11
ランタンの灯りが、冷たい石の壁を橙色に照らしている。
埃臭い階段を降りると、目の前に重厚な鉄の扉が現れた。エリがそこに鍵を差し込んで捻ると、地下にガチャリと大きな音が響いた。
「良いかしら?」
エリの問いかけに彰が頷くと、彼女は軋む扉をゆっくりと開けた。
小さなランタンによってぼんやりと照らし出された部屋は、六畳ほどの小さな部屋だった。壁の棚には雑多に物が置かれ、中央にある机の上には埃が積もっている。
アルフレッドは一年前に姿を消したと言っていた。この倉庫は、おそらくそれ以来使われていなかったのだろう。
エリは部屋の灯りに積もった埃を吹くと、そこに火を灯した。
「ここにあるのは、全部この世界に転移してきた『物』よ。」
「転移してきた『物』?」
「転移するのがヒトだけとは限らないでしょ。アルフレッドはそういう転移物を集めてたの。」
一見すると何の変哲もない倉庫だが、よく見ると棚に並んでいる物は、この世界の物ではない。エリによれば、壊れた腕時計、欠けたティーカップ、凹んだスプレー缶など、棚に並んでいる物は、全て元の世界の物ばかりらしい。
なぜ集めているのか、エリが昔聞いてみたことがあったらしい。その時、彼は一言「ホームシック」と答えたという。
彰が少し懐かしそうに部屋を物色していると、棚に置かれたある物に目が留まった。
「これは?」
彰は棚に置いてあった金属製の筒を指さして尋ねる。その周りは傷だらけで、腐食したのか、ところどころ穴が空いており、下手に触れば崩れてしまいそうだ。
これも元の世界の物なのだろうか。それにしては、やけに古いもののように見える。
「それ、タイムカプセルよ。中はもうボロボロになってたけどね。」
「こんな物まで、異世界転移してきたのか……。」
「ふぅん……、『異世界転移』ねぇ……」
エリはその筒を手に取った。そして、「読んでみて」と言って筒の底の部分を彰に見せる。
よく見ると、底の部分に何か文字が彫られている。
「耐腐食タイムカプセル用金属缶、製造、西暦……二一六三年……。」
「アキラ君が居たのは何年だった?」
「俺が居たのは……、二〇二一年……。」
彰はそう呟いたきり、黙り込んだ。頭が情報を処理しきれない。
この表記が正しいとするならば、目の前にある物体は未来で製造されたという事になる。つまり、彰の居た世界よりも未来から転移してきたという事なのだろうか。
固まっている彰を見て、エリは意地悪そうに笑う。
「もう一つ、追加情報言っても良いかな?」
彰が頷くと、彼女はゆっくりと言った。
「これは、三年前に月島で『出土』した物よ。」
「しゅ、しゅつどって言うのは……、出土?」
「そう。これが埋まってたの。」
口を開けたまま動かない彰を見て、エリは嬉しそうに笑う。彼女は持っていた筒を棚に戻すと、机の上に積もった埃を払って、その上に腰掛けた。
「私も最初にアルフレッドから聞いた時はそんな感じだったわ。」
「これってどういう……?」
「あそこの地図見えるかしら?」
エリがそう言って指さしたのは、部屋の壁に掛かっていた大きな地図だ。そこには九州地方だけが大きく描かれている。
「実は、さっきの缶とあの地図だけは、転移物じゃないの。あの地図は、アルフレッドが部下に指示して歩いて測量させた、この島の全体図なのよ。」
「ってことは、あの九州っぽいのが月島ってことか。」
「九州っぽい、じゃなくて、ここは九州地方よ。」
その言葉で、彰も少し理解してきた。
彰の居た時代よりも未来に造られた物が出土したこと。そして、ここは九州であるというエリの言葉。
これらが意味することは、おそらく一つだ。
「……俺たちはタイムスリップしてきた、とか。」
彰の言葉に、エリは驚いたような顔で答えた。
「さすが。理解力が高いって話は本当みたいね。」
「ってことは……。」
「そうよ。私たちがしたのは、『異世界転移』じゃなくて『時間転移』だったってこと。」
彰はそれを聞いて、大きく息を吐き出した。
太陽や月の動き、星の並びまでもが同じだったこと。未来の世界で製造されたものが出土したこと。この島が、月島であり、九州地方でもあること。
これら全てを解決する答えは一つ。『この世界が遠い未来の世界である』という事だけだ。
だが、それでも説明できないことが一つある。
「魔法具は日本に無いですよね。」
この世界が、彰の居た世界よりも未来の世界だとすれば、この世界も同様に魔法など無いはずだ。ところが、ここに暮らす人々の大半が、平然と魔法具を使っているのだ。
すると、エリは棚の上を指さした。
「あれ、見えるかしら。」
彰も棚の上に目を向けるが、積もった埃以外には何もない。彰が首を傾げると、エリが続けた。
