第4話 魔法の知識欲は聖女よりも深い

ミルディアは早朝から出勤している。



眠れなかったこともあり、いつもより早めに伯爵邸に向かった。



父モイスはその時間には家を出て、市場に向かっている。市場から欲しい物を仕入れに行き、それを屋敷に運んでもらうように手配するのを毎日のように自分で行っているようだ。



庭と言っても伯爵邸くらいの大きさでは一人で行うのは大変だ。庭師は四人雇われている。モイスとミルディアに、コルドラと見習いのジェイドだ。



モイスとは違いコルドラは月に入る日程が決まっており、モイスの休みと入れ替わりに入っている。そこにミルディアとジェイドが手伝う形で役割分担されていた。



ミルディアは昨日できなかったセシアのパーティーで使う予定の花々を回収した後、その花々を新しく発注しないといけない。これはいつもの業務には入らないが、責任者のモイスには許可を得ていた。


いつでもパーティーが開けるように、使うための花々の収穫日を決める。その中でも足りない花々は他所から見つけて発注することでこの仕事はひと段落つく。



どれがいつ収穫できるか、どれが足りないか、文字を習っているミルディアは用紙に必要な花を書いていった。



それを夢中になって、出勤時から二時間ほど時間が過ぎた。



邸の方が少し騒がしくなった。



使用人達はすでに出勤し掃除を終えているようだが、アリシアやセシアが起きる頃なのだろう。



西の庭は厨房から近くにあり、花の匂いに混じり、朝食の香りが漂ってきた。



「そういえば朝食…まだだった」


そう思ったら、腹が鳴った。



「はぁ…でも、我慢我慢。…あ、これは絶対

必要だわ」



目の前にある花に目を向き、メモに書いて、仕事を再開した。



これはパーティーの主品となる花で、ハーデンべルギアと言う花だ。貴重な物であり、数が限られている。



色も紫が基本となるが、白やピンクがあり、それも手配しなければ数が合わなかった。



(色は…昨日もそのだけど、もうちょっと薄い感じの紫にしよう)



