6

 国王暗殺を知ったのは、それから二日後の事だった。

 と言っても、国からの正式発表があったのではない。国王の死亡がすぐに公となっては、国民の混乱は免れないからだ。国としては、何らかの対応策を用意してから発表するつもりだろう。

 暗殺の事を知ったのは、あくまで街での噂話だ。

 あの大火災の目的は彰の誘拐だけではなかった。中央都内の警備機能を混乱させ、それに乗じて城内に侵入、そして国王を暗殺したらしい。

 噂話である以上、信憑性は高くない。だが、彰がアクレスにそのことを尋ねると、彼は微妙な顔をしていた。

「それよりも、気分はどうなんだ。頭、蹴り飛ばされたんだろ?」

「もう平気だよ。頭は……、まぁ多少痛いけど。」

「おいおい、無茶するなよ。」

「分かってるって。」

 彰は狭い部屋のベッドで伸びをする。窓の外では、瓦礫の上で小鳥が呑気に鳴いている。火災は完全に収まったが、その爪痕は色濃く街に残っている。

 結局あの男は彰を連れて行かなかった。彰の誘拐よりも優先する事があったのか、それとも彼の気まぐれか。理由は考えたところで分からないような気がしたので、この件については深く考えることを諦めた。あの少女の行方も分からない。

 窓の外を眺める彰を見て、アクレスが言った。

「……国王の件だが、あまり首を突っ込むな。お前は元の世界に帰ることだけを考えてろ。」

「そうするよ。死ぬのは御免だから。」

 彰はベッドから降りると、服を着替える。

「それなら良い。俺はシルヴァさんに会ってくるから、しばらく家を空けるぞ。」

「りょーかい。あーぁ……、体重てぇ……。」

 二日間動かなかったせいで、身体中が錆びたように重い。彰は再び伸びをすると、彰は顔を洗いに井戸へと向かった。


 アクレスを見送った彰は、一人で金物通りへと向かった。どうしても、この目で確認したかったことがあるのだ。

 この通りは火事への処置が早かったおかげで、他の場所よりも被害は少なかったらしい。ただ、全焼してしまった店も中にはあり、通りの活気が甦るのは随分と先になりそうではある。

 彰は焦げた瓦礫を避けながら、とある店の前で立ち止まった。傾いた、看板には歪な文字で「ノーワン武具店」と書かれている。

 この店は火事の被害を免れたようで、灰色の窓ガラスの向こうには、乱雑にモノが置かれた店内が見える。そして、相変わらず店から人の気配を感じない。

「その店に用かい?」

 店を眺めていると、横から男に話しかけられた。

「ノーワンさんって、どこにいるか分かります?」

「ノーワンなら、あの火事の時から行方不明さ。」

 アクレスから、ノーワンが消えたという話を聞いていた。どうやらそれは本当だったらしい。

 今回の火事で行方不明というのは珍しい話ではない。ただ、そのほとんどは「死体が見つかっていない」という意味である。

 だが、あの日、この場所でノーワンと別れてから、この通りの炎はすぐに収まった。その後で起こった火事もない。

 あれからノーワンが死んだというのは、どうにも考えられないのだ。

「最後に彼を見たのはいつなんですか?」

 彰が尋ねると、男は眉間にシワを寄せた。

「店は無事で店主が死んだ、ってのは俺も考えられん。ただ、あの日は大騒ぎでみんな記憶が曖昧なんだ。悪いんだが、誰も行方を知るやつはいねぇな。」

「そうですか……。」

「まぁ、無事なら数日後には帰ってるだろうさ。その時にでも訪ねればいい。」

 そう言うと、男は彰の肩を叩いて去っていった。

 死んでいないとしたら、彼の言う通り数日後には帰ってきているだろう。誰も行方を知らないというのなら、それを待つ以外にできることはない。

 彰はチラリと店内を覗き込むと、諦めて引き返した。



「時間通りですね。」

 部屋に入ってきたアクレスを見てシルヴァが呟いた。

 ここは軍施設内の一角である。部屋の中にはアクレスとシルヴァの他に、シルヴァ中将夫人も居た。

 例の大火事の日、城に近い場所にあったシルヴァの邸宅にも火の手が回った。死者は出なかったものの、必死の消火活動も空しく建物の半分以上が焼け落ちたのだ。そのため、シルヴァ一家はこの部屋に一時的に避難している。

 シルヴァは夫人に軽く手を上げると、彼女は会釈して部屋から出ていった。部屋の中にはアクレスとシルヴァの二人が残される。

 アクレスが席に着くと、シルヴァはお茶を淹れた。狭い室内に、ふわりと紅茶の香りが漂う。

「ここへ呼んだ理由はお分かりですね?」

「国王陛下の件ですか。」

「そうです。火事の混乱も冷めない中、国王陛下の崩御を公に発表しては不安を煽るだけになります。現在、我々に必要なのは新たなる指導者なのです。」

 あの日、城内に居た王族は四人組の暗殺者によって殺害された。当然、城には屈強な近衛兵が居たのだが、それらも全員殺害されていた。

 それだけの暗殺の腕を持ち、なおかつ集団で動くことのできる組織といえば一つしかない。

 シルヴァは横に置いてあった金庫から一通の書簡を取り出した。

「これを無傷で王子の元へ届けろ、という指令が上から出ています。私はその任務を貴方に頼みたいのです。」

 現在、王子は公務で中央都には居らず、王位継承権を持つ王子はただ一人だけ。考えたくはないが、もし王子が中央都で暗殺されていれば、マテラス王家の血が途絶えていただろう。

