5

 稽古の成果だろうか。攻撃が以前よりも見えるようになってきている。かといって、全てを避けきれるわけではないのだが。

 目の前の男を見据え、再び剣を構えた。その切り傷だらけの腕には赤黒い血がこびり付き、少し動かすだけでも鋭い痛みが走る。そして、その傷は時間と共に着実に増えていた。

「ほう。……お前成長したなぁ。」

 男は涼しい顔でそう言うと、指を鳴らす。それと同時に彰の周りに落ちていた三本のナイフが淡く光りながら宙に浮いた。

 これがこの男の持つ魔法具らしい。

 光を帯びた小さな凶器は、彼の意思によって自由自在に宙を舞うのだ。いくら躱そうとも、まるで獲物を追い続ける鴉のように、彰の体を執拗に追い回してくる。

 反撃するには、当然だが剣の間合いに入る必要がある。だが、ナイフを躱すことで手一杯で、少しも距離を詰める余裕など微塵も無い。

「クソッ!」

 彰は飛んできたナイフを一本弾くと、横に転がり込んで他を回避した。そして、素早く体勢を整えると、男に向かって走り出した。

 このジリ貧な状況で、長期戦はこちらが不利になる一方だ。火事のせいで、誰かの助けを期待できるような状況でもない。勝負をかけるなら今だ。

 ところが、男はそれを見て少し残念そうに「そいつぁ愚策だなぁ。」と呟くと、懐から新たにナイフを取り出した。そして、それを向かってくる彰に向けて投げつける。

「やばッ……!」

 完全に判断を誤った。彰は何とか躱そうとするが、とても間に合うものでもない。ナイフは体勢を崩した彰の肩を深く切り裂いていく。

 赤い鮮血が散った。

「決着を急いだな。その安易な判断が命取りだ。」

 男はそう言うと、片手を上げた。それに呼応するように、四本のナイフが彰の方に切っ先を向ける。

「正直、お前の成長には驚いたぜ。多少お前の未来が気になるところだが、これも仕事だ。悪く思うなよ。」

 男の目つきが変わった。初めて鉢合わせた時に見た、あの殺意に満ちた目だ。

 多少、剣を習ったせいで彰には分かってしまった。初めから勝機などなかったのだ。この男は、始めから手を抜いていた。殺そうと思えば、彰が剣を抜く前に殺せていただろう。

 殺される。

 彰の本能は回避できない死を悟った。それと同時に焦りや恐怖は吹き飛び、彰の思考は停止した。代わりに、まだ脈打つ鼓動がうるさいくらいに脳内に響いている。

 目の前で男はゆっくりと手を下ろした。

 これまでとは比にならない速度でナイフが迫る。彰は瞼を閉じ、『死』という現実から目を背けることしかできなかった。


「うおッ!」

 だが、彰の意識は急速に現実へと引き戻される。

 突然、強い力で体が後ろへ引っ張られたのだ。お陰でナイフは避けられたが、石畳の地面にはげしく体を打ち付ける。全身を巡る鈍痛に、思わず顔を歪めた。

「やっと見つけた……。」

 彰の前に立ちはだかると呟いた。

「おい、仕事の邪魔だ。」

「アタシはその『邪魔』をしに来たの。」

 顔を上げた彰の前で、少女がグローブをはめた両手を広げた。見覚えのある栗色のカールした髪の毛が、熱い風に揺れる。

「あっ、お前あのとき給料袋盗んだ……」

「うるさい。」

 彼女はそう言って彰を睨んだ。理不尽だが、彼女の気迫に思わず彰は口を噤む。

「邪魔しに来ただと? 手ぶらのガキに何ができるって……」

 男はそこまで言うと、後方へ飛び退いた。直後、ギィン、という甲高い音と共に、彼の居た近くの瓦礫が切断される。

「なッ……!」

 驚きのあまり腰を抜かす彰を横目に、少女は淡く光るグローブをはめた手を勢い良く引いた。すると、再び甲高い音と同時に男の近くの街路樹が切り落とされる。

 音をたてて倒れる気を見て、男は不敵な笑みを浮かべた。

「細かく振動させた糸を操作して切断か。デカくなったもんだなぁ、蜘蛛の娘。」

 それを聞いて、彰もようやく理解した。

 よく見ると、少女の周囲には細い糸が結界のように張り巡らされている。彼女はそれを操作して瓦礫や街路樹を切断していたのだ。

 そんな芸当出来るのか、と一瞬彰も考えたが、彼女のグローブが淡く光っているのがちらりと見えた。おそらく、あれが糸を操る魔法具か何かなのだろう。

 もはや、その程度では驚かなくなってしまった。ここは異世界なのだ。

 男は懐からナイフを三本取り出すと、相変わらず気色の悪い笑みを浮かべたまま口を開いた。

「あんなに小さかったガキがよく生きてたもんだ。」

「黙んないと、その舌切り落とすよ。」

「親父は元気か? ……あぁ、アイツは俺が殺し」

 その言葉が言い終わらない内に、風を斬りながら糸が飛んだ。男はそれを難なく躱すと、手に持っていたナイフを投げる。そのナイフは少女の体を掠めると、彰に向かって飛んできた。

