第5話 悲しみと笑いの密会取引

「あ、れ…?」



突然、変な気分になって、ミルディアは顔を歪めた。



ポタポタと、頬に暖かい何かが流れ落ちた。




懐かしいと、どうしてセシアの言動にそう思ったのか…ミルディア自身、わからなかった。



ただそう思ったら胸が締め付けられて、悲しみが押し寄せた。



「なんで、泣くんだ?」



唖然としたように、セシアが言った。



それでようやく、この暖かいモノが涙なのだと気づき、ミルディアは自分が泣いていると自覚した。



「え…?嘘っ!?なんで泣いて…あれっ?止まらないっ!?」



慌てて涙を拭ったが、次から次へと溢れ出て、涙を止める事ができない。



その焦りと困惑に顔を引きつらせて止めようと必死に拭うミルディアの姿を見て、セシアはどこか辛そうな表情をした。



「なんで急に…?そんな顔するな。調子が狂うだろ」



不意に彼がミルディアに近づいて、涙に濡れた頬にそっと触れた。



セシアは壊れ物を扱うように優しく、それでいて慣れたような手つきで両手で両眼から流れ落ちる涙を拭った。



その至近距離からの予期せぬ行動に、ミルディアは驚いて、ピタッと涙が止まった。



「あ…?止まった?」



セシアがポツリと呟き、手を下ろす。



「あの、今のは…ヒック!?」



涙を拭う慣れた手つきに、ミルディアが尋ねようと口を開いた途端、しゃっくりが出た。



ハッとして慌てて口を塞いたが、またヒック!としゃっくりが出た。



その恥ずかしさにミルディアの顔が見る見るうちに真っ赤になった。



「あ、の…!これは…ヒック!ううっ…やだぁ!止まら…ヒック!」



今度は涙の代わりに、しゃっくりが止まらなくなった。



(うわ…!なんなのよこれは!涙の次はしゃっくりって、絶対おかしいって笑われる!)



そう思い、必死に胸を叩いたり、息を止めたりしたのだが、ダメだ。止まらない。



「…プッ」



すると、呆気にとられたように黙っていたセシアから、突然小さい笑い声が聞こえた。



ハッとしてセシアの方を見ると、彼は口を押さえて顔を背け、肩を震わせながら必死な様子で笑いを堪えていた。



「〜〜っ!あの!コレは…ヒック!」



(ダメだ!何を言おうとしゃっくりが邪魔をする!)



先ほどとは違う気持ちで、ミルディアは恥ずかしさで泣きたくなった。




「…ぐふっ、ダメだ…。やっぱ、お前…あっはははは!やばい!なんなのそれ!?涙の次はしゃっくりって、どんだけ忙しいんだよ!」



堪えていたセシアは、ミルディアの姿を前に笑いを堪えきれず、とうとう声を立てて笑い出した。



「せ、セシア様!」



赤くなった顔で非難するように名を呼ぶが、彼には届かず、腹を抱えて笑い続ける。



余程ツボに入ったのか…。



(この姿…!昔とまるで変わらないわねっ!)



人の失敗を、人の弱みを、平気で笑って相手に屈辱を与える。



今の女の扱いにも慣れているようだし、勉学にも励んでいて、少しは大人びて変わったのかと思ったが、中身は昔のままだった。




(ふっ…いいわよ。笑いたければ笑えば。アリシア様とは賭けで勝ったのだから…)



