第14話 魔族と人攫い

伯爵邸が領地の中心部にあり、難民がいる聖堂は東に位置する。その反対の門を抜けて、ミルディアの乗る馬車はファウスト博士の目的地へと向かった。



何時間と長く、重い沈黙の中、ミルディアは簀巻きのままうとうとしていた。



馬車の揺れが止まり、ファウスト博士の「着きました」という声でようやく目を覚ました。



「さて、このまま闇市場の仲介者に会わせます。強い魔力を秘めた者は高めで売れますよ」



にっこりというより、にたぁぁと笑って、ファウスト博士はミルディアを再び掴み、馬車から引き摺り下ろした。



ゴロン、と代車に乗ると、ファウスト博士が少し離れた。



(よし!今ね…!)



その離れた隙を狙い、ミルディアは口の中で呪文を唱えた。



短くも彼女の得意である闇魔法は黒い針のような形をしており、器用に手首と足首の部分に巻きついているその光の紐を裂いていく。


すぐに両手両足が自由になると、ファウスト博士にはまだ解いた事を気づかれないように、体に巻きつく光の紐はそのままにしておいた。



(さて、後は彼を眠らす魔法ね)



毒魔法となるそれは身体の筋肉を弱らせて、一時的に動きを封じるもの。あまり多くの魔力を注ぐと、魔族相手でも命を落としかねない。



そこの部分の調整を計って、ファウスト博士が代車を動かした瞬間、パチン!と軽く指を鳴らした。



「…なっ!?」



次の瞬間、ファウスト博士は声を上げて、膝から地面に崩れ落ちた。   

 


「これ…何、を…っ」



後ろで痙攣している彼を冷たく見据え、ミルディアは体に巻きつく光の紐を素手で引きちぎった。


「なん、だと…っ!?」



それを見て、ファウスト博士は驚愕した。



ミルディアは代車から降りて後ろを振り返ると、地面に倒れているファウスト博士の前で腰に手を当て、彼を冷たく見下ろした。



「残念ね、ファウスト博士。私を捕まえたのが運の尽きよ」



そう静かに告げて、フッと憐むように小さく笑みを零す。


「…っ、お前は…!」



途端、ハッとしたようにファウスト博士が何かに気づいたように険しくなった。



「魔王様の…っ!?」


「しばらく、そのまま眠ってなさいな」



だが、彼がその続きを口にする前に、ミルディアはもう一度指を鳴らし、今度は自分の意思で氷魔法を向けた。



「あ…がっ!」



刹那、険しい顔で口を開いた状態で、ファウスト博士は彫刻のように凍りついた。



その姿を感傷にふけながら見下ろしていたが、ミルディアはハッと我に返って、慌てて周りに視線を向けた。



そこは人気のない港付近。



夕焼けに染まったキラキラと光る水面が奥に見える。



多分、ここは隣国のウルト。サザール領地から一番近い港はそこしかない。



海には大陸を渡るための船がいくつも停船している。



ミルディアがいたのは貨物船が置いてある港の倉庫だろう。ずらりと箱がいくつも並び、積んで置いてある。



このままミルディアを貨物船に乗せて、大陸の向こうの国に送ろうとしていたのだろう。




「…仲間は、まだ誰もいないようね。こんなところでそのまま船に乗せられていたらと思うと…」



そこで言葉を切り、自分を抱きしめて、ブルっと震えた。



氷漬けのファウスト博士に再び顔を向ける。



ミルディアのような被害者の事を考えたら、一瞬で殺意が湧いた。


「こいつ、思った以上に悪党だわ。昔はなんとも思わなかったのに…。ほんと、最悪な気分」



だが、それは彼を黙認して、同じように人間を苦しめていた前世の自分にも言える行為だ。



踏みつけて壊そうとしたが思いとどまり、せめてもの情けだと、凍った彼の顔にペッ!と唾を吐いてやった。



「ふん!壊さないだけありがたいと思いなさい!」



そう彼に聞こえるわけではないが捨て台詞を吐く。



「…は、遅いな」



すると、そこに奥の停船している船から人の声が聞こえてきた。



ミルディアはハッとして、積んだ箱に身を隠す。



(やばい…!もう来たのか)



近くで待っていたのかもしれない。



船から二人の男が降りて来る。ここからではよく見えないし声も聞こえない。


ミルディアはもう少し近くに移動して、積んだ荷物の隙間からこっそり様子を伺う。



「本当に来るのか?」


一人はターバンを巻いた褐色の若い男性で、ゲンリー語ではないがミルディアの分かる言葉で話している。



(あの肌と、言語からして…東方のランプレル語ね)



「相手は時間にうるさい。前の取引で一秒でも遅れたら怒るような奴だ」



もう一人はミルディアの方に背中を向けているため顔は見えない。陽に焼けてくすんでしまった金髪と訛りのあるランプレル語だ。



あの褐色の男とは違う国の者だろう。



「なら何故いない?もうそろそろ出発しなければ時間に間に合わないぞ」



「そうだな。ありえんとは思うが、失敗したのか…。少し見てこよう」



そう言って背を向けていた金髪の男が、ミルディアの方に振り向いた。



(な…っ、あいつ!?)