 彰は慌てて瓦礫の陰に隠れると、剣を鞘に納めた。

 男の視線の先に居るのは、糸使いの少女だ。今のナイフも彰を狙ったものではなく、彼女を狙った流れ弾である。つまり、あの男の注意は糸使いの少女の方へ注がれている。

 彰の目的はあの男に勝つことではなく、生き延びること。警戒の薄くなっている今なら、何とか逃げられるかもしれない。

「おいおい。人の話は最後まで聞くように親父に言われなかったのか?」

 男は両手を広げた。瓦礫の中から七本のナイフが浮かび上がる。

 少女はそれを見て小さく舌打ちすると、上へと飛びあがった。そして、糸の結界を足場に一気に駆け上がっていく。

「さぁ、捌いてみな。」

 男が指を鳴らすと、七本のナイフは空中を舞う少女目掛けて飛んでいった。

 彰は三本でも苦戦した空飛ぶナイフなのだが、彼女は空中で体を捻ると全てのナイフを躱し切った。恐るべき身体能力だ。

「おぉ、やるな。さすがはアイツの娘だ。」

「いつまで笑ってられるかな。」

 少女はそう呟くと、糸を使って自身の体を弾き飛ばした。

「ダメだ!」

 彰は思わず叫んでいた。躱した後で一気に間合いを詰める。それは、先ほど彰自身がやった行動と全く同じだ。男の方を見ると、懐からナイフを取り出して既に彼女へ投げつけていた。このままでは彼女も同じ轍を踏むことになる。

 ところが、少女は彰の想像していたものとは、全く違う動きを見せた。

 なんと途中で糸を踏みつけて、その軌道を変えたのだ。ナイフは何もない空間を貫いていく。

 彼女は男の頭上を飛び越えながら、そのまま蹴りを入れた。不意を突かれた男は、その蹴りをまともに食らうと、バランスを崩して瓦礫の中へ倒れた。

 少女はふわりと着地すると、男に向かってグローブをはめた手を伸ばす。体勢を崩した状態では彼女の攻撃を避けることはできないだろう。


 しかし、男は地面に座り込んだまま、変わらず不適な笑みを浮かべていた。

「油断したな。」

 男が呟くと同時。一本のナイフが少女の腕を突き刺した。彼女は小さな悲鳴を上げると、その場で少しよろける。

「相手の息の根を止めるまで気は抜くな。お前の親父も言ってたろうが。」

 男は立ち上がると腕を上げた。散らばっていたナイフが彼の周囲に集まってくる。その切っ先は全て少女の方を向いていた。

「さぁ、今度は捌けるか?」

 男が指を鳴らした。ナイフは刃先を光らせ、一斉に少女へと襲いかかる。

 逃げるなら今だ。

 彰は思った。男の注意は完全に少女に向いている。彼女には少し悪いが、あの身体能力があれば逃げることもできるだろう。

 彰は彼らに背を向けると、音を立てないように立ち上がった。


 その時である。

 彰の背後で、城を包んでいた炎が轟音と共に激しく燃え上がった。振り返ると、二人が戦っているのが目に入る。

 片腕を負傷したせいで、少女の方は上手く糸を操作できていない。ナイフを避けきれずに、彼女の体には幾つもの切り傷ができていた。このままでは、彼女は逃げることも出来ずに殺されてしまうだろう。

 彼女を見殺しにして逃げることが、果たして最善の策なのか。

「悪いな直哉……。俺ここで死ぬかも……。」

 彰は一つ深呼吸をすると、腰の剣を抜いた。

 与えるのは一撃だけで良い。それで深手を負わせられたのなら逃げる時間は十分に稼げる。

 あの男はこちらへの警戒を緩めている。彰に逃げだされたとしても、十分に追いつけるという自信があるからだろう。奇襲するには絶好の機会だ。

 求められるのは、完全な意識外からの攻撃。相手の行動を読み、完全な隙を狙わなければならない。

 彰が顔を上げると、少女が男に攻撃を仕掛けるのが見えた。男の意識が完全にこちらから外れている。

 狙うなら今しかない。同時に彰は地を蹴った。一気に間合いを詰め、男の背後から斬りかかる。

 だが、男はすぐに振り返ると、振り返りざまに短剣を振るった。


 この奇襲攻撃は読まれることを、彰は想定していた。男も相当な手練れである。彰の殺気にもすぐ気付くだろう。

 ただ、不意を突かれた男は、一瞬ではあるが驚いたに違いない。きっと、それは彼自身も気にしないほど一瞬の動揺だ。

 だが、凪いだ心に起こった小さな波は、彼に無意識の内に単調な反撃を選択させていた。


『相手の呼吸、視線、予備動作から、動きの「流れ」を見抜くんです。』


 姉弟子、システィアの言葉が蘇る。今になって、やっとそれが理解できた。

 男の視線は真っ直ぐ彰の右腕を見ていた。彼の狙いはそこだ。

 彰はすぐさま腕を引いて攻撃を躱すと、がら空きになった男の懐を斬り上げる。

――浅い!

 斬った感触が薄い。踏み込む寸前で避けられてしまった。

 焦った彰は一気に畳み掛けて攻撃した。

 しかし、少し後ろへよろめいた男は、その体勢のまま彰の攻撃を尽く弾いていく。

「ったく、これだから若いってのは……。」

 男はそう呟くと、攻撃の間を縫って急激に間合いを詰めた。そして、動揺した彰の鳩尾に拳をねじ込む。

 息が詰まり、鈍い痛みが体に走った。

 更に男は、まるで止めと言わんばかりに、うずくまる彰の頭を蹴り上げる。

「おもしれぇなぁ、おい……。」

 その男の言葉を最後に、彰の意識は闇の中へと落ちていった。

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