 シルヴァは続ける。

「今回の事件ですが、九頭龍が関与しているかもしれません。」

「九頭龍? あれは壊滅させたと聞きましたが。」

「正確には壊滅ではありません。構成員の内、数名を拿捕しましたが他には逃げられました。」

「今になって、再結成という事ですか?」

「正確な情報はありませんが、おそらくそうでしょう。そして仮に今回の事件に九頭龍が噛んでいるならば、これも狙われる可能性があります。」

 シルヴァは書簡をアクレスの前に置いた。

「現状、これを最も確実に守れる人間は我らが英雄である、アクレス君であると判断しました。この任務、引き受けてくれますか?」

 当然だが、この任務が公にされることは無い。だが、その情報が漏れた場合、手練れの暗殺者たちが必ず狙いに来るだろう。命の保証などない。

 しかし、アクレスは即答した。

「もちろん、やります。必ず届けます。」

「君ならそう言ってくれると信じていましたよ。」

 シルヴァは笑顔で言うと、書簡を金庫の中へしまった。アクレスは尋ねる。

「それで、王子はどちらに?」

「王子は現在、この国の西にある島。月島にいらっしゃいます。」

「……月島……ですか。」

 アクレスは呟いた。月島と言えば、まさに彰が行こうとしている島だ。

 シルヴァは更に付け加えた。

「私は君を全面的に信頼しています。君が信用に足る、と判断した人物ならば、同行させても構いません。」

「それは……。」

「ただし、最優先は書簡の配達です。同行者の命はその次。それでも良いと言うのなら、彼を同行させることを許可します。」

 シルヴァの言う「彼」というのは、彰の事だ。

「二日後までには確定させておいてください。」

 淡々と言うシルヴァに、アクレスは小さな声で「……了解しました」とだけ答えた



「準備は良いですか?」

 システィアは左手で木刀を構える。

「いつでも行けるよ。」

 彰も木刀を構えて答えた。

 木刀を構える二人と、それを見つめるアクレス。今はその敷地のほとんどが避難所として利用されている練兵場だが、その隅に居る三人には妙に緊張した空気が流れていた。

「五分の間に一撃でも入れられたら、月島への旅に同行させてやる。ただし、失敗したら、俺たちの帰りをこの街でおとなしく待つ。分かってるな?」

「分かってるって。」

 アクレスが月島へ行くことを聞いた彰は、当然それに食いついた。元の世界がどうなっているか分からない以上、早く帰るに越したことはないのだ。

 しかし、危険な旅になることが分かっているアクレスは、なかなか首を縦に振らない。そこで彰が出した条件と言うのが、かつてアクレスが課した「システィアに一撃入れる」というものだった。

「よし……始め!」

 時間は少ない。決めるなら短期決戦だ。

 アクレスの声を合図に彰は地を蹴った。一気に間合いを詰めていく彰だったが、システィアは表情を変えず横に薙ぎ払う。

 今までの彰ならば、木刀でその攻撃を受け止めていただろう。しかし、彰はその攻撃を呼んでいた。

「お、それそれ! それですよ!」

 攻撃を躱した彰を見て、システィアが嬉しそうに言った。

 攻撃の直前、システィアの重心が若干横へと移動していた。あの転移者狩りとの戦いの中で、彰は相手の動きが少し読めるようになってきていた。

 重要なのは観察と予測である。

 システィアの動きをよく見ると、攻撃の前に必ず大きな予備動作を入れていた。彼女は初めから、彰にヒントを与え続けていたのである。

「コツは掴んだみたいですね。……ちょっと早くしますよ!」

 その言葉の直後、彼女の攻撃はより激しくなった。木刀が風を斬って彰に襲い掛かってくる。

 だが、それでもやることは変わらない。観察と予測さえできれば避けられない攻撃は無い。

 その時、一瞬だがシスティア重心が大きく動いた。次は大振りの攻撃が来る。

「らァッ!」

 彰はその攻撃を躱すと、まっすぐ、そして出来るだけ素早く剣を振るった。システィアの剣は振り切った後で、この攻撃を受け止めることはできない。

――入った!

 彰が確信したのと同時、練兵場の隅に乾いた音が響いた。

「今のですよ! 一か月でこれは凄いです!」

 システィアは彰の攻撃を受け止めると、興奮した様子で言った。しかし、彰は喜ぶことも無くその木刀を見つめていた。

「その義手……、動くの……?」

 システィアの右手の義手は彰の木刀をがっちりと掴んでいる。その義手をよく見ると、表面には細かな記号の羅列が彫られ、その文字列が淡く輝いていた。

「あ、これですか? 魔法具ですよ、魔法具。」

「魔法具……。なんでもありだな……。」

 彰が呟くと、アクレスは二人に近づいてきた。

「出発は三日後の朝七時だ。遅刻するなよ。」

「師匠、集合は正門前ですよね?」

「あぁ。そうだ。……彰も寝坊するなよ。」

「良いの? よっしゃ!」

 喜ぶ彰をアクレスは微妙な表情で見る。

 システィアも同行することは既にアクレスが決めていた。月島へ向かうのはこの三人である。

 先ほどまでの緊張が解けた反動なのか、三人は口々に話しながら練兵場を後にした。

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