とある研究所の話。

きさらぎみやび

第1話

その研究所は町はずれにあった。

ちょうどここから田圃が始まる、という境目にぽつんと建っていた。

ぱっと見4階建てでそこそこの大きさがあるはずなのに、土の色をした外壁をしているからか、周りと馴染んでなんの威圧感もなくそこに佇んでいる。


「ここかぁ」

あたしは門の前で一人つぶやいた。

これといった目的があるわけではなかったが、何となく気になったのだ。

一応守衛所みたいな小屋が門のそばに建ってはいるが人の気配はなく、門も人ひとりがかろうじて通れるくらいの隙間が空いていたので、まあいいだろうと勝手に判断して敷地内に入っていく。


(玄関はどこだろう…?)


門から見える範囲には入れそうなドアは見当たらない。裏手に回ってみると大きなシャッターが目についた。2tトラックくらいはくぐれそうだ。

と、不意にそのシャッターががらがらと音を立てて上がっていく。


びっくりして眺めているとそこから一人、白衣を着てちょっとはげかかったおじさんが出てきた。こちらに気が付いて声をかけてくる。


「あれ、見学者の人?」

「あ、はい」思わず答える。嘘ではない。

「ふーん、いまどき珍しいね」

「あ、そうなんですか」

「昔は結構いたもんだけど、最近はすっかり人気がなくなったからねぇ。こっちとしては静かに研究ができて願ったりなんだけど」

見学者に対していうセリフではない気がするが、悪気はなさそうである。

「まあせっかく来てくれたんだし、中見てくかい」

「あ、お願いします」

さっきから「あ、」ばっかり言ってるなあたし。そう思いながらおじさんの後について建物の中に入る。


中はひんやりとして薄暗かった。

「結構ひんやりしてますね」

「このくらいの温度のほうが研究に都合がいいんだよ」

そういうものらしい。


「じゃあ順番だし、上から見ていこうかね」

かつん、かつんと冷たいコンクリートの音を立てながら階段を昇る。

「ここはできてから長いんですか」

「まあそうだね。少なくともお嬢さんの生まれる前からはあるよ」

お嬢さんと言われる年齢でもない気がするし、いまさら嬉しくもないけど、おじさんにできる精一杯の社交辞令のようだ。そのまま4階まで昇る。学校の屋上にあるみたいな金属のドアをぎい、と開けるとそこはまんま屋上だった。

テニスコートくらいの広さのスペースの中央に直径2mくらいの円形のプールのようなものがある。


「ここがスタート地点だね」

「はあ」

プールを覗き込むと青緑の液体が渦を巻いている。

ちょっと濁っていて底は見えない。

「このプールの底は建物の中に繋がっている。あそこにバルブが見えるだろう?あれで開閉できるようになってる」

振り返るとさっき屋上に入ってきたドアの脇に赤茶けたバルブが設置されていた。

「ここは外に出てるんですね」

「うん、外気の成分を取り込めるようになっているんだよ、ランダム性が大事だからね」

「はあ」よく分からない。


「で、次は3階に行こう」

再びドアをくぐって建物の中へ。階段を一階分降りるとまた鉄の扉があった。さっきよりも頑丈そうだ。

「結構うるさいよ」おじさんが言いながらドアを開けると、ごうん、ごうんという振動音が一気に響いてきた。

教室くらいの広さの部屋の中央には、でっかい金属の筒が嵌っていた。天井と床をぶち抜いており、振動音はそこから聞こえてくる。

「ここで攪拌をしているんだ」

部屋に響く音に負けないようにと大きめの声でおじさんが説明する。

「天井がさっきのプールにつながっていて、バルブを開けるとここに落ちてくるようになってる。いったんここで受け止めて攪拌するんだ」

「混ぜるだけなんですか?」

「いや、ここでも成分が添加できるようになってる。管がくっついているだろ?あそこを通して入れるんだ」

確かに金属柱にはところどころにチューブが接続されている。チューブの先を追いかけると部屋の奥に作業スペースになっている場所があり、そこにはフラスコやビーカーなど何やら化学実験でもできそうな設備がそろっている。いや実際、化学実験なんだろうけど。

「どうせだから少し手伝ってもらおうかな。ちょっとこっちに来てみて」

「え」

促されるままに作業スペースに入る。

スペース中央にあるテーブルの上に、プールに溜まっていたのと同じような青緑色の液体が入ったフラスコがあった。倒れないように台座の上に載せてあり、ガラス製のふたがしてある。

ふたを外しながらおじさんが言う。

「このフラスコの中に息を吹きかけてみて」

「ええ?変なにおいとかしないですよね?」「大丈夫、大丈夫」

ほんとかなぁ。恐る恐るフラスコを覗き込みながら手を添えて息をふーっと吹き込んだ。途端、フラスコの中の液体の色が透き通ったオレンジへと変化する。

「ほう、面白いね!」嬉しそうにおじさんが言う。

正直ちょっと気持ち悪い。

「ではこれを添加してみよう」言いながらおじさんはフラスコをチューブへとつないで、オレンジの液体を流し込んでいく。

「いやあ、最近はめっきり変化がなくなっちゃってどうしようかと思ってたんだよ。これは結果が楽しみだ。外気から取り込まれてお嬢さんの肺を通過し、体内を巡ってまた肺から気道、口腔を通ってきた成分がここに添加されるんだよ」

嬉々としてしゃべるおじさん。心なしか口調も早くなっている。

うん、やっぱり気持ち悪い。

「さて、2階は濾過工程だから時間もかかるし、ちょうどお昼だ。協力してくれたお礼に昼飯をおごろう。蕎麦だけど」

「いえ、結構です」

「遠慮しないで、さあ」

「いえほんとに」


結局、研究所の目の前にある古びた蕎麦屋さんで相盛りを奢ってもらった。

蕎麦ってちょっと苦手なんだけど、お蕎麦屋さんでうどんだけ食べるのって気が引けるよね。


そこで帰ろうと思ったんだけど断り切れずに研究所まで戻ってきてしまった。

「さーて、結果はどうかなー」

おじさんのテンションが高い。最初の時とはまるで違っていた。

「2階で濾過されたらここに落ちてくるようになっているんだよ」

言いながら最初のシャッターの部屋の奥にある扉を開ける。

そこは大きなプールになっていた。小学校にあるプールくらいの大きさで、天井に空いた穴からどばどばと液体が落ちてきている。

液体の色は深い青、いや黒?でも透けて見えるし、ところどころキラキラしている。


「これが生命のスープだ」


おじさんが宣言する。


「すべてはここから始まり、散っていく。与えられた条件をランダムに取得しながら集合と発散を繰り返し複雑に変化していく」

「我々はここからきて、どこかへ向かっていく」


「きみもそうなる」

気が付くとおじさんが後ろに立っていた。とん、と軽く背中を押されるとあっさりとあたしの体はプールへと落ち、そのまま沈んでいく。自我の領域が曖昧になっていき、あたしの体は液体を構成する成分へと還元されていく。

それは不思議と穏やかな気分だった。






気が付くと、町はずれに立っていた。

時刻はもう夕方だろう。遠くの山の端に日が沈みかけている。

どこかのスピーカーからひび割れたドヴォルザークが聞こえてくる。

振り向くと研究所は無かった。いや、建物はかろうじて残ってはいるが、すでに朽ちかけており、有刺鉄線に囲まれている。


あたしは自分の手を見る。

一瞬、あの深い色が見えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある研究所の話。 きさらぎみやび @kisaragimiyabi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説