8

 その孤児院は、昔とある宗教の寺院として使われていた建物を改装したものだった。

 寺院と言うがそこまで大きな建物ではない。中で暮らしているのは、五人の小さな子供たちとこの孤児院の管理者である一人の女性である。

 彰を寝かせると、アクレスとシスティアはその女性に頭を下げた。

「本当にありがとうございます。こんな夜中に突然押しかけて、部屋まで貸していただくなんて……」

「あらあら、良いのよ。確かに血まみれの男の子を連れてきたときは驚いたけど、困ったときにはお互い様だわ。」

 そう言って笑う彼女の目は眠たそうに半分閉じている。この女性が孤児院の管理者、レイナだ。

 アクレスは彰を見ると荷物を持って立ち上がった。

「俺たちはそろそろ出発します。」

「泊まっていっても良いのよ?」

「訳あって詳しく話せないんですが、襲われた原因はおそらく俺のせいなんです。無責任だということは重々承知してますが、俺たちがここに居るとこの場所まで襲われかねない。」

 そこへ、リリアが布団を持ってやってきた。

「え、こいつ置いてくの? 普通に迷惑なんだけど。」

「あらあら、良いじゃないの。困ったときはお互い様よ……。」

 レイナはそう言うと、座ったまま寝息を立て始めた。アクレスは荷物の中から袋を取り出すと、それをリリアに手渡す。

「少ないが、せめてもの礼だ。レイナさんに渡してくれ。」

 リリアは袋の中を覗き見ると、口元を少し緩めて「まぁ……、レイナおばさんが良いって言うなら良いけどね?」と呟いた。

「アキラに一つ伝言を頼めるか?」

「良いよ。」

「『月島に着いたら、一番大きな建物を目指せ。俺たちはそこで待ってる』って伝えてくれ。」

「分かった。伝えとく。」

「ありがとう。本当に助かった。」

 そう言うと荷物を担ぎ上げた。そして、まだ星が瞬いている夜の間に二人は孤児院を後にしたのだった。静かに寝息を立てている彰を残して。


◇◇◇


 それから二日後、腹の傷跡の痛みと窓から差し込む朝日のせいで彰は目を覚ました。うっすら開いた瞼の隙間から、見馴れない天井の木目が見える。

「あ、姉ちゃーん! 起きたぁー!」

 甲高い子供の声がぼやけた鼓膜を突き抜けた。彰の記憶は弾丸が腹を貫通した痛みから途切れている。だが、ここが森の中でないことは確かだ。

 辺りを見回すと、見たことの無い部屋の中にいるようで、部屋の中には家具はほとんど置かれていない。あるのは彰の寝かされていた布団と、隅に幾つか並んだ小さな机と椅子だけだった。

 痛みは若干和らいではいるが、布団から起き上がるだけでも呻き声が漏れるくらいには痛い。いつの間に着替えていた服をめくると、左脇腹に大きな火傷跡があった。

 唸りながらうずくまっていると、ドアの開く音がした。

「やっと起きたの?」

 眉間にシワを寄せる彰の顔をリリアが覗きこむ。見知った顔を見て、彰も少し落ち着いた。

「……ここどこ?」

「今から説明するから、とりあえず上脱げる?」

「……え?」

「だから、服脱いでって。」

「な、なに言ってんだよ! 俺に何するつもりだ!」

  慌てる彰を見てリリアはため息をつくと、持っていた木の桶を枕元に置いた。そこには湯が張られており、白い湯気がもくもくと立ち上っている。

 リリアはその桶に手拭いを突っ込んだ。

「体拭いてあげるって言ってんの。それとも自分で拭けるの?」

「そんなの自分でやるに決まって……、いでででで!」

 湯の中の手拭いに手を伸ばした彰は、激痛に思わず顔をしかめた。

「言わんこっちゃない。」

「……。」

「その調子だと服も脱げなさそうね。脱がせるからゆっくり手上げて。」

 彰は観念したように息を吐くと、痛みに耐えながら両手を上げた。


「そうだったのか……。」

 話を聞いた彰はそう呟くと唇を噛んだ。分ってはいたが、やはり二人の足手まといになってしまったのだ。剣の稽古をして、それなりに力を付けたような気になっていた。しかし、それを嘲笑うかのように、脇腹の傷が痛んだ。