蔓状に伸びて小花を咲かすハーデンベルギアを見つめ、ふと、その花に込められた言葉を思い出す。



花言葉は『運命的な出会い』や『奇跡的な再会』とある。他にもあったが、それを思えば昨日のあの再会は奇跡的ではないが、最悪な再会だった。



「あ…ダメ!また思い出してる!」



ミルディアはハッとして頭を振った。



この花を見ただけで、そこからセシアと再会した事を思い出してしまった。これではいつまで経っても彼との再会を、あの出来事を忘れられなくなる。


「はぁ…。いつもなら、この子達を見るだけで癒されるなのに…」



今はそれが逆効果になっていた。



「…そのため息は、俺のせいか?」



刹那、背後から聞き覚えのある低い声がした。


「きゃああああっ!?」



ミルディアはその場で飛び跳ねるほどに驚き、悲鳴を上げた。



「なっ…?悲鳴を上げるほどかよ!?」



ミルディアの悲鳴に、忍び寄って近づいたその声の主は耳を塞いで顔をしかめ、後ろに下がった。



「な、な、な、なんでセシア様がここに…!」


声を張り上げてミルディアが告げると、セシアは眉を寄せて訝しげに首を傾げた。



「何を言っているんだ?昨日、お前が自分から言っていただろ。ここで落ち会う約束だろ?」




「え…?約束?」



不意に、脳裏に昨日の自分の状態を思い浮かべた。



気づかれた事のショックに頭が真っ白になった。セシアと今後のことを話していたような気がしたが、落ち会う時間や場所を具体的に思い出せない。



「おい、その顔まさか、忘れていたのか?」



昨日のことだぞ!?と、驚いたように言われ、顔を引きつらせていたミルディアは作り笑いを浮かべた。



「やっ!まさか…!ちゃんと覚えておりますとも!庭の仕事があるので、西の庭園にいらしてくださいと私から言いましたもんね!?」



「…『言いましたもんね』…?…おい。お前、明らかに忘れていただろ?それ!」



セシアは疑うようにミルディアを睨み呟くと、ギクッ!と顔をひきつらせた彼女を見て、大声を上げて指摘した。



「いや、ですから忘れていませんよ!ちゃんと、ここにいたじゃないですか」



そう言い返したがミルディアの目は泳いでいた。




「お、お前な…。はぁ…わかった。もういい。そういうことにしといてやる」



嘘をついているのがバレバレだった。


だが、言い争うのも不毛だと思い、セシアはため息をついて折れた。



それを見てミルディアはホッと小さく息をつく。



「…それで、マクシミリアンに掛ける魔法はいつからできる?」



セシアが話を進めた。



ミルディアは必要な花を書いた用紙をポケットに入れて、セシアの方に真面目な顔を向けた。



「…そのことですが、あなたの作戦を考えたのち、これは魔法よりも呪い袋を作る方が効果があります」



「呪い袋?魔法でチャチャってやれば早いだろ」



大魔女メアリーの魔力持ちのミルディアなら簡単にできるが、それは一時的だ。魔法で呪い体質にしても、効果が切れる可能性があった。


「簡単に言ってくれますが、魔法を使うのも限度があります。私の魔力はあまりありません。マクシミリアン様を呪い体質にするまで、何度かその効き目を伸ばすように、魔法を使わなければなりません。ですが、何度もそうバンバン使えばさすがに倒れてしまう」



「それは、体力と同じってことか?」



「ああ、そうです。体力がない人を何度も走らせれば流石にスタミナ切れで倒れます。それと同じ、私も魔力の量が少ない。それにマクシミリアン様に呪いをかけたとして、あの方が体質に合わなければ、その呪いの効果は薄れてしまい、魔法をかけても意味がないことになる。何度もかけてようやく呪いが完成する事もあるので、それはお勧めできませんね」




説明を聞いて、セシアは理解しているのか、難しい顔をして頷く。


「そうか…なるほど。お前の魔力の量にあいつの性質か…。かからなければ魔法をかけても意味がないもんな。それで、呪い袋の方が直ぐに効果が出ると、お前は思ったわけか」



「はい。そうですね。セシア様、よく理解できてます」



魔法が使えない者は飲み込みが遅く、理解するのに時間がかかる。だが、彼は多少こういう知識を持っているのか、飲み込みが早かった。



それが意外で思わず教え子を持った教師のように言うと、セシアが半眼を向けた。



「なんだ、その言い方。バカにしてるか?」



ムッとしたように言い返した。



ミルディアは慌てて顔の前で手を振った。



「違いますよ!その逆です!…ちょっと、いや、かなり意外でしたので…!セシア様だけに限った事ではなく、魔法が使えない方はこういう知識を持っていません。頭越しに否定して、魔法と言うモノを理解しない人が多いのです」



「ああ、なんだ。それは古い考えだ。この世の中、誰もが魔術、魔法を勉強できる。それは貴族だけじゃなく平民でもだ。俺はこれでも伯爵家の息子だ。寄宿学校で魔法学を取得していて、これが出世に響くんだよ。基本ばかりの魔法問題が出てきて、知識が無ければ卒業できない」




「魔法が、勉学に…?出世に響くんですか?ですが、魔法を学んでも魔法が使えないですよね?」



驚くミルディアの反応に眉を寄せて訝しんだが、セシアは肩をすくめて皮肉な笑みを浮かべた。



「それは当たり前だ。昔も今も変わらない。ただ、ある国では魔法に匹敵する科学兵器を開発しようとしている所もあり、魔法を学ぶのも次世代の子供たちにはいい影響なんだとか。それに魔王から世界を救ったあの聖女伝説がある。魔法を少しでも学び、世を平和にもたらす為にも魔法学は貴重だな」