昨日、久しぶりに会った兄から冷たい態度を取られたアリシアは、兄が変わったと思ったはず。



ミルディアも、セシアは昔と変わった所があると思ったからだ。



「…あ〜おかしい。笑った笑った!ほんと、お前って昔と変わらないな」



目に涙を浮かべるほど笑った彼は、ようやく笑いを止めて、ミルディアが昔と変わらない事を伝える。



「…ああ、そうですかそうですか。セシア様は、少し大人びたようですねぇ」



笑みを浮かべて答えるが、ミルディアの額には青筋が浮かんでいた。



「少し?大分違うだろ。それで、どうして泣いた?」



話を蒸し返す彼に、ぐっと言葉に詰まった。だが、すぐに彼女はあることに思い至り、嘘をつくことにした。


「それは…セシア様が、聖女様を蔑ろにしたからです!私は昔から聖女様に憧れていましたからね!」



皆が慕う聖女を、ミルディア自身も憧れている事にした。



そのせいで泣いたと言えば、そう不自然ではないだろうと考えた。



セシアは軽く目を見張り、突然、興味さそうに「ふーん」と相槌した。



「やっぱり聖女に夢見てたんだなお前も。まぁ、昔から称え敬い憧れる対象だからな。なんだ…焦って損した」



焦っていたのかは不明だが、ミルディアに泣かれたことに戸惑っていたのは確かだ。


ミルディアは何か含みのあるような言い方に首を傾げたが、それ以上自分から余計な事を口走らないようにした。



「あの、話が脱線しましたが…呪い袋は任せてください。ちゃんと準備をしますから」



セシアにこの話をこれ以上させるまいと、話題を戻す。



「…ん?ああ、それだな。効果があるなら試してくれ。ただ、その呪いの袋ってのは、あいつに持たせておくのか?それともどこかに隠して呪うのか?」



セシアの言う通り、呪い袋の効き目を最大限発揮させるやり方は二通りある。



「そうですね…。渡して持たせると、バレた時に面倒ですよね。この際、どこかに隠した方が良いでしょう。なるべくマクシミリアン様の身近に…例えば自室のベッドの下や机の下に隠すのが一番効果的でしょう」



「自室か…。う〜ん、それは難しいな」



考える間も無くセシアは否定した。



「えっ?何故ですか?」



ミルディアが目を丸くし聞き返すと、セシアは顔をしかめる。



「あいつの家は騎士家系と言っただろ?黒魔法、闇魔法の気配に敏感な人がいるんだ。呪い袋を家に隠されたら、その人に見つかるだろうな」



「マクシミリアン様のご家族に感知者が!?…あ、もしかして今回、国王陛下に町に向かうよう指示された近衛騎士団の誰かですか?」



顔を引きつらせたミルディアが思いつきで尋ねると、セシアは少し驚いた顔をする。



「ああ、そうだ。よく分かったな。近衛騎士団に、アイツの兄君がいる。特に聖女と反対の闇の眷族達の気配はもちろん、その力がどこで使われているのかと、百ヤード先の場所まで感知できるらしい」



百ヤードとはこの領地の町三つ分の距離に入る。



首都フォードの王宮からでは、この領地は入らないが、それでも首都から出てこればわからない。




「それって、感知者にしては優秀じゃないですか!?」



そんな人が近くにいたことにギョッとすると、セシアは苦笑した。



「そりゃあそうだ。もっと強い、はっきりと感知する者はいるが、彼も優秀だ。だから近衛騎士になれたんだ。ジュリアスさん…マクシミリアンの兄君は剣はあまり得意ではないが、感知能力で騎士団に入れたらしい」



「感知でっ!?あ、ははは…。そんな人が近くにいたんですね」



どうやらミルディアはとても危ない場所にいたようだ。



魔物と同じ闇魔法を使うミルディアの魔力は、隠し切れていない魔力はすぐにバレてしまうだろう。



この領地の隣町、コンコリ町にその近衛騎士がいるなら、ますます危険だ。



「あ、あの…その人って今、宮廷にいらっしゃるんですか?」



思わず恐る恐る尋ねると、セシアは軽く首を振った。


「いいや、昨日マクシミリアンと俺が帰ってきたからな。陛下の命で、隣のコンコリにいるらしい。魔物の気配を感知した者は何人かいたようだが、その一人だと聞いた」



「は?つ、つまりマクシミリアン様の兄君様は、セシア様達と同じようにその隣にいるんですね?」


顔が青ざめていくミルディアに、セシアは訝しげに眉を寄せる。



「ああ、そういうことだな。魔法と言っても彼は闇魔法専門の感知者だから、魔物が近くに居ればすぐにわかるが…おい?大丈夫か?」



だんだんと真っ青になったミルディアがふらついた。セシアは慌てて支えようとしたが「大丈夫」と手で制された。



「な、なんともないです。ただ、セシア様…。この件は非常に危険な賭けです。私は魔力を隠して生活していると言いましたよね?」




「あ、ああ。そうだな。魔法が使えるってバラされたくないんだろ」



「そうです。今まで上手く隠し通してきました。ですが、あなたにこうしてバレてしまっています。それに今から呪い袋で人を呪おうとしています。マクシミリアン様の兄君様が近くにいては、無理です。この件は降りさせてもらいます」