その瞬間、ミルディアはその男の顔を見て驚愕した。



(マクシミリアン!?クロードがなんでここにっ!いや、奴が人身売買をするなんて…っ)



昼にあったあの男が、まさかファウスト博士と繋がっていたなんて…。



(あり得ないわ!聖女に執着している男が、こんなことするような…はっ、ダメ!こっちに来る!)



マクシミリアンのクロードが歩いてくる。慌てて物陰に隠れた。



「…あれは!」



すると彼は地面に氷漬けとなったファウスト博士の姿を見つけると、喧騒変えて彼の元に駆けつけた。



「魔法で、凍っている?…どういう事だ?まさか、捕まえた商品にやられた?」



彼は凍ったファウスト博士を見つめ険しい顔をすると、周囲に視線を走らせ警戒した。


「だとすると…まだ、近くにいるな」



ファウスト博士の姿を見ただけでそれが分かるのは、やはりクロードだからか?



ミルディアは出るに出られず、どうしようか考えた。



(クロードの前に出て、聞いてみるか?でも、本当に仲間だったら、このまま船で連れて行かれて…)



知り合いだとしても、ファウスト博士と関わっていた時点で、前世とは違う意味で、非道な奴だったのだとわかってしまう。



(でも、このまま見て見ぬ振りもできない。この男がどういうつもりでこんなことに手を出しているのか…。やはり、確かめなくては…っ)



前世からのよしみだ。



もし、ファウスト博士と繋がりがあって人身売買をしているなら、彼もファウスト博士同様悪人で懲らしめなくては気が済まない。騙されていたと分かれば、それだけで腸が煮えくり返った。



マクシミリアンのクロードが周囲の荷物の陰を探しウロウロする。



ミルディアの隠れている荷物と荷物の隙間に近づいてきた彼を見て、ミルディアは自ら彼の前へと躍り出た。



「そこまでよ、クロード!」


「なっ!?誰だっ!」



突然目の前に現れたミルディアにマクシミリアンのクロードは驚き、鋭い声を上げた。



「あんたがまさか、この男と繋がっていたなんてね!聖女側の男が裏でこんなことをしていたなんて、どういうつもりよ!私を騙していた事も全て、洗いざらい白状してもらうわよ!」



ミルディアが指を差してマクシミリアンのクロードに宣言すると、彼の顔が驚きから困惑へと変わり、変なものを見るような目つきでミルディアを見つめた。


「誰だ…お前?クロード?誰のことを言ってるんだ?」



今さらしらを切るつもりか、マクシミリアンのクロードはミルディアを見ても態度を変えず、むしろ初めて会ったかのように聞き返した。



「…は?あんたこそ何を言っているの?捕まえた商品が私で驚いたから、しらを切るつもり?」



今更とぼけても遅い。


ばっちりと見てしまったんだ。



だが、彼はミルディアの話が本当にわからない様子で、訝しげに首を傾げる。



「だから、お前こそ何を言ってるんだ?っていうか、お前が今回の商品だな。これをこんなふうにしたのも、お前だろ?」


そして、ミルディアからファウスト博士に顔を向けてハッとすると、険しい顔つきでミルディアを睨みつけてはっきりと告げた。



ミルディアは頭が混乱した。



自分を知らない様子で、彼はミルディアが商品なのか確認してくる。



(ど、どういうこと?マクシミリアンだよね…この顔。クロードが化けていた…ん?)



そこでふと、目の前の彼は領地で会った時と、外見が違った。



領地にいたマクシミリアンはもっと綺麗な金髪だった。声も少し高くて、違うように聞こえた。


「まさか…!いやっ、わからない!すみませんが、あなた…マクシミリアンですよね?」




馬鹿なことを聞いていると思う。



だが、聞かずにいられなかった。さっきと少し違う彼に違和感を感じたからだ。



「…っ!?何故、知っている?商品の女が俺の…」



途端に、彼が険しい目でキッとミルディアを睨み、威嚇するように身構えた。



(嘘…!これは…こっちのこれが、本物のマクシミリアンか!)



クロードが化けたにしては自分を知らないことや、少しだけだが外見や声の違いからして、この目の前にいるマクシミリアンは別人じゃないかと踏んだ。


案の定、彼は領地で会った偽物ではない。



この彼こそが本物の、マクシミリアンだったのだ。















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