7

 街道から大きく外れた森の中。少し前まで鬱蒼と茂っていた木々の葉も、今では秋の風に吹かれてほとんど残っていない。

 突き抜ける様に青い空の下、三人は血で赤く染まった落ち葉踏みながら、銀色の剣を構えていた。

「アキラ君! そこで隠れててくださいね!」

 システィアは二振りの剣を操りながら叫ぶ。そうしているそばから、数匹の化け物が鋭い爪を立てて彼女に襲い掛かった。それをアクレスが横から叩き切る。

「街道を避けたのが仇になったな。」

「そうかもしれないですね。でも、私たちは上の決定に従うしかないです。」

 月島まで行くには、まず本島を西へ横断しなければならない。そのためには中央都から延びる街道を西へ行くのが本来のルートであり、街道は旅をするのに最も安全とされる道である。

 しかし、今回の任務は安全性よりも早さが最優先される。そのために危険地帯を避けて大きく遠回りする街道を通るよりも、危険であるが最短距離を行く道のりを選ぶように指示されていた。

 その結果が現在の状況である。

「師匠、一度逃げた方が良いんじゃないですか?」

「そうかもしれんな。数が多すぎる。」

 次々襲い来る化け物を剣で捌きながら二人は平然と会話している。

 この化け物たちは皆、巨大な体に赤い目、そして額には一本の角が生えている。違う個体だろうが、以前彰を襲った化け物と同じ見た目をしていた。

 彰も最近知ったのだが、この世界にはこのような化け物があちこちに居るらしい。冗談半分で「竜とかもいたりして」と聞いたことがあるが、アクレスは真面目な顔で「居るぞ」と答えた。街道が整備されたのも、これらの化け物の生息地を回避するというのが最大の目的だったらしい。

 正直なところ、彰は街道を辿っていきたかったのだが今回は任務優先だ。それに、一人で街道を行ったとしても転移者狩りに襲われる可能性もある。結局のところ、この二人と行動することが最も確実なのだ。

 彰は一応剣を取り出すと、木の太い幹を背にして隠れた。

目の前ではアクレスとシスティアが口々に言い合いながら化け物の群れを相手している。驚くべきことに、その服には返り血がほとんど付いていない。返り血を避けているという事なのだろうか。だとすると、本当の化け物はこの二人なのかもしれない。

「アキラ!」

「……え、あ、はい!」

「合図したら西に走れ。システィアも一緒に行け。」

 そう言うと、アクレスは剣先を西の方角へ向けた。その直後、彼の腕にはめられていた腕輪が輝きだす。

「今だ!」

 アクレスが叫ぶと同時、彼の剣が向いている先に炎のトンネルが生まれた。周りの化け物たちは火が怖いのか、そこから逃げる様に散っていった。

 これも魔法具なのだろう。彰は剣を納めると、その炎のトンネルに向かって走った。その後ろでは「システィア! そっちは東だ!」というアクレスの叫び声が響いていた。


◇◇◇


「野宿にも慣れてきました?」

 焚火に木の枝を放り込む彰を見て、システィアが言った。

「まぁ、これだけやってればね。」

 旅が始まって既に三日が経過している。それまでの間、街に入ることは一切無く、ましてやベッドで寝ることなど一度も無い。全ての夜を森の中で明かしていた。

「悪いな、アキラ。俺たちも街の宿屋に泊まりたいんだが……」

「任務優先、だろ? 分かってるよ。」

「あぁ、悪いな。」

 アクレスはそう言って彰に懐中時計を渡した。

「今晩も二時間、頼んで良いか?」

「もちろん。もっと長くても良いよ。」

「いや、二時間で十分だ。ありがとうな。」

 そう言うと、アクレスはぼろ布を敷いて横になった。システィアも「ありがとうね」と言って目を擦ると、布を敷いて横になる。彰は二人に「おやすみ」と答えると、焚火を枝で突いた。

 これから二時間。彰は寝ずの番をすることになる。夜であろうと、襲われないという保証はない。三人は二時間ずつの交代制で夜の番をすることにしていた。

 もう静かな寝息が聞こえてくる。三日も野宿を続けている上に、途中で何度も化け物の襲撃に対応している。戦っていない彰も疲れているのだ。顔には出さないが、二人とも相当疲れているに違いない。

 彰は大きな欠伸をすると夜空を見上げた。

 満天の星空の下、木々はまるで声を潜めているかのように、ざわざわと風に揺れる音を立てている。どこかの草むらから聞こえる秋の虫の音は、日本で聞くものよりも心なしか美しく聞こえた。

