14

「あの子たちが来てから、もう半月になるのね。年取ると、時間の流れが早く感じるわ。」

 カウンター越しに店のドアを見つめながら、エリはポツリと呟いた。布巾でテーブルを拭いていたケイロンも、「そうだなぁ」と言ってドアを見た。

 壁に掛かった時計は一三時を過ぎている。店先には、常に「開店しています」という看板を掲げているが、これまでの来客は彰たち以外にはいなかった。今も、店に居るのはエリとケイロンの二人だけだ。

「そう言えば、今日新月らしいわよ。そう言えば、新月になると良いことが起こるとか、昔教えてくれたわよね?」

「逆だよ。新月は月神様の休みの日だから、悪いことが起きやすいんだ。」

「そうだったかしら。ま、どっちでもいいわ。」

 エリは並んでいたグラスを手に取ると、それを拭きながらケイロンに尋ねた。

「ところでさ。今更だけど、リリアちゃんと何話してたのよ。まさか、ずっと無言だったなんてことは……、いや、あなたなら有りそうね。」

「いや、ちゃんと話したよ。いろいろと。」

「いろいろって何よ。」

「『アキラ君とは恋人同士なの?』って聞いた。」

 それを聞いて、エリは思わずグラスをカウンターに落とした。

「……あんた、本当に聞いたの?」

「うん。」

「はぁー……。で、返事は?」

「『そんなのじゃないです』ってさ。」

「あらぁー……。あなた凄いわ。」

 エリはグラスを拾うと、再びそれを磨き始める。

「それで、リリアちゃん赤くなってたのかぁ。あー、甘酸っぱいわ。この前来てくれた時に詳しく聞けば良かったわ。」

「今度は僕らが会いに行こうか。」

 エリが「そうね」と答えると、店の扉が開いた。店先に立っていたのは小柄な老人と、若い男の二人組である。

「いらっしゃい。席ならお好きなところに……」

「いや、我々は客じゃない。少し話を聞きに来たんだ。」

 老人はそう言うと、懐に隠していた刀を抜いた。

「アキラ、という少年について聞かせてもらおうか。」


◇◇◇


「ここも何とか落ち着いてきましたね。」

 システィアが言うと、横を歩いていたアクレスが「そうだな」と呟いた。二人の歩く二階の廊下の窓からは広い中庭が見える。

 ここはマテラス王国軍月島駐屯地。彰が月島を訪れた時に見た、あの大きな建物がそれである。九頭龍の襲撃から半月ほどが経った今。ここ月島駐屯地では新たな首脳陣を迎えて、再スタートを切っていた。各地方の部隊からの人員補充もあり、アクレスやシスティアに回っていた仕事も最近ではほとんど無くなりつつある。

「中央都からの帰還命令も間もなくだろうな。」

「そう言えば、ユドラー大将が中央都に向かわれたそうですよ。この前の襲撃での対策会議があるとか。」

「人員に余裕が出てきたってことだな。護衛は何人くらいだ?」

「それが人員不足だろうからっていう理由で、一人で向かったらしいんですよ。」

「一人で!? 襲撃もあったのにか! ……まぁ、確かにユドラー大将なら心配ない気もするな……。」

「あの人、鬼のように強いですからね……。」

 その時、十四時を告げる時報が鳴った。システィアは廊下にかかった時計を見ると、ポンと一つ手を叩いて言う。

「あ、師匠。今晩飲みに行きません? この前、アキラ君から紹介された路地裏の居酒屋に行ってみたいんですよ。………あの、師匠?」

「システィア。王子の身の安全を確保しろ。」

「え?」

「何か嫌な予感がする。」

 アクレスがそう言うと同時、突然外から大きな爆発音がした。

「な、何ですか!?」

「分からん! 今日はマサ爺さんは非番だよな?」

「そうです!」

「よし、システィア! お前は王子の元へ行け! 俺が様子を見てくる!」

「了解!」

 システィアは短く答えると、慌ただしくなってきた廊下を駆けだした。音のした方角は駐屯所の正門からだ。アクレスは腕輪のついた右腕を握り締めると、下へ降りる階段へ向けて走り出した。