 この一か月の進歩は彰にとっては大きくとも、実際にはごく小さな進歩に過ぎなかったのだ。この世界へ来てから常に感じていた無力感が、一段と強くなる。

「そういえば。」

 うつむく彰の背中を拭くと、リリアは桶の横を指さした。そこには小さな青い宝石が付いたペンダントが置かれている。

「それ、システィアさんが置いて行ったよ。何だっけ……、ましょうせき……? まぁ、なんか貴重な宝石の首飾りらしいよ。」

 リリアはそう言うとその宝石を持って陽の光に掲げた。白い朝日で宝石は青色に輝く。

「なんでそんな物を置いてったんだよ。忘れ物?」

「これ、アナタにだってさ。お守りらしいよ。」

「でも、貴重なものなんだろ? なんで俺なんかに。」

「これと併せて伝言も頼まれたんだ。『貴重だから絶対に返して欲しい』だってさ。まぁ、そういう事だよね。」

 リリアはそう言うと、彰の手の上にペンダントを置いた。彰はそれを握り締めると言った。

「そうだな。しっかり返しに行かないとな。」

 ここから月島までは、まだだいぶ距離がある。その距離をこれから彰は一人で行かなければならないのだ。当然、その旅はこれまで以上に過酷なものになるだろう。

 つまり、このペンダントはシスティアなりの願掛けなのだ。彰はそれに応えなければならない。

 彰は改めて宝石を太陽に掲げた。

 海のような淀みのない深い青だ。この色を見ていると、それまで感じていた焦りや不安が、陽に当てられた雪のようにゆっくりと解けていった。

 彰は安心した顔で宝石を握り締める。

「しかし、システィアさんもバカだなぁ。こんな貴重なものをお前に見せるなんて。」

 彰は呟いた。

「なんで?」

「だって、そんな貴重な物を見せたら、お前すぐにかっぱらって……むぐぅ。」

 リリアは慌てて彰の口を塞ぐ。そして、一瞬周りを確認すると、小声で彰に言った。

「アタシが中央都でやってること、ここの誰かに言ったら殺すからね。分かった?」

 鬼のような形相で睨むリリアに、彰は青い顔で頷いた。それをみたリリアは口を塞いでいた手を離す。やっと解放された彰は脂汗を拭いながら荒い息でリリアを見た。

「俺を殺す気か!」

「喋ったらそうするつもり。」

「なら、喋ってからにしてくれ!」

 彰がそう言って荒い息を整えていると、部屋のドアが開いた。立っていたのはレイナだ。その手には木の器が幾つか載った盆を持っており、部屋にはふわりと食欲をそそる香りが漂った。

 彼女は部屋に居た二人に優しく微笑みかける。

「あらあら、何かあったのかしら?」

「何も無いよ、レイナおばさん。」

 リリアは爽やかな笑顔でそう答える。先ほどまでの表情が嘘のようだ。

 レイナは目を覚ました彰を見ると、心配そうな顔で声をかける。

「気分はどうかしら?」

「あぁ……まぁ……、それなりですね。」

「あら、でも顔色もまだ良くないわね。あまり無理しちゃダメよ?」

「そうですね。俺はちゃんと分かってますよ。」

 彰がチラリとリリアを見るが、彼女はとぼけた様子で首を傾げる。

 レイナは二人を見て静かに笑うと、手に持っていた盆を布団の脇に置いた。器に盛られているのはパン粥だ。

「これ、一応アキラ君の朝ご飯よ。でも、全部食べなくても良いわ。無理だけはしないで頂戴ね。」

「何から何までありがとうございます。……でも、俺なにもお礼できるものは持ってなくて。」

「あら、困ったときは互い様よ。そのかわり、アキラ君も誰かが困っていたら助けてあげるのよ? そうやって親切の輪は広がっていくの。」

 レイナはそう言って笑うと立ち上がった。

「私たちは隣の部屋に居るから、何かあったら呼んでちょうだいね。出来ることなら何でも力になるわ。」

「しつこく呼び出したらお腹の傷口広げるからね?」

「こら、リリア!」

 レイナは少し怒った顔でリリアを叱ると、すぐに優しい笑顔で「気にせず呼んでくれて良いからね」と付け足した。そして、レイナは唇を尖らせるリリアの手を引くと、二人は部屋から出ていった。