「そのまま動くな。声も上げるな。」

 突然聞こえた低い男の声に、彰の全身が硬直した。首筋には冷たい金属の感触。

「俺の聞いたことだけに答えろ。お前がイリヤ・アキラだな?」

 声に殺意が籠っている。彰は必死に口を動かすが、声の代わりに乾いた呼吸が漏れた。

 いつから居たのだろうか。首元にナイフを当てられるまで気配を全く感じなかった。

 ナイフがさらに食い込む。

「もう一度聞く。お前がイリヤ・アキラだな?」

 何をすればいい。

 彰の頭を様々な考えが駆け巡るが、一つとして明確な答えは浮かばない。何通りも導き出される脳内シミュレーションは、どれも彰の死という結論に行きついてしまう。

 首元を温い液体が垂れていく。自身の心臓の鼓動だけが、耳の奥で大きく響いていた。

「答えないという事は……チッ。」

 小さい舌打ちが聞こえたかと思うと、彰の後ろから気配が消えた。直後、何かがぶつかり合う音が辺りに響く。

「二人を起こして!」

 聞き覚えのある声。だが、気にするのは後だ。彰は傍で寝ている二人を揺り起こした。

「うわっ! な、なんだ!?」

「アクレス、システィア! 敵襲だ! 襲われてる!」

「何だと!?」

 二人は起き上がると、すぐに剣を抜いて戦闘態勢に入った。

その時、少女が森の中から飛んでくる。月明かりに照らされ、栗色の髪が夜風に揺れた。

「おま……、俺の月給泥棒! なんでこんなところに居るんだよ!」

「それはこっちの台詞! あんたこそ何でこんなところに!」

「俺は月島に行くんだよ!」

「なら街道を通って行けば良いでしょ!」

「二人とも! 下がっててください!」

 システィアの声で前を向くと、森の中から一人の男が現れた。その手にはうっすら血の付いたナイフが握られている。間違いない。彰を襲った男だ。

「チッ、めんどくせぇな……。」

 男はそう呟いて彰を睨みつけると、懐から黒鉄の武器を取り出した。月光を鈍く反射しているそれに彰は見覚えがあった。

「拳銃……!?」

 形はヨハンの持っていた物に似ているが、あれは殺傷力の無い威嚇用の物だった。だが、目の前の男が持つ武器はそんな甘いものではないだろう。

 アクレスもそう判断したようで、一瞬で間合いを詰めると拳銃を握る男に剣を振るった。

「こんのッ……!」

 男は怒りに顔を歪ませながら叫ぶと、アクレスの斬撃を寸前で躱した。しかし、それによって体勢が崩れた男にシスティアが追撃する。

 男はそれも躱そうと体を捻るが間に合わない。システィアの剣は男の右腕を斬り上げた。

「……邪魔を、するなぁァ!」

 男は咆哮すると左手を前に出した。その手に握られていたのは黒く光る拳銃。その銃口の先に居たのは……。

「アキラ! 避けろ!」

 アクレスが叫ぶと同時、男の指は引き金を引いた。淡い光と共に大きな破裂音が響く。

 次の瞬間、脇腹をバットで殴られたような強い衝撃が走った。

「このッ!」

 システィアはもう一度剣を振るう。男はそれを躱すと、続けざまに発砲した。しかし、その弾丸は全て闇夜に消えた。

 弾を打ち尽くしたのか、男は拳銃を投げつけると、切り落とされた右腕を残して森の中へ消えていった。


 体が熱い。彰は震える手で脇腹に手を伸ばすと、ぐちゃりとした生暖かい感触があった。体から力が抜け、その場に崩れる様にして倒れこむ。

「あ……、あぁ………。」

 何とか手で抑え込もうとするが、赤黒い液体は指の隙間から止まることなく溢れ続けている。

 血だ。脇腹を撃たれたのだ。

「アキラ!」

「アキラ君!」

 二人が叫びながら駆け寄ってくるが、彰の耳にその声は届いていない。アクレスは彰の手を払いのけると、そのだらりと力の抜けた体を引き起こした。

「師匠!」

「弾丸は貫通している! このまま焼いて塞ぐ!」

 アクレスはそう言うと、穴の開いた彰の脇腹に手を添えた。その手にはめられた腕輪が輝きだし、患部からは白い煙が立ち上る。本来であれば激痛が伴うのだが、彰は既に気を失っているようで、ピクリとも反応しない。

「この状態で野宿はマズいな。」

「ここから近くの村だと、歩いて二、三時間かかります。アキラ君を背負っていくとすれば、おそらく半日くらいは……」

「そうか。……だがそれしかないな。」

 アクレスがそう呟くと、それを横で見ていた少女が口を開いた。

「……ここのすぐ近くに孤児院があるよ。歩いて一時間もしない場所。」

「え? えっと、君は……?」

 システィアが尋ねると、少女は立ち上がった。

「アタシはリリア。ほら、早くしないと、そいつ死んじゃうかもよ?」

「あ、あぁ。そうだな。」

 アクレスが彰を担ぎ上げるのを見ると、その少女――リリアは夜の森を歩き出した。

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