セッションF 2

「あ」

 空からひとつだけ落ちてきた雨粒が咥えタバコの上に小さな染みを作る。

「振ってきたよ」

「ん、キョウんとこだけじゃね?」確かにまだポツンときただけだけど、宗則は晴れ男過ぎて天候に対して楽観的でイラっとくる。

「とりあえず今日は上がんない?」

「まぁ潮時かなぁ。ガスってきたし」

「え? 霧?」

 宗則に言われて辺りを見回すと確かに霧が出始めている。山の天気は変わりやすいとは言うけどほんと漫画か小説かってくらいみるみる濃くなっていき、もはや霧雨と言ってもいいくらい。確かにこれは降ってはいない、降ってはいないが……。晴れ男と雨天が戦うとこんな事が起きちゃうんだ? いっそ降ってくれた方が視界が確保出来ていいんだけどってレベル。


「どーする?」と呑気な口調で宗則。

「え? 何が?」ちょっと苛ついているので私の口調はちょっと荒い。

「いやー、さすがに椿下るよりちょい上ってターンパイクから帰った方が良くね?」

「あー、確かにそうかも」

 この霧雨濃霧の中、見通しが悪く路面状況も良くない椿ラインを下っていくよりもターンパイクの方がリスクが少ないね。こんな時にお金をケチったりして転倒でもしたらそっちの方がお金かかっちゃう。星の王子様、なんとかマーフィーの法則だ。


 吸いかけのタバコを携帯灰皿に押し込んでライダースのジッパーを一番上まで閉めてヘルメットを被る。宗則も数本攻め込んで温まった身体の熱を逃す為、胸元まで下げていた革ツナギのジッパーをジリジリと音を立てて閉めていく。

 お互いにメットを被ってグローブを嵌め終えたのを確認した後、最後にシールドを下ろす。これがバイク乗りの出発オッケーの合図。

 宗則が左右を確認して走り出す。私も念の為左右を確認し、あとを追いかける。上り方向、窟より上は普段殆ど走らないから少しだけ緊張する。加えてこの視界。どうしてもおっかなびっくりな体重移動になってしまいGPZが重く感じる。ハンドルを握る手に力が入ってしまいリアタイヤが数センチ分滑った気がした。

「あっ、ぶな」

 びっくりして起き上がった上半身に呼応するようにGPZもアウト側に膨らんでいく。慌てて車体を起こして全神経をブレーキングに回す。なんとかギリギリ道からはみ出す前に減速出来た。

 前を走る宗則のCBを追いかけようとアクセルをラフに開けると今度はリアが左右に踊る。

「これ、路面濡れてるよね?!」

 雨の日の運転は慣れない。でもそもそも慣れてたらおかしいでしょ、バイクなんだから。雨降ってるのわかってたらわざわざ乗らないもん。


 私が遅れ気味なのにミラーで気付いたであろう宗則がペースを落としたので程なくして追いついた。宗則のライディングはいつも通り。緊張している様子もなく自然に乗れている。いいね、私も見習いたいよ。

 いくつか緩やかなコーナーをクリアした後、右のヘアピンカーブに差し掛かる。

 ナチュラルなアプローチで車体をバンクさせる宗則を見ていた矢先。

「ガチャ、ガリッ」と音を立てて目の前の宗則があっという間に転んだ。これ、本人もスローモーションになってないよねきっと。転け方までナチュラルでどーすんの。

「えぇーっ」こちらもびっくりしたが慎重にブレーキングしてGPZを端っこに止める。ウインカーは出したままサイドスタンドをかけた。ギアを一速に入れたままなのでエンジンはすぐに止まったが、習慣でキルスイッチも操作する。GPZを降りて宗則の所へ駆け寄る。

「ちょっと大丈夫⁉︎」

「ん、あー。平気へいき。所謂いわゆる滑りけだから」

「いやどう平気なのよソレ」

「バンク中だったからケツからいったし、速度もそんな出てなかったから」立ち上がって、まるで小学生が体育の授業中に運動場で転んだ時みたいに、お尻辺りをパンパンと払ってからCBを起こしにかかる宗則。私も一緒に手伝う。


 CBはパッと見、大きなダメージは無さそう。フレームから大きくせり出しているクランクケースとサイレンサーにガリ傷がついたくらい。どちらも元々傷が付いているし凹んでたりするので見栄えに変化はない。フォークに止められたクリップオン挟み込み式のセパレートハンドルが少しタンク側に動いてしまっていたが、運転できないほどではない。

「キュカカ、ッボッ」軽く目視点検を終えた宗則がエンジンをかける。

「お、かかった」と宗則が相変わらずの抑揚のない口調で一言発した後、何事も無かったように再出発した。

 宗則なんで普通のテンションなの? てかあいつも普通に転けるんだ……。

 びっくりしたけど、なんか安心しちゃうような複雑な心境で帰路についた。

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