◇◇◇


「アキラ兄ちゃん、あれは? あのめっちゃ青白いやつ!」

「んー……、あれか。あれは『こと座』の『ベガ』だ。この時期だと、一番明るい星だな。」

「来年も同じのが見られるの?」

「もちろん。来年の同じ時期に見上げれば、全く同じ星が広がってるさ。」

 彰が空を見上げながら答えると、周りの子供たちは分かったような、分かっていないような声で「フーン」と呟く。

 ここに来てから一週間が経過した。彰の自己治癒能力が高いのか、それとも当たった場所が良かっただけなのか。とにかく彰は近くを散歩できるくらいには復活してきていた。

 その間に、この孤児院に住む子供たちとも打ち解けられた。

 ついさっき彰に星を尋ねた、少しぼんやりしている少年が最年長のプルトだ。ただ、最年長と言っても彼はまだ十一歳である。

 その横に座る少女が、プルトよりも一つ年下のユノだ。彼女は頼りないプルトの代わりに全員をまとめ上げる、いわばリーダー的な存在である。

 その二人の後ろで眠そうな目を擦る少年がネフ。更にその後ろでレイナと遊んでいる二人の少女は、それぞれウェスティとケレシアである。

 この五人には血のつながりは無いが、この孤児院で本当の兄弟のように暮らしている。そして、その五人に対してレイナは母親のような深い愛情を注いでいた。

 そしてリリアも、最近までこの孤児院に居たらしい。

「何してんの?」

 孤児院の中から毛布にくるまったリリアが、椅子を引いて出てきた。彼女の少し濡れた頭からは白い湯気が立ち上っている。

「お前こそ何してんだよ。ミノムシの物真似?」

「風呂上がりに寒空に飛び出したら湯冷めするでしょ。その対策。」

 彼女の言うように、ここ数日で一気に冷え込んできた。孤児院の周りにある広葉樹にも、ほとんど葉が残っていない。冬が近いのだ。

 リリアは彰の横に椅子を置くと、そこに座って白い息を吐いた。

「で、何してんの。」

「星見てるんだ! 兄ちゃん星に詳しいんだよ!」

 プルトは興奮した様子で言う。それを聞いた彰は少し得意げに鼻を鳴らした。

「まぁ、俺は何でもできるからなぁ。星の名前を覚えるなんざ、お茶の子さいさいよ。」

「でも、弱いんでしょ? ここに来た時ボロボロだったもん。」

「ユノちゃん。あれは事故だったんだ。俺が本気になったら強いんだからな?」

「嘘っぽーい。」

 力こぶを作って見せる彰にユノが冷たく言い放つ。

「兄ちゃんって、なんでそんなに星に詳しいの? 兄ちゃんのいた異世界では、星まで飛んでいけたりするの?」

「いや、そこまでの技術は無いよ。ただ、いろんな道具を作って、夜空をくまなく観察してるんだ。」

「へー……。」

 そんな会話をしていると、横からリリアが怪訝そうな顔で見ているのに気付いた。

「な、なんだよ。」

「……いや、なんで星に詳しいのかなって。」

「実は小さい時に、星にドはまりしててさ。その時の知識が……」

「そうじゃなくて。」

 リリアは真剣な顔で彰を見つめている。


「なんで、この世界の星にも詳しいの?」


 リリアの言葉の意味を理解した時、まるで全身に雷が走ったかのような衝撃を受けた。

 ここは異世界。彰の居た世界とは、あらゆるものが異なっているはずの世界である。しかし、見上げた夜空に広がっていた星々は、彰の元いた世界と全く変わらない位置と明るさで輝いているのだ。

 いや、それだけではない。

 あまりにも当然の事で見逃していたが、この世界でも月と太陽は一つずつで、どちらも東から昇って西へと沈んでいく。一日は二十四時間であり、月は約一か月ごとに満ち欠けを繰り返している。

 本来は異なっているはずの二つの世界に、あまりにも共通点が多すぎる。リリアもそれに気が付いたのだ。

「……で、でも」

 彰は絞り出すように言った。

「俺の居た世界に魔法なんて無かった……。中央都なんて都市も無いんだ。俺がどこか『違う場所』から来たのは本当なんだ!」

「その頼りない姿を見てれば誰でも分かるよ……。」

 軽い悪口がリリアの口から自然と漏れたが、今の彰にはそれに対して怒るような余裕は無かった。

 確かに共通点は多い。しかし、同時に確かな相違点もある。

 例えば魔法具の存在だ。彰の居た日本には魔法なんてものは無かったし、世界中探しても見つからないだろう。他にも、彰が襲われた化け犬や名も知らぬ都市の存在、それに社会の裏で暗躍する暗殺集団。挙げていけばキリがない。

 つまり、これら二つの世界は似て非なる世界なのだ。

 それならば、この世界の正体もあらかた仮説が立てられる。突拍子もない仮説だが、異世界転移よりはマシだろう。

 彰は一つ息を吐くと喋り始めた。

「……ここはパラレルワールドなのかもしれない。」

「ぱらりる……何?」

「並行世界だ。俺の居た世界線と別の場所に、似て非なる世界線があるってことだ。」

 横のリリアは首を傾げるが、彰はお構いなしに喋り続ける。

「自然条件も物理条件も全く同じで、唯一つ、魔法が存在するかしないかという違いだけの世界。俺は、何らかの方法で、その世界線の壁を越えてしまって……」

「ちょ、ちょっと! 落ち着きなよ!」

「いや、落ち着いてられるか! これまでのことで何かヒントがあるはずなんだ。何か見落としてることがある。それを忘れないうちに思い出さないと……。」

 青い顔でブツブツと呟く彰の肩を小さな手が叩いた。彰は思わず顔を上げる。

「落ち着きなって! アンタの言ってることは意味わからないけど、異世界についての事なら月島で調べれば良いんでしょ?」

「…………あ、あぁ。……確かにそうだな。」

 仮にここが並行世界だとしても、元の世界に帰る方法を思いつけるわけがない。それは月島へ行けば分かることなのだ。今、深く考えることではない。

 横を見ると、三人が心配そうな顔で彰を見ている。

 頭上では満天の星が変わらず瞬いていた。だが今はその美しさが、得体の知れない不気味なものに思えた。

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