第1話 庭師の娘の近状

剣が、視界に入り息を詰まらせる。



充分離れた距離でありながら、剣を突きつけ、周りの人々を脅すように立つ男。



白に金の獅子の制服を着た国王の近衛騎士団副団長、ハーレツイン侯爵家嫡男、オリバー=ハーレツイン。



「あ、あ〜…どういうことですか?何故、そんなことを?」



町の町長が前に出て、彼に尋ねる。



たった今告げたオリバーの言葉に。



「この領地付近は魔物の増殖から危険区域となった!国王陛下からの勅命である!今すぐに荷物をまとめ、領地から立ち去れ!」



突然の国の命令は、住民を不満にさせるだけでなく疑問を抱かせた。



近衛騎士団としてわざわざ告げることは、よっぽどの事だが、住民にはさっぱり理解できなかった。



「どういうことですか!?魔物って、辺鄙な田舎にならともかく、ここは首都に近い位置ですよ!一度も魔物など出たことがないのに!」



町長が叫ぶように言い返すと、オリバー副団長は僅かに眉を寄せて、突きつけるように持っていた剣を地面に振り落とす。



「その発言は、国王陛下の御勅命を背くということか?コンコリ町の町長ともあるまじき発言だな」



脅しがさらに増して、オリバー副団長は冷たく睨みつけた。



その睨みに町長は震え上がった。



後ろにいる住民達もその気迫に怯える者が多かった。




(国王の命?危険区域となるのは…)



しかし、彼女にはその気迫は通じなかった。それよりも今言った発言のある部分の事が気がかりだった。




コンコリ町は首都フォードの外れにある森から少し離れた町である。その反対には大きな川が流れ、川の向こうに彼女の住む領地が見えた。



そのコンコリ町がどうして今更、危険区域になるのか理解できない。



魔物はこの何十年、この首都付近の町や村では目にしたことがなかったからだ。



「他に意見がある者は!国王の命に背くなら、皆この場で切り捨てて良いと許可を得ている!この剣の餌食になりたくないのなら、直ちにこの土地から去れ!我々は本気である!」




副団長の叫びに呼応して、後ろに控える騎士達が剣に手をつけた。その威嚇に、これは冗談ではなく本気だと感じた。




「わ、わかりました!皆に、すぐに町を出るように伝えます!」




町長が震えながら叫び、野次馬のように集まった住民達は慌てて家に戻って行く。



こんな強硬手段を取るとは、噂に聞いた近衛騎士団らしかぬ行動だった。




ダイリー国の現国王は賢王として民に人望があり、貴族からも支持されている。周りの国との交流も深く、先代国王の時代とは比べ物にならないくらい平和な国となった。


魔物が出ないことが、その証拠だ。


国を治める者が愚王であればあるほど、国は傾き魔物が棲みつく。



例として、この国から北の大陸にあるマガラ王国は多くの魔物が出現して、民の暮らしを脅かしていた。



そのため、噂では、その国からもっと奥の地に、魔物達を率いる魔王が復活したと言われていた。



住民が慌てたように家に戻るところを、彼女だけはゆっくりと戻って行く。



(この地も調べられるのか…。都に近いから安心していたのになぁ。魔王の復活の噂で、闇の眷族が見つかるのも時間の問題ね)



