたわけじゃないし。」

「いや、俺一人だったら死んでたよ。何度も命を救われた。ありがとう。」

 彰がそう言うと、リリアは少しうつむいて顔を背けた。

「そういえばアクレス。システィアさんは? 一緒じゃないの?」

 彰はアクレスに尋ねる。二人は一緒に居るものだと思っていたが、システィアの姿が無い。

すると、アクレスは彰の首元に提げられた宝石を見て答えた。

「システィアなら実家に帰ってるよ。久々の休暇だ。今頃、ぐっすり眠ってるだろうな。」

「実家?」

「あぁ、言ってなかったか? あいつは月島出身なんだ。」

 アクレスは街の南側に見える小さな山を指さす。

「あの山にあいつの実家がある。俺もそこに泊まらせてもらってるんだが、お前らも一緒に来るか?」

 願っても無い申し出だ。彰とリリアは「行く」と即答した。


 広く枝葉を延ばした常緑樹が茂っている。時折、涼やかな風も吹き抜け、ハイキングをするには最適な気候である。だが、舗装されていない山道は、長い旅路を終えた二人にとっては途方も無く長い道に思えた。

「ほら、お前ら。見えてきたぞ。」

 彰とリリアの荷物を持ったアクレスは、参道の先を指さした。そこには木々に囲まれた体育館のような建物が見えた。その裏には、一回り小さな家が建っている。

「ボロボロじゃん……。」

「文句言うなよ、リリア。野宿よりはマシだろ。」

「お前ら、散々な言い様だな……。」

 大きな建物の壁には縦横無尽に蔦が這っており、随分古いように見える。屋根の瓦は部分的に無くなっており、ボロボロの木の板で補強されていた。

 ガタガタと音を立てながら木製の引き戸を開けると、目の前に広がっていたのは板敷きの広い部屋だった。床に置かれた桶は、おそらく雨漏り対策のためだろう。隅には人を模したような人形が数体置いてあり、その一つには木刀が突き刺さっていた。

 その部屋の中央では、一人の女性が大の字になって寝ている。

「おい、システィア。起きてくれ。」

 アクレスが声をかけると、彼女は大きな欠伸をしながら体を起こした。そして、眠そうな目を擦りながら、三人のいる方を見る。

「んぁれ……? 師匠が三人……?」

「システィアさん。久しぶり。」

「久しぶりって…………、あぁ! アキラ君だ! リリアちゃんも居る!」

 システィアはそう言うと、二人に駆け寄ってきて抱きしめた。ふわりと漂う優しい香りに、思わず彰の鼓動は跳ねあがる。

「シ、システィアさん! あの、これを!」

 彰は腕の中から抜けると、首に付けていたペンダントを外す。システィアは笑顔で青い宝石を受け取ると首に付けた。

「マサ爺は居ないのか?」

 三人の様子を嬉しそうに眺めていたアクレスが言う。

「今居ないですよ。あ、二人もここに泊まるんですか?」

「あぁ。俺、ちょっと荷物置いてくるよ。」

 アクレスはそう言うと、二人の荷物を担いで外へ出ていった。

「マサ爺ってのは誰?」

 その後ろ姿を見送った彰はシスティアに尋ねる。

「私のお義父さんですよ。ここの剣術道場の師範だったんです。……あ、ちょうど掃除の途中だったんですよ。」

「こ、これで……?」

 彰が思わず呟くと、システィアは困ったように笑いながら答えた。

「掃除する前は、もっと酷かったんですよ……。なにしろ、何十年も使ってない上に、お義父さんも掃除しないもんだから……。」

 この体育館のような場所は、どうやら剣術道場だったらしい。

 話によると、マサ爺と言う男は、この道場で五十人を超える弟子を相手に剣術を教えていたのだそうだ。この道場で教えていた『草風流』という剣術を極めた彼は、戦場で数百という敵兵の首を落としたという。音も無く間合いを詰め、相手の喉元を切り裂くその剣技により、いつしか彼は『蛇剣のマサ』という異名で一部では神格化されるほどであった。

 だが、道場はある理由によってマサ爺自身によって閉鎖された。そして、それを境にマサ爺は表舞台から姿を消し、この場所で引き籠るように生活している。

「でも、最近になって用心棒の仕事を始めたらしいんです。そのせいなのか、少し顔も明るくなってきて……。」

 システィアが嬉しそうに言うと、道場の扉が大きな音を立てて開いた。

「んお……? お客さんかな?」

 しわがれた声に彰とリリアが振り返る。

 扉の前に立っていたのはアクレスではなく、一人の老人だった。その細い手足にスラリと高い身長から、まるで枯れ枝が立っているかのように見える。

「あ、お義父さん。おかえりなさい。」

「おう。なんだ、その……、友達か? それにしては随分と若そうだが……。」

「この前話した、アキラ君とリリアちゃんだよ。」

 システィアが言うと、その老人は「あぁ」と呟いて二人に頭を下げた。

「ここに住んどるマサです。どうぞ、よろしく。」

「リ、リリアです!」

「あ、彰です。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 リリアと彰も慌てて頭を下げた。

 この細長い老人がマサ爺のようだ。先ほどの話から屈強な男を想像していたが、その想像とは対照的な人物だ。

 マサ爺は道場を見回すと、苦笑いしながら頭を掻いた。

「汚くて悪いね。この道場は何十年も使ってないんだ。話は母屋の方でしようか。」

「お義父さん、たまには掃除しなよ。」

「分かった分かった。」

「いっつも『分かった』ばっかりじゃない。たまには自分でも掃除してよね。特にあの辺の雨漏りしてた所とか……あれ、お義父さん!」

 システィアの小言の隙に、いつの間にかマサ爺の姿は無くなっていた。気配はもちろん、ボロボロの扉を開閉する音もたてずに逃げ出したのだ。

 ため息をつくシスティアを見て、彰とリリアは思わず「これが蛇剣のマサか……」と呟いた。


 道場の奥に見えた、一回り小さな建物。ここがマサ爺の住む母屋である。

 普段使っているからか、道場のように雨漏りしていたり扉の立て付けが悪かったりという事は無い。そして、驚くことに部屋は襖で仕切られており、外向きの部屋には縁側があった。まるで日本に帰って来たかのような錯覚を覚えるが、これもエリの言っていた『日本文明の跡』なのだろう。

