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「いつまで落ち込んでるんだ。」
「……そりゃ、俺の一か月が水の泡と化したんだ。……誰だって落ち込むだろ。」
例の窃盗事件から三日が経っている。
アクレスは以前、「この世界での衣食住は俺が保証する」と言っていたので、彰はこの世界で餓死する心配はしなくても良い。ただ、それでも一か月間の労働が無駄になった喪失感は、彰の心に未だ大きな爪痕を残している。
魂の抜けたような顔で横を歩く彰を見て、アクレスは言った。
「そんなお前に、良いもの買ってやるよ。」
「良いものってなんだよ?」
「ここがどこだか分かるか?」
アクレスに言われて、彰は改めて辺りを見回した。
住宅街を抜け、通りを挟んで軒を連ねているのは看板を掲げた店ばかりだ。アクレスの家の近所にある商店街なら行ったことはあるが、この商店街には足を踏み入れたことが無い。
ちょうど横を通った店に掲げられた看板を見て、彰は気付いた。
「武具店……?」
「そう、ここは果物包丁から両手剣まで、ありとあらゆる金属製品が売られている場所、通称『金物通り』だ。」
アクレスはそう言うと、通りにある一軒の店を指さした。
「あそこが今日の目的地。お前の相棒が待ってるぜ。」
「相棒ってなんだよ。」
彰が尋ねると、アクレスは自身の腰に提げた剣を叩いた。そこで、やっと彰も理解する。
「俺の剣か!」
「そうだ。師匠直々に選んでやるよ。」
「そう言えば俺の師匠だったな。」
「最近忙しいんだよ……。」
アクレスはため息交じりにそう言うと、目的の店へと入っていった。
店内にはほとんど客はいなかった。たった一人の店員が座るカウンターが埋まりそうなほど、沢山の剣や鎧に溢れている。
「よう、相変わらず客が居ないな。」
アクレスは親し気に話しかけた。どうやら、ここは彼の馴染みの店らしい。
「扱ってる品はどれも質が良いからな。百年使っても壊れることは無いから、一度ウチで買った客は二度と店に来ないんだ。」
店員はそう言うと、自慢げな顔で顎髭を触る。彼はアクレスの横に立つ彰に気付くと、ニヤリと笑った。
「冷やかしに来たかと思ったら、ちゃんと客がいるじゃないか。」
「買い物以外でこんな店来ねぇよ……。」
彼はアクレスを無視して立ち上がると、彰の前まで来た。そして、先程とは打って変わって爽やかな笑顔で話し始める。
「やぁ、いらっしゃい。ノーワン武具店へようこそ。俺が店主のノーワンだ。」
「あ、彰です。」
「短剣、長剣なんでもござれだ。俺はそこで待ってるから、用があったら呼んでくれ。」
ノーワンはにっこり笑うと、奥のカウンターまで戻っていった。営業スマイルというやつなのだろう。あまりの変わり身の早さに、彰は目をぱちくりさせる。
アクレスは雑多に置かれたモノの中から、小さな椅子を引っ張り出して座った。その拍子に舞った埃のせいで、彰は思わず咳き込んだ。
「店主は信用できねぇが、この店の剣は信用できる。俺は今日非番だから、好きなだけ悩め。」
「わ、分かった。」
彰はそう答えると、ずらりと並んだ剣の前に恐る恐る足を踏み入れた。
それから彰は店で唸り続けた。
並んだ剣の中から、気になったものを手に取ってはアドバイスを求める。どれだけ悩んでも、アクレスは嫌な顔ひとつせずに、丁寧に答えていく。カウンターで本を読むノーワンも、時折二人を眺めながら嬉しそうに笑っていた。
「これでお願いします。」
彰がそう言って剣を持ってきたのは、来店から数十分後のことであった。
「良いの選んだな。」
ノーワンはその剣を眺めると頷いた。
彰の選んだ剣は刀身の反った片刃の剣だ。月島の刀匠が打った剣らしく、外見だけ見れば日本刀のような恰好をしている。
ノーワンはその剣を彰から受け取ると、ベルトのようなもので彰の腰に剣を提げてくれた。ずっしりとした重みが下半身にかかる。
「さて、値段なんだが……。」
ノーワンがそう言ってカウンターへ戻ろうとした時だった。それは唐突に始まった。
「何の音だ。」
初めに気付いたのはアクレスだった。彼の耳が捉えたのは、微かな声。その声は、次第に彰とノーワンにも聞こえるほど大きくなった。
「悲鳴だ!」
三人は同時に叫ぶと、散らかったモノを掻き分け店から飛び出した。
「おいおい……。なんてこった……。」
店の外に広がっていた光景を見て、ノーワンは呟いた。
通りに並んでいた店のほとんどから出火し、そこに居た店員と客は慌てふためいて逃げ回っている。何人か火傷を負っている人もおり、あちこちで悲鳴が上がっていた。
だが、彰とアクレスが見つめているのはこの通りの火事ではない。彼らの目線は通りの更に奥、一際大きな炎を上げて燃えている建物に注がれていた。それは、この中央都の中心に位置する、まさにこの街の象徴ともいえる建物。
マテラス王家の住居、白桜城である。
「おい、アクレス! なに突っ立ってんだ!」
ノーワンが呆然と立ち尽くすアクレスを叩いた。
「剣の会計は後だ。お前なら、まだ間に合うかもしれないだろ。さっさと行ってこい、英雄。」