彼女は冷静に状況を分析していた。



生まれも育ちもごく普通の田舎者として生まれた彼女ミルディアには、前世の記憶があった。



前世は人間ではなく、世界を破滅にもたらす魔王の娘として、人間に恐れられていた大魔女であった。



名前はメアリー。呪いの魔女とも呼ばれ、闇魔法で強力な呪法を使い相手を呪うのが得意とする。



強大な魔力を秘めた彼女は、この世界の救世主である聖女と対立していた。悪役として、聖女を守る王子達に呪いをかけて、誰も愛せないように大切な心を奪った。



そのため、呪われた王子の一人に命を狙われていたところに、メアリーの親友のルーカスが現れて、彼女を裏切り殺したのだ。



ルーカスは幼き頃より、メアリーと共に魔王に尽くし悪として聖女と敵対していた者だ。



だが、実際は彼に忠誠心などなく、共に生きてきたメアリーを慕うフリをして憎み、騙し続けていた裏切り者だった。



聖女と手を組んだ時点で、彼は初めから何もかも騙していたのだ。



自分が死んだ時の記憶を持ち、転生したのが今の彼女で、町娘のミルディアだ。



ミルディアはふと後ろを振り向き、小さくなった近衛騎士を見た。



彼等はすでに周りを固め、小隊わけして町中を捜索していた。



ミルディアは前世が大魔女であったことから、ただの町娘にはないはずの魔力がある。

それも前世と同じ、メアリーの強大な魔力だ。



あの近衛騎士の中には、魔力を感知する者が必ずいる。



もしもこの場で見つかれば、彼等に捕まり、魔物の類いと間違われて殺される可能性があった。



住民達と離れたミルディアは川の向こうのサザール領地にある伯爵邸に向かった。



その領地を所有する貴族、サリオン伯爵家はミルディアの祖父の時代からお世話になっている家である。



祖父は今引退しているが、父であるモイスは伯爵家の庭を全て管理している庭師だ。


その庭師である父をミルディアは尊敬している。女でありながら、伯爵家の庭師として父の仕事を継ごうとしていた。



現在はその祖父と同じ時期に世話になっていたサリオン伯爵は亡くなり、その息子が受け継いだ。



その息子、現在の伯爵の次女とミルディアは幼馴染である。長男が家督を継ぐ後継者として伯爵と宮廷に参上している。次男は寄宿学校にいる。



そのため貴族の邸にお世話になっているミルディアは、自身に秘められた大魔女の魔力がある事をひた隠している。



だが、厄介にも、魔力というものは隠していても訓練していない者はその魔力が漏れてしまうもので、ミルディアのように訓練などしたことのないただの町娘には限界があった。年を重ねるごとに増して行く魔力を少しでも放出しなければならない。


それを周囲にバレないように、たまに魔力を、魔法を使っていた。



今のところ誰にもバレていないが、それも時間の問題だ。


ミルディアはサザール領地に入ると、町の人気のない裏路地に向かった。このまま歩いて伯爵邸に向かうのは時間がかかる。見つからないように細心の注意を払い、魔法を使って瞬間移動した。



この瞬間移動も何年もの修行を積んだ後に習得できる高度な魔法だが、大魔女であったミルディアには簡単にできた。



伯爵邸は広い。その邸までの道のりもあり、瞬間移動の先は邸の外ではなく、中の、それも見つからない安全とされる物置小屋に転送していた。



ブブブブン!!




魔法陣が光り音がして、周りの景色が変わる。



約三十秒程で転送は終わった。



慣れた瞬間移動だが、少しだけ体力が削られた。



物置小屋から誰もいないか確認して、ミルディアは外に出た。



そこから急いである場所に戻らなければならない。



ちょっとお出かけしたつもりが、結構な時間、あの町にいたらしい。



「…騎士団か。このこと伯爵家のみんなは知っていたのかな?」



伯爵邸にて雇われていても、そういう情報は皆無だ。



伯爵も今いないし、その継承者もいない。



「あれっ?ミルディアじゃないか?」



そのとき、不意に声がした。



ビク!とその場で飛び跳ねた。



「あ、あ…あれ?ま、マイク?」



慌てて邸に行こうとしていた彼女は、使用人のマイクと鉢合わせになった。



「なんで君、ここにいるの?アリシア様と準備していたんじゃないの?」



実は今日、数年ぶりに寄宿学校にいた次男が帰って来るのだ。



アリシアが企画した『おかえりなさいパーティー』の準備を手伝っていたが、そこでミルディアは庭に飾る材料が足りない事に気づき、買いに行っていたのだ。



「あ、あ〜…アリシア様に頼まれてね。庭に飾る紐がね、足りなかったのよ」




「そうなの?それなら早く戻った方がいいね。さっき庭で、アリシア様が君がいなくて捜していたから」



マイクが苦笑して、教えてくれた。



アリシアは一度怒らせると手がつけられない。


幼馴染としても、ミルディアは町娘で、庭師の娘だ。普段は身分違いを感じない程仲が良いが、キレると彼女は別人のようになり、令嬢らしくなる。冷静な淑女と変わり、身分の違いにもうるさくなる。




「あ、教えてくれてありがとう!急がなくちゃ…っ」



ミルディアが慌てて足を動かし始めたら、マイクが「あ!待って!」と再び呼び止めた。



「ごめんミルディア!アリシア様が捜していたのもそうだけど、セシア様が予定時間より早く帰って来るらしいよ!僕は今から門でお迎えの準備するんだけど、パーティーの準備がまだ終わってないなら急いだ方がいい」