「信じられないかもしれないけど、あそこに精霊がいるの。」
「せ……、精霊。」
「そう。森羅万象を司る、超常的な存在。魔法具の発動は、彼らが自然法則を媒介してくれるお陰で成り立ってるの。」
改めて棚の上を見た。しかし、見えるのは相変わらず埃だけで、虫一匹すら見当たらない。
眉間にシワを寄せる彰を見て、エリは笑いながら言った。
「まぁ、見えないのが普通よ。この世界でも見える人はあまり居ないわ。ただ私は、小さい頃から彼らのことが見えてたの。」
「へぇ……、いや、小さい頃からって言ったら、転移前から見えてたんですか?」
エリは笑いながら頷く。
「まぁ、無理に信じろとは言わないわ。これまで信じてくれた人も居なかったしね。ただ、私が思うに、元いた世界でも魔法具は原理的には可能だと思う。」
彰はエリを見るが、彼女の目は真剣だ。信じられない話ではあるが、実際に魔法具という物が存在して機能している以上、彼女の話も嘘ではないように思える。
「私はね、このマテラス王国は、遥か未来で日本人の末裔が再び興した国なんだと思うの。その証拠に、日本の文明の跡が所々に見えるでしょ。特に言語なんて良い例ね。」
エリは机から降りると、服に付いた埃を両手で払いながら「何か質問とかある?」と彰に尋ねた。彰は少し考えて口を開く。
「なんで俺たちはタイムスリップしたんですか?」
「さぁね。前に、転移した時のことを思い出そうとしたけど、酷い頭痛のせいで何も思い出せなくてね。」
転移した瞬間を思い出そうとすると頭痛がするというのは、やはり転移者に共通の事らしい。
「アルフレッドさんは何か言ってなかったんですか? 帰る方法を知っていると手紙に書いてあったんですけど。」
「特に何も言ってなかったわ。私も聞かなかったし。」
「聞かなかった?」
彰が尋ねると、エリは彰の肩を叩いた。
「私は元の世界よりも、私の旦那が居る世界に居たいのよ。」
そう言って笑うと、部屋の灯りをふっと吹き消す。
「さ、戻りましょ。上で二人が待ってるわ。」
彰が頷くと、二人は地下の部屋を後にした。
一階へ戻ると、二人はカウンター越しに何か話していた。少し赤い顔のリリアが持つグラスには、薄茶色の液体が注がれている。
「ちょっと、ケイロン! 子供に何飲ませてるの!」
エリは慌てた様子でグラスを奪い取って匂いを嗅ぐと、安心したようにグラスを置いた。どうやら普通のお茶だったらしい。リリアは赤くなった頬を両手で叩いて立ち上がった。
「さ、そろそろ行こっか。もうすぐ日が暮れるよ。」
壁の時計を見ると、五時半頃を差している。冬に近づいて日が短くなったせいか、この時間でも窓の外からは柔らかい茜色の光が差し込んできていた。
「そうだな。入れ違いになるとマズい。」
彰とリリアは礼を言うと荷物を担ぎ上げる。少し休んだだけだというのに、背負った荷物はやけに軽く感じた。「いつでも来て良いからね」というエリの言葉を背に、二人はバーを出た。
◇◇◇
窓の無い部屋に大きな円卓が置かれている。そこには一人の男が葉巻を口に咥え、彼は椅子にもたれるように座りながら足を卓上に放り出していた。彼は時折、腕時計を眺めては、ため息とともに白い煙を吐き出している。
そこへ、軋む音を立てながら部屋の大きな扉が開いた。
「おや、鴉。君しか来ていないのか。」
部屋に入って来るなり、戦争屋は呆れた様子で言った。持っていた袋から、干しブドウを掴んで口に放り込む。鴉はその姿を見ることも無く、投げ出した足を組むと、煙を吐きながら葉巻の火を手で揉み消した。
「龍は来ないとして、蟷螂と蛇は月島、梟は寝坊だ。狐は知らん。まぁ、どうせ来るのは俺だけだろうな。」
「彼はどうした。あの……、銃を持った……」
「狼か? アイツは死んだよ。」
「ん? あぁ、そうだった! あれは死んだんだったな。」
戦争屋は頷きながら呟くと、鴉の向かいに座った。
「やれやれ。報告はどれも残念な結果ばかりだ。アキラ君の誘拐を失敗し、王子の暗殺も失敗し、挙句の果てに一人殺されるとは……。君たちなら仕事に失敗は無いと思ったんだがな。」
「国王はやったじゃねぇか。あれで十分釣りがくるだろう。」
「国王を殺しても世継ぎを潰さなければ意味がないだろう。それに、君もアキラ君を逃がしているじゃないか。」
「逃がしたんじゃない。あれは『泳がせてる』ってんだ。まだ収穫には早いんだよ。」
戦争屋はそれを鼻で笑う。そして、おもむろに懐から黒い機械を取り出して、円卓の上に置いた。
「さて、作戦会議を始めようか。今度こそマテラス王家に止めを刺そう。」
戦争屋は嬉しそうに言うと、干しブドウを口に放り込んで噛み潰した。
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