 道場よりは小さいものの住むにしては広い家で、彰とリリアは余っていた部屋に泊まることになった。部屋には既にアクレスが荷物を運び入れており、半分開いた障子の奥には白い月が上り始めているのが見える。

 部屋で休んでいた彰とリリアは、「飯だぞぉ~」というアクレスの声で立ち上がると、その部屋を出た。

「おう、二人ともこっちに座れ。」

 囲炉裏でぐつぐつと煮立つ鍋の向こうから、赤い顔のアクレスが二人を手招きする。その横に座るマサ爺とシスティアの顔も赤い。どうやら、二人が部屋で休んでいる時には既に呑み始めていたらしい。部屋にはアルコールの臭いが漂っていた。

「で、元の世界には帰れるんですか?」

 酒を呑んでいたマサ爺が船をこぎ始めた頃、システィアが彰に尋ねた。

「そうだよ。アキラ、お前はそのために来たんだったよな。」

「そういえば私も聞いてない。」

 アクレスとリリアも彰に詰め寄る。

 彰は口の中の食べ物を飲み込むと、あの地下室で見た物とエリとの会話を説明し始めた。途中、眉間にシワを寄せた三人から何度も質問攻めにあったが、囲炉裏の火が消える頃には全員がそれなりに納得したようだった。

「つまり、お前は俺たちのご先祖ってことか。」

「まぁ……、そうかもねっていう話だよ。まだ本当かどうかは分からないんだ。」

「なるほど……。ただ、帰る方法は見つかってないんだな?」

 アクレスの言葉に彰は頷く。彰の目的は元の世界に帰ることだ。どれだけ仮説を立てた所で、その方法が分からなければ意味がない。

 そのためには、この世界のどこかに居るであろう、アルフレッドという男を探し出さなければならないのだ。だが、その手掛かりは何もない。これからは完全に手探りの旅となる。

 アクレスは手元の酒を一気に飲み干す。

「お前の旅はここからが本番ってわけだ。」

「そうだね……。」

 すると、アクレスは持っていた盃を音を立てて置いた。

「よし、今後は俺が本格的に鍛えてやる。」

「え?」

「今回みたいに、これからも誰かが一緒とは限らねぇ。一人で旅するには、お前の剣の腕だと弱すぎる。」

 彰の脳裏に、銃を向ける狼の姿が浮かんだ。これから旅を続けて行けば、あのような敵と何度も相まみえることになるだろう。今のままの彰では、勝つことはおろか、逃げることすらままならないだろう。

「明日からは実戦での立ち回りを教えてやる。ここには俺の他に師範代もいるからな。」

 そう言って笑うアクレスの横で、マサ爺は静かに寝息を立てていた。


◇◇◇


 すっかり葉を落とした木々の隙間からは、満天の星空が見える。梟の声が静かに響く街外れの森で、二人の男が小さな橙色の焚火を囲んでいた。

「………転移者がいる? この月島にか?」

 その焚火の前に座っていた小柄な老人――蛇は、手元の黒い機械に向かって言った。

『そうだ。アキラ君以外に一人、エリという女性がいるらしい。詳しい情報はまた後で伝えよう。』

 ノイズ混じりの声に、蛇は首を傾げる。

「まさか、それも捕らえて来いと言いたいのか?」

『まさか、無理だとでも言うんじゃないだろうね?』

 蛇はため息を吐く。

 数年前から、九頭龍は戦争屋という男の依頼を優先的に受けている。その対価として多額の依頼料と様々な道具を受け取っており、壊滅寸前だった九頭龍にとって、戦争屋は正に救世主とも呼べる男であった。

 しかし、蛇はこの戦争屋という男を、どうにも信用できずにいた。見た目が胡散臭いというのも理由の一つだが、最も大きな理由は彼の用意する道具である。

 この黒い機械もその一つなのだが、どうも魔法具ではない上に、見たことの無い素材でできているのだ。そのことについて尋ねると、彼は「君は知らなくていい」と答えた。

 ただ、彼の存在は九頭龍にとって損どころか、むしろ得であり、「胡散臭い」というのが依頼を断る理由にはなり得ない。

 蛇は頭を掻くと、機械に向かって言った。

「……了解した。作戦に組み込もう。」

『君、確かマテラスでは「双頭の蛇」とか言われていたんだろ? ふふふ。期待しているよ。』

 気色の悪い笑い声が聞こえたかと思うと、その黒い機械の音はぶつりと途絶えた。

 蛇はそれを懐にしまうと、焚火に枝を投げ入れる。

「……戦争屋か?」

 それまで黙っていた若い男が、肩を落としている蛇に話しかけた。

「標的が一人増えた。エリという転移者の女性だ。」

「つまり、今回の標的は三人という事か。荷が重いな。」

「いや、四人だ。蜘蛛の娘もこの島に居る。俺は手を出さんが、他のやつらは迷いなく殺すだろうな。」

 それを聞いた若い男は再び黙り込んだ。

「とにかく作戦実行の日は変わらん。それまでに覚悟だけはしておくんだな。」

 その言葉を最後に、再び森に静寂が訪れた。

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