「ええっ?もう着くの!?わかったわ!ありがとうマイク!」



驚いたが、貴重な情報を手にした。



マイクに礼を告げて、今度こそミルディアは邸の庭園に急ぎ向かった。





◇◇◇◇◇◇





あれから、四年程会っていない。



「奴め…昔と変わらなかったら、アリシア様に負けちゃう」



実は、アリシアと賭けをしている。



次男らしい性格のわがままプーに育ったセシアが、寄宿学校でどんなふうに変わったのかと。



変わらないのにアリシアが賭けて、変わるのにミルディアが賭けていた。



そのこともあり、久しぶりに会う兄の顔が見たいという意外にも、今回のガーデンパーティーには思惑があって、アリシアはいつも以上に張り切っていた。




「もう…!どこに行っていたのミル!捜したじゃない!」



綺麗に手入りした庭園。



邸の東の庭は、この時期、一斉にハーデンべルギアが咲く。



左右の柱に蔓状に薄紫の小ぶりの花が咲いて、天井からぶら下がるように、視界に広がる。



他にも多彩な色の花々を咲かせ、ガーデンパーティーとして充分華やかな雰囲気を持っていた。



ほぼ出来上がっている。



ふと、柱のその向こうに、ミルディアの父、モイスがいて、満足げな表情を浮かべて庭を眺めていた。



「セシアお兄様が予定より早く着くそうなの!ミルの用意してくれたプレゼントがね、どこにしまったかって聞こうと思ったの」



「プレゼント?…あの、カフスですか?」



二週間ほど前から準備していたプレゼントだ。



一緒に町に出かけた時に、アリシアとミルディアは帰ってくるセシアに買っていたのだ。



「私のはあるわよ?ずっと忘れずに、クローゼットに閉まっているの。確か、一緒に置いておいたのだけど…どこにあるの?」



ミルディアを捜していたのはそのプレゼントがどこにあるのかを聞くためだった。



アリシアの言葉に、ミルディアは内心ぎくりとしたが、ニコッと笑顔を浮かべた。



「あー、アレですね?ちゃんとありますよ。ほら…!」



そう言って、目の前に綺麗に包装されたプレゼントを見せた。



「え?なんだ、持っていたのね!良かった!無くしたのかと思っちゃったわ!」



ギクッギクゥ!!



ミルディアの顔が引きつった。



「あははは。まさか、無くすわけないですよ!」



乾いた笑いが口から溢れ、冷や汗が浮かんだ。



実は、ミルディアが川の向こうの首都の町にまで買い物に行ったのは、足りない材料を買うためではない。



この、今目の前に出した、セシア宛てのプレゼントだった。



三日前、ミルディアはクローゼットに閉まっていたそのカフスが入った箱を壊してしまったのだ。



同じタイプのその箱を探して町に出かけたがなかなか見つからず、普段あまり行かない首都の町にまで出向き、そこでようやくお目当ての箱があった。


箱にカフスを入れて、同じように包装紙で綺麗に包んだわけだ。



(よ、良かった〜〜!間に合って!このままバレるかとヒヤヒヤした)



プレゼントを贈った際、貰った相手はその場で開くのが礼儀になっていた。



もしもあのままでいたら、開いた瞬間壊れた箱を見て、貰ったセシアも、同じくあげようと用意していたアリシアも、絶対怒るに違いない。



「じゃあ、これは時間まで侍女達に管理してもらうわ」



上機嫌にニコニコと笑顔を浮かべて答えるあたり、ミルディアがプレゼント箱を探しに行った事は全く気付いていないようだ。



ホッと息をついて、「お願いします」と頭を下げた。




アリシアがウキウキしながらミルディアから離れて、テーブルに皿をセットしている侍女に話しかけた。



それをぼんやりと見つめ、ミルディアの目にモイスの姿が映った。



彼女は父が手伝うとは思っていなかったので、ちょっと胸が痛んだ。



モイスはどうやらミルディアに気付かないようだ。



(やっぱり、お父さんの作った庭は、どれも素敵ね。私とは…全く違う)



周りを見て、思う。



ミルディアはここまで綺麗に花を咲かせない。



彼女は自分の手に視線を落とし、そこから少し漏れている黒いモヤを見てため息をついた。



(これがあるから、できないわ…。あのプレゼントの箱はまだ助かった)




