第42話 ルーカスとセシア

城の扉は、閉じたままの状態だ。



だが、ルーカスは片手を上げただけで簡単に扉を開けて、城の中へと足を踏み入れる。



それを一生懸命追いかけて、ミルディアは前回来た時よりも城の中の雰囲気が異様に変わって、腐臭がひどい事に顔をしかめた。



(これはなに?なんで、こんなに腐臭が?)



魔界の魔王城は人間のミルディアには耐えがたい苦痛だ。新鮮な空気がないので、息が苦しくなる。ただ、それはさっきルーカスが魔法で呼吸しやすくしてくれたので問題ないのだが、城がこうも変わっていることが気になった。




「お前も気づいた?この城の異変に。こんなに腐敗が進んでいるなんておかしいよね?」



先を歩いていたルーカスがいつの間にか横にいた。


ミルディアはビクッと驚いたが、すぐにその問いかけに頷いた。



「ここまで汚くて、腐臭がする城なんて…見たことがない」



ピカピカだった大理石の床に汚いシミ。壁には大きな黒いカビ、所々壁が崩れて、外よりも異臭がひどかった。




「先代魔王が崩御してからずっと、もう百五十年近く、王が不在なんだ。新たな王が居ない以上、この魔界も終わりだね」



ルーカスが皮肉めいた言葉を吐く。



その顔には表情がなく、あの金の瞳の奥がゆらゆらと、不穏に揺らいでいた。その様子にミルディアはハッとした。




「…ルーカス。あんた、何か企んでいるの?」



見たことがある。あの目に、彼の押し殺した感情を。



異様な雰囲気は彼にもあった。



ルーカスはミルディアの方に冷たい視線を向けた。



「なんでそう思う…?人間に、何がわかるんだ?」


彼の中ではミルディアは完全に人間扱いだ。



だが、彼女の方は前世が魔族だった事もあり、自分には関係のないことだとはどうしても思えない。それに彼には前歴がある。自分を殺した彼が何か悪いことをしようとしているのを見てしまったら、このまま黙ってはいられなかった。



「…あんたの、その目。メアリーの時にも見たわ。そう…メアリーを殺す、数日前に。確か、敵に戦意がなく逃げようとしていた時、迷いなくあんたは殺そうとした」




目障りな人間の命を奪う魔族。元は人間だったルーカスの、その本性を垣間見た。



「…僕は、魔王なんていらない。この魔界もどうだっていい。やりたくもない。だが、今世のこの器にはお前の知る『セシア』がいる」



唐突に、彼は自分の身体について、その器であるセシアの事を持ち出した。



「え…?何を急に…」



「セシアという人間の人格は確かに、ここにいる。僕の今世がそれだ。スピネルのジジイが、魔王として宿したもう一人の僕の人格だ」



「は?人格?…前に、魔界に来た時に話をしていたのは、セシア様と言うもう一人の人格?」



「だが、スピネルと契約を交わしたのは、僕…ルーカス。生前に、魔王になる代わりにと、ね。でも奴は…保険をかけていたんだ。僕が契約を無視し裏切ると思ったんだろう。セシアはその保険だ。偶然にもお前と一緒に育ち、ルーカスの僕とまた再会した」



驚くミルディアに関係なく、彼は語る。



「僕は、器である今世のお前に興味がない。僕はただ前世のメアリー…彼女しか、もう興味がないんだ」



はっきりと、どこか疲れたように、ルーカスは告げた。



ミルディアには分からない。自分は正真正銘メアリー自身だと思っている。それなのにルーカスは何故、二人は別人として見ているのか理解できなかった。



「分からない。あんたの言うこと…私は、メアリーなの。その時の記憶もはっきり覚えている!」




そういう風にルーカスは見ていると思うと、今のミルディアを無視されていると強く感じ、胸の中がムカムカする。


声を荒げ、訴える彼女に、ルーカスは静かに目を向けた。


「…そう。さっきも、そう言っていたね。でも、それはミルディアとして、ただ記憶に残っているだけさ。お前は人間であり、前魔王のようなメアリーの魔力があるからって、彼女自身にはなれないんだ」



金の瞳は確かにミルディアを見つめている。でも、その視線はミルディアの中のメアリーを、前世の彼女しか見ていなかった。




(なん…っ!なんなのっ?何よこれ!?私が、私がメアリーなのよ!?)



気持ちが悪くなった。爪先から全身の血が凍りついていくような、寒さを感じて震え出す。



ミルディアはメアリーであり、メアリーはミルディアだ。



「私は…ルーカス。あんたは私に、興味がないの?」



気づくとそう呟いていた。


寂しそうに聞こえる。



「言っただろ。お前に、興味はない」



ルーカスは今度は彼女を見もしなかった。再び歩き出し、突き放すように冷たく言った。



ズキッ、と胸に痛みを感じた。


そして、ムカムカはいっそう強くなった。



「ルーカスっ。ねぇ、聞いて!私はね…」



前を歩く彼に、自分のこの深い憎しみと悲しみをはっきりと伝えようと手を伸ばしかけた時。



「––––ふっふっふ!ようやく、このときを待ち侘びていたぞ!」



突然、廊下の奥から笑い声が聞こえて、サッと柱の影から白衣を着た男が飛び出してきた。




「…っ、ファウストっ!?」



ルーカスがビクッと足を止めた。



ミルディアも突然彼が現れたことで、大事な話ができず、開いた口を開けたまま固まった。



「…ん?お前は…ハッ!へ、陛下!?」



ファウスト博士は、ルーカスの姿を見て、顔色を変えた。



「え…?陛下?」



今、確かに彼はルーカスを見て漏らした。



…陛下、と。



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