感知者がここまで迫っている。そんなに近くにいるなら、呪いはしない方が身のためだ。


前世でもそういう場面がよくあった。



感知者、聖女や彼女の師匠である魔法使いにバレて、よく戦い、隠れても逃げても…あの魔法使いは容赦なかった。



「バレたくないのです。私の居場所は、この伯爵家にある。その人がそんなに近くにいるなら、あなたも、私の魔法を利用しない方がいい」



バレたらという恐怖に真っ青になりながらも、ミルディアの頭ははっきりしていた。



真剣にセシアを見つめ、この件は中止にする事を勧めた。



セシアは微かに息を飲み、口をつぐんだ。



何を言うべきか、考えているのか…。



「セシア様。魔法以外のやり方で、マクシミリアン様の騎士候補を妨害しましょう」



もう一押しだと、強く訴えるように目に力を入れて告げる。



セシアは静かに聞いていたが、ふとミルディアを見つめてニヤリと笑う。



「いいや、中止にはしない。その呪い袋は俺が奴に渡そう」



「…っ?ま、待ってください!そんな事をしてはその兄君様に見つかり、セシア様が捕まりますよ!」



なんて事を言うのか、と驚きに声を上げたミルディアに、なぜか彼は余裕な笑みを浮かべた。



「大丈夫さ。捕まるなんてヘマはしない。逆に、うんざりしていた奴らを、騎士団もろとも町から追い出してやるよ」



自信に満ち溢れた表情で、彼ははっきりと宣言した。



その余裕はどこからきているのか…。



唖然とするミルディア。



(これは…本当に、大丈夫かなあ?不安でしかない)



昨日もセシアの悪巧みは可愛い悪戯ではすまないと、恐ろしいモノだと気づいた。



それがやはり引っかかって、彼の悪巧みを知りつつ、一人でやらせるなんて出来なかった。



そう考え込んでいる彼女の肩に、セシアがポンと手を置いた。



ハッとして顔を上げると、そっとその耳元に口を近づけてきた。



「ミルディア。お前は作るだけでいい。あとは、俺がやるさ。今更止めるなんて言わないだろ?魔法をバラされたくないもんな」



「…!それは…そうですけど…っ。あの、でも、騎士団の感知者にバレずに、どうやって彼に呪いをかけるんです?」



(彼に一人で任せるのは、やはり不安だ。でも近衛騎士に近づきたくない…!バレたくない!だけど、ここで引けば、後悔しそうだ。過去の経験からして、この悪いことを企んでる顔見ると…無視できない!)



昨日みたく、いやそれよりも悪党らしい顔つきだ。



昔よりも悪党らしいそれが、余計に彼一人に任せるのは危険だ。誰かが彼を止めないと、ダメだと思った。



「なんだ…?お前、騎士団にバレるのが怖いんだろ?それなのに聞いてどうするんだ?俺よりも騎士団にバレたらそれこそ逃げられない。最後まで協力できるのか?」



(…っ!あれ…?待てよ。これは、私を試している?)



急にふと彼が真面目に、どこか探るような目でミルディアに告げた。



態度を変えたその反応に、ミルディアは余計に気になった。というよりも、返って興味が湧いた。



「確かに彼らに近づくとバレそうで嫌です。逃げたい気持ちはあります。でも私は…いや、私無しでは、その呪い袋も作れませんよね。あなたのその自信がどこから来るのか知りませんが、もし失敗したら、どっちみち捕まります。なら、自分も加わったほうがいいと思ったんです」



正直に、いやかなり迷ったが、ミルディアも覚悟している。


彼を脅して、賭けにも出てみた。



セシアは意外そうな顔をして、彼女の肩から手を離し距離を取った。



「…あなたは自信があるのだから、私が居ても居なくても関係ない。でも私は困る。気になって、あなたから目が離せなくなります」



もう一押しと、彼を説得するように言った。












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