「……あぁ。悪いな。アキラ、お前は家に戻ってろよ!」
アクレスはそう言うと、城へ向けて走り出した。ノーワンはそれを見送ると、呆然としている彰の肩を叩く。
「さ、アキラ君も早く行け。」
「……いや、俺もなんか手伝うよ!」
「大丈夫だ。見ろ、通りの火は間もなく消える。」
ノーワンが指さした先では、通りの人々が燃える家屋にバケツで水をかけていた。中には、水の出る魔法具を使って消火している人もいる。今日は風も弱く、陽もこれ以上炎が広がることも無いだろう。
「……それじゃあ、俺は家に戻ってます。あの、この剣は?」
彰は腰の剣を見て尋ねると、ノーワンは「今から外すのも面倒くさいし、そのまま持ってけ」と笑った。彼に一言礼を言うと、彰はアクレスの家へ向けて歩き出した。
急いで帰る理由も無いはずの彰の足は、次第に速くなっていた。
街の至る所で火事が発生し始めたのだ。これは白桜城から燃え広がった炎、というわけでも無い。現に、城からかなり離れた場所からも黒煙が上がっているのが見える。時間を経るごとに、被害は収まるどころか着実に増えている。
街全体で、同時多発的に起こっている火事。これは火気の取り扱いの不注意によるものではない。誰かが意図的に放火しているのだ。それに、この数は一人ではできない。多人数による計画的な犯行だ。
この世界で組織的な犯行に及ぶ集団と言って、彰が思い当たる組織は一つ。九頭竜だけだ。そして、仮に放火犯が九頭龍であった場合、彼らの狙いは……。
彰は頭を振って、その考えを頭から追い出した。そもそも彰を狙っているとしても、一人のために大火事を起こす必要は無いはずだ。転移者という存在にそこまでの価値があるとは思えない。
「よう、久しぶりだなぁ。お、少しデカくなったか?」
突然、背後から聞こえたその声で彰の思考は停止した。同時に悪寒が走る。
「生きたまま連れていかれるか、死んでから連れていかれるか。好きな方を選ぶんだな。」
振り返った先に立っていた男は、目深にかぶった帽子を上げながら葉巻を吐き捨てた。口元に三日月のような笑みを浮かべながら、刃物のような鋭い目つきで彰を見ている。
忘れるはずもない。ヨハンを攫って行ったあの男だ。
前回と違うのは、彼の標的が彰だという事だ。
「どっちも御免だね……。」
彰は震える声でそう答えると、腰の剣を抜いた。
◇◇◇
『おい、戦争屋。例のガキを見つけた。』
小さな黒い機械から発せられた、ややノイズのかかった音声を聞いて、一人の男が満足げな笑みを浮かべた。高台に座り込む彼の眼下には、赤く炎上する中央都が見える。
戦争屋。一部の界隈で、この名は彼の事を指す固有名詞として通っている。
「恐ろしいくらいに順調だなぁ、全く。これも運命というやつなのかね。」
嬉しそうに呟くと、脇に置いていた鞄から双眼鏡と干しブドウの袋を取り出した。そして、その双眼鏡を覗き込みながら、干しブドウをクチャクチャと噛み潰す。
「何だろうね、この高揚感は。さながら玩具屋を覗き込む子供のような気分だよ。お前はどうだ、エナス。」
隣に立つ長身の男をちらりと見て言った。しかし、エナスと呼ばれたその男は眉一つ動かさずに中央都を見つめている。それを見て戦争屋は「つまらん男だなぁ。」と呟くと、再び干しブドウを貪り始めた。
すると、突然エナスは中央都を指さした。戦争屋はその先に双眼鏡を向けると、眉間にシワを寄せて黒い機械を手に取った。
「英雄殿が城へ向かっているぞ。君たち、凄腕の暗殺集団なんだろう? さっさと終わらせてしまえ。」
すると、機械からしわがれた声が帰ってきた。
『仕事中に話しかけるな。全て計画通りだろう。』
「うむ。そうだとも。だがね、私は早く祝杯を上げたいんだよ。私が本当に見たいのはこの先なんだ。君たち、胸が高鳴らないのか? これから待っているのは、血と鉄による文明の大躍進だぞ! 新たな飛躍はもう目の前だ! それを想像するだけで私の血肉は……」
『……おい、女狐。この機械の切り方を教えろ。煩くて敵わん。』
「狐も居るのか? おい、狐。もっと派手に燃やしてくれ。見ていて飽きてきた。」
その言葉が言い終わらない内に、城を燃やしていた炎の勢いがより強くなった。これは炎というより、もはや火柱だ。それを見た戦争屋は手を叩いて喜ぶ。
「やればできるじゃないか! だが、うっかり研究棟を燃やさんようにな。」
彼は笑いながら言うと、一息ついて立ち上がった。そしておもむろに荷物をまとめ始める。
「帰るぞ、エナス。余興としては十分楽しめた。」
彼は鞄をエナスに背負わせると、中央都に目を向けた。
「牙から血を滴らせる西の列強共の前に、指導者を失った小国が一つ……。この火種は必ずや戦争を、そして、その戦争は更なる科学の飛躍を生むぞ! 五年前のように! 三十年前のように! あぁ……、楽しみだなぁ、楽しみだなぁ!」
楽し気に笑うと、彼は軽い足取りでその場から去っていった。
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