あのプレゼントの箱が壊れたのは、この魔力のせいだ。



持った瞬間、力が発動した。



そのとき、一瞬、思ってしまったからだろう。



こんな安物をあげても、きっと恥をかく、と。



その思いが無意識に、魔法になった。



バキ!!と音がして、気づいたのだ。



「はぁ…。今日は絶対、失敗は許されない。魔力も…王都があれじゃあ…はぁ」



パーティーに集中しないといけないが、町に来ていた近衛騎士の方が気になって思考が回らない。




「お父さんに聞いてみようか…」



張り切っているアリシアには聞けない。



迷いながらも、ミルディアはモイスを見て、彼に近づいた。




「アリシア様!アリシア様ぁあ!」



そのとき、バタバタと、突然、家令のクレイクが庭に駆け込んできた。



「まぁ、クレイク!お兄様を迎えに行ったのではないの?」



伯爵と跡継ぎが不在の邸を任せられている彼は、帰還するセシアを迎えに町の駅に向かったはずだ。



「そ、その事なんですが、大変なんです!セシア様を迎えに駅にいたのですが、今、首都の町から住民が次々とこちらの町にまで押し入っているのです!どうやら、旦那様が予想した通り、王が首都付近を危険区域にすると…!」




セシアの迎えどころではなかったのか、切羽詰まった様子でミルディアが見てきたことをクレイクが代わりに説明した。



周りにいた使用人達が騒めく。




もちろん、モイスも、のほほんとしている彼も驚いたように話を聞いていた。



(この場面で、まさかの展開ね!でも、アリシアは知っていたようね。クレイクも、旦那様が話をしていたのか…)



使用人達は知らなかったみたいだが。



クレイクの急報に、アリシアの笑顔が強張り、徐々に険しく、冷たい表情に変わった。



「何をしているのクレイク!今すぐ町に戻って、首都から来る住民達を受け入れると町長に伝えなさい!お兄様の帰還パーティーは中止よ!」



さすがあの伯爵の令嬢らしい。時と場合を理解している。


ここで住民を捨ててお構いなしにパーティーを続けようとしていたら、幻滅していたことだろう。



「さぁ、みんな!あなたたちはこのまま邸にある秘蔵庫を開けて、避難した住民達が快適に暮らせるように場を設けましょう!」



秘蔵庫には非常時に備えて食料から生活用品、道具が揃っている。



こういう時こそ皆で協力し合うべきだ。



「前世では考えられなかったわ。さすが、アリシア様。伯爵家のみんなは本当に素敵ね」



前世、魔王が占領したあの領地の国は本当に愚かな者ばかりだった。



魔王が恐ろしく、領主はすぐにその領地を捨て去り、逃げる領民は魔王の餌食になった。


その領地から攻めて二日足らずで、国は掌握された。


国王は国民達を捨て、親類や護衛とともに、とっくに安全な場所に避難していたらしい。



大魔女メアリーは父の命令ではあったが、その愚かな領主を呪い、見せしめに国王の前で殺して、国王も呪殺した。



その国王のたった一人の生き残りである王子が、まさか聖女を召喚していたとは知らず。



あの国王の呪いがきっかけで、生き残った王子も呪いを受けたようだ。 



メアリーを憎み、聖女の力を借りて、あの最期のときにあの場面にいたのが、その王子。



現在、ミルディアの前世に起きた事は、聖女伝説として世界中に広がっている。


生まれた子供に聞かせる子守歌にも、聖女にまつわる話がある。



ミルディアもあの国から遠い町に住んでいるが、母親に幼い頃、子守歌や絵本で聞かされた。


魔王の話はもちろんのこと、大魔女メアリーのこと、全てが伝承となっているのだ。



赤ん坊の時から記憶を持っていたミルディアはそれを聞くたびに複雑な気持ちになった。



「ミル!ミルディアったら!」



そのとき、ぼんやりしていた彼女の耳に、アリシアの声が響いた。



ハッとして我に返ると、目の前にいつの間にかアリシアがいた。



「残念だけどパーティーは中止ね。落ち着いたら開催することにするわ。それで、ミルディア。私もすぐに町に向かうことにしたの。セシアお兄様が、住民達の避難に手を貸しているようだから」



「あ…なら、私は…」



「うん。ごめんなさい。あなたも一緒に来て!少しでも人手が欲しい」



ミルディアの言葉を遮るように、アリシアは当たり前の事のようにそう告げた。



ミルディアは困った。


彼女は行きたくなかった。



このままパーティーの片付けをしたかった。



「さぁ、私達も行きましょう」



「え…?あの、アリシア様!」



まだ返事をしていないのに、アリシアはさっさとクレイクの跡を追って行く。



ミルディアはその後ろ姿を呆れながら見つめ、やれやれと大きく肩をすくめ、ため息をついた。



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