セシアの答えに聖女の名が出て、ミルディアの顔色が変わる。



喉に、腹部に触り、ギュッと身体を抱きしめる。



「そうなんだ…。魔法が使えなくても、憧れる存在があれば、それが原動力となるのですね。もしかして、セシア様も聖女に憧れているのですか?」



ふと、ミルディアはそう思って尋ねると、彼は迷惑そうな顔をした。



「はぁ?なんでそうなるんだ?俺は魔法には興味あるが、あの聖女伝説とやらには興味がない」



セシアは顔をしかめ、聖女に対して不快感を露わにした。



「だって怪しいだろ?聖女なんて。どこの馬の骨かもわからない女がいきなり現れて、世界を救うんだぜ?誰もが魔王に敵わなかったんだ。それが一人の女がどうやって、あの魔王に打ち勝つんだ?仲間の騎士がいても、人間と魔族では、力の差は歴然だ。話にならない」



この考えには唖然としてしまう。



ここにきて、セシアが聖女を否定するとは驚きだ。



「で、ですが、聖女は男の人にとって憧れる存在になるはずです。小さい頃からずっと聞かされている話です。セシア様は本当に、聖女に興味がないのですか?」



一度はあるはずだ。



周りの男の子はみんな聖女に憧れ、それが女性に対する理想像になっていた。女の子でも、聖女に憧れていた者は多い。



「はっ…!それはうんと小さい頃の話だろ?憧れは憧れで終わる。今はあの聖女伝説も学べるからな。あれを調べてみると、あまり興味が湧かなかった。魔法は別だったがな」



(なんだそれ…?変わっている。いや、私がそう思い込んでいたのか?皆、男は誰もが明るくて可愛い、天使のようなあの聖女に憧れていた。時代が変わり、聖女の効果も薄れていったのかな…)



そう思えば、セシアは再会してからずっと、聖女に関わりたくないような発言ばかりしている気がする。



マクシミリアンに呪いをかけるのも、聖女の騎士の家系である彼を選ばれないようにするためだった。



自分のことも、候補に上がるのが嫌だからと、騎士に選ばれるのを避けるためだと言っていた。



「変わってますね、セシア様って。聖女を否定するのに魔法は学びたいなんて、初めて聞きましたよ」



ミルディアの過去、前世メアリーだった時も、誰にも聞いた事がない。その正直な思いを告げると、セシアは微かに眉を寄せた。



「変わっている?初めてって、お前も聖女に夢見過ぎてる口か?その女が必ずしも、正義だとは限らないだろ」



ふん、と鼻を鳴らして、何故かセシアは不機嫌な様子で告げる。



ミルディアは目を見開き、セシアの最後の言葉にハッと息を飲んだ。



「『正義とは限らない』…?あ、あの!なぜ、そう思うのですか?聖女を怪しいと思う根拠は、なんですか!?」



いきなり身を乗り出し詰め寄った彼女に、セシアは驚いたようだ。



「なっ、なんだよ急に!根拠って、別にそんなものはない!伝説を聞いた時、何故かそう思ったんだ。聖女は本当に正しい者なのか?魔王を倒して世界を救ったのは、本当にその女だったのかって!」



ミルディアは彼の答えに、驚愕した。



それは、前世にある男が言っていた言葉に似ている。



(現れた聖女を、奴は…疑っていた。疑って、嫌悪して…だから、油断していた)




メアリーの隣にいて、聖女を頭越しに否定し、悪は彼女だとも言って嫌悪していた。



「お、おい…?お前、なんでそんな顔をする?」


セシアが戸惑うように呟いた。


「え…?顔?何か、おかしいですか?」



ミルディアは首を傾げて、自分の顔を触った。


自分では、どんな表情をしているかわからなかった。



だが、彼が戸惑い慌てるようなその姿に、可笑しくもどこか懐かしい、悲しい気持ちになった。




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