「何だこれは……。」

 アクレスが呟いた。

 そこでは黒い煙が上がり、巨大な門は半分が吹き飛んでしまっている。まるで、大砲で一撃食らったような有り様だ。何人もの怪我人が血を流しながら倒れており、現場は正に混乱を極めていた。

 この爆発の威力は、五年前の戦争で使用された手榴弾よりも大きいものだ。一般人が軍に対する嫌がらせで行うようなものではない。もっと大きな組織が背後にいる。

「無事な奴は怪我人を運べ!」

 アクレスは指示を出しながら門へと走る。この爆発は終わりではない。むしろ始まりだ。

 そう考えたのも束の間。立ち上る黒い煙の中から、数人の人影が飛び出してきた。全員が黒い衣服に身を包み、その手には銀色に光る刀が握られている。

「クソッ!」

 アクレスは剣を抜くと、先頭を走っていた黒服に斬りかかった。しかし、黒服はそれを刀で受け流すと、アクレスの脇を滑るようにすり抜けて行ってしまう。

「全員、怪我人の手当を優先しろ!」

 叫ぶと、アクレスは右手の剣に赤い炎を纏わせた。腕輪の模様が淡く輝き始める。

 アクレスがその剣を大きく振ると、纏っていた炎は大きく広がって地面を走っていく。その炎は黒服とアクレスを取り囲むと、たちまち大きく燃え上がり、巨大な炎の壁となった。

「さて、黒服ども。逃げ場はないぜ。まぁ、俺もなんだが。」

 その場にいた全員が剣を構える。黒服七人に対して、アクレス一人。数的には圧倒的な不利だが、アクレスの表情に焦りはない。

 数秒間の睨みあいの末、先に動いたのは黒服の方だった。素早い連携で、あらゆる方向から斬撃を浴びせかける。しかし、アクレスは表情を一切変えずにそれを捌ききると、目にも止まらぬ速さで手前に居た三人の両足を斬りつけた。その三人は、がっくりとその場に崩れ落ちる。

 圧倒的な速さに黒服たちの動きが一瞬硬直する。アクレスはその隙を見逃さない。距離を詰めると、たちまち三人の足に刃を走らせていく。残った一人の刀を弾き飛ばすと、首根っこを掴んで地面に叩きつけ、その男の腕に剣を突き刺した。呻くような悲鳴が漏れる。

「さて。質問に答えてもらおうか。」

 アクレスが言うと、その男は震える手で顔を覆っていた黒い布を取った。露わになった男の顔には、幾つもの皺と古傷が残っている。

 男は痛みに呻きながらも不敵に笑うと、アクレスを指さして言った。

「……アンタがアクレスだな?」

「質問するのは俺だ。お前たちは何処の組織の者だ? 誰の命令で動いている?」

「そいつは言えねェよ……。それより、巷で英雄だとか呼ばれてるのはアンタだな?」

「質問に答えろ。お前は誰の命令で動いている。」

「ふふ……。『あの方』の名前を出せって? 無理な話だぜ。」

 アクレスはさらに深く剣を突き刺した。男は笑い声の混じった悲鳴を上げる。

「『あの方』ってのは誰だ! 言わなければこの腕を落とすぞ!」

「ッかはは! 『あの方』は俺みたいな、地べたで這い蹲ってるような人間の屑を拾い上げてくれた御方さ! 俺たちみてェな悪党にとってはな、『あの方』こそが英雄なんだよ! ぐあああぁぁ!」

 アクレスが腕を刎ねた。紅い炎が、その傷跡を血を垂らす前に焼いて塞ぐ。

「ッはァ! 止血してくれんのか! 噂の英雄ってのは名前ばかりの甘ちゃんだなァ!」

「何だと?」

「嘗めんなよ、アクレス! 俺たちみてェなクズにもな、クズなりの忠誠心ッてのがあるんだよ! 今からそれを見せてやる。」

 男はそう言うと、口を大きく開き、べろりと舌を垂らした。その舌には、細かな刺青が施されており、アクレスが身構えた瞬間、それは淡く輝き始めた。

「地獄で会おうぜ……。」

 その言葉の直後。駐屯地前の巨大な炎の壁は、轟音と共に爆発した。


◇◇◇


「良い太刀筋だ。格段に良くなったな。」

 マサは地面に突っ伏して肩で呼吸をする彰に言った。

「……一撃も、……当てられないのに?」

「そりゃあそうさ。年は取ったが、君に後れを取るほど落ちぶれちゃおらんよ。」

「上達した気がしねぇ……。」

 時刻は十四時より少し前。彰とマサは道場から少し離れた山中で対峙していた。

 彰はマサから「一撃当ててみろ」という、どこかで聞いたような課題を出されていた。一つ違うのは、彰が持っているのは真剣。対するマサが持っているのは竹刀という点だけ。

 それから連日、マサが暇な時を狙っては勝負を挑んでいるのだが、掠り傷一つ付けられずにいる。


「休憩。」

 マサは竹刀を下ろすと言い放った。彰はそのまま地面を転がると、大の字になって空を見上げる。

「なぁ」

 マサは彰の顔を覗き込む。

「人を殺したことはあるか?」

「え……?」

「人間を、その剣で斬ったことはあるか?」

 彰は少し黙ったまま空を見ると、「一度ね……」と答えた。マサはそれを聞いて、彰の横に腰を下ろす。

「どう思った。」

「どうって……。まぁ、いい気分はしなかったよ。あと…………、少し怖かった。」

「そうか。その怖さ、憶えておけよ。」

 マサは竹刀を彰の額に当てる。

「殺しを重ねていくうちに、いつしかそれを忘れ、人の道を違う奴がおる。そういう人間にはなるな。」

 マサは彰の目をじっと見つめて続ける。

「いつか、剣を取らにゃいけなくなることは必ずある。生きるってのはそういうことだ。ただ、その剣は守るために使え。殺すなら、覚悟を持って殺せ。そして、殺したことを絶対に忘れるな。」

 マサが「いいな?」と尋ねると、彰は静かに「分かった」と答えた。


 マサは微笑んで竹刀をどけると、立ち上がって伸びをした。

「さて、今日はこの辺りで帰るか。」

「いや、まだだ! 今日も日が暮れるまでやるぞ!」

 そう言って立ち上がる彰を見て、マサはニヤリと笑うと大きく息を吐いた。

「年齢考えてくれ。もうやんちゃ出来るほど若かぁねぇよ。」

「そう言って構えてるじゃん。」

「あと一戦だ。それでもう終いだな。」

 マサが竹刀を構えると、彰も剣を構えた。空気が張り詰める。

 その時、彰は自然と目を閉じていた。

 呼吸の音、踏みしめる土の音、頬を撫でる風。流れを構成する要素を読み取るには、彰は視覚を封じた方が、反って多くの情報を得られると気付いたのだ。

 不意に空気が揺らいだ。

 だが、これはマサが動いたものではない。彰とマサは、同時に麓の街を見た。

 二人の視線の先に見えたのは、黒い煙を上げる大きな建物だった。見間違えるはずは無い。あれは月島駐屯地。アクレスとシスティアがいるであろう場所である。

「アキラ! リリアは何処だ!」

 マサが尋ねる。その声で我に返った彰は、「母屋で寝てると思う」と答える。

「二人でこの山にいろ! 決して街に降りてくるなよ!」

 マサはそう言うと、一瞬で彰の目の前から姿を消した。

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