否定
CBのエンジン音が我が家の少し手前で止まった。
カラカラと音を立てながら惰性で走ってきた宗則が、鳴くか鳴かないかの微妙なパッドの音を立てて私の目の前で止まる。
グローブを外し「おつかれっ」といいながら左手にぶら下げてたコンビニの袋を私に差し出す。礼を言いながら受け取る。
コンビニで温め済みのジャーマンドッグを食べながら二人でGPZの周りをグルグルと、しゃがんだり、バイクを起こしたりしながら各部の損傷を詳細に確認した。
根本付近でポッキリと折れたフロントブレーキレバーには、カワサキ車特有のエキセントリックカラー調整用六角レンチが応急処置でつけられたまま。
針金と結束バンドとビニールテープは宗則が常に車載しているので割とがっちりと止まった。一度だけ危ない局面もあったがきちんと機能も果たしてくれ、箱根からここまで自走出来た。
ハンドルバーは右側がやや絞りハンドル気味、フロントウインカーはほとんどビニールテープで出来ている状態。アッパーカウルはウインカーの付け根が押し込まれ、スクリーンが真ん中からひびが入りずれている。アッパーカウルのステーはミラーの付け根からやや曲がっている。ミラーに力が加わって曲がったんだと思うけど、そのミラーは割れていないのが不思議だった。効きっぱなしになってしまったため根本から折った、正確には直そうと曲げ戻してる最中に折ってしまったリヤブレーキペダル。ここを支点に大回転していたであろうエンジンカバーの突起には回転痕。主立った損傷はそんなところ。
結構大きな音で壁に衝突し、ビリヤード玉のようにはじかれていった筈だけど、それを示す衝突痕は見当らない。ダメージがない。もしかしてタイヤから壁に当ったのかもしれない。
ガソリンタンクが無傷なのは奇跡。バイクで転倒した場合、だいたいはタンクが凹むもんだと思ってたけど、今まで乗っていた原チャやニーハンと違って、アップハンドルだからタンクにハンドルや手が巻き込まれなかったのかもしれない。
タンク同様に私の損傷が軽度だったのは運が良かっただけだと思う。もしバイクから放り出されていなかったら、ハンドルを掴んだまま手首を巻き込んでいたか、最悪ハンドルが胸に刺さっていたかもしれない。
オートバイの事故や転倒で頭部の次に胸部がダメージを受けることが多いという統計があるらしいけど、正直今まで乗っていた前傾姿勢のセパレートハンドルのバイクでは転倒時に胸を怪我するイメージが沸かなかったんだけど、よくよく考えたら世の中のほとんどのバイクはアップハンドルなんだよね。
これなら刺さることがあるのかも。バーエンドは丸いタイプにしよう。残念ながら私の胸には自前のパッドがあまりないから。
ジャーマンドッグを食べ終わり、お互いに汚れた手のままで唐揚げくんをつまむ。バイクに乗るようになって女子力がグングン下がっている自覚はある。
バイクが恋人とかイタいことは言いたくないし思ってもいないけど、バイクを通して知り合った宗則や奥多摩で昔の走り屋のまねごとをしている孝子みたいな趣味人たちと比べると、女の子と話を合わすだけの無趣味な男や、ゼロではなくても浅い趣味の男には魅力を感じない。だからと言って女を磨かないのも諦めるのも良くないけど。
……念のため付け加えるけど、宗則に男性的な魅力を感じるわけではない。孝子にしてもそうだけど、人間としての魅力を感じているのだ。
とりあえず今は自分磨きよりバイク磨き、というより修理か。
単身赴任中の父が20年近く放置していたGPZ900R。庭の片隅でずっとカバーをかけられていたこいつの復活作業は約一年に及んだ。
ニンジャ250に乗っていた私を、結局正式に入部はしていないんだけど、うちの大学のバイク部に誘ってくれた宗則。それがきっかけで偶に講義をさぼって一緒に峠に行くようになって、高性能なバイクに乗らされているんじゃなくって、宗則みたいにオンボロの旧型バイクを操って乗ってみたいと思うようになった。
そんなことを、バイクサークルの飲み会で熱く語っているうちに、いつしかスタートしていたGPZ900Rのレストア。みんなには、しばらく会っていない父に電話で許可をとったって伝えたんだけど、実際は連絡すらしていない。
私が幼い頃、
このモヤモヤの元凶は、今はバイクに乗っていない父に許可を取らなかったことなんかじゃない。みんなでGPZをレストアした楽しかったその時間に対してだろう。
私は父が母と離婚して以降、彼がバイクに乗っているのを見た記憶がない。今更彼と彼のGPZにバイク乗りヅラされたくない。私と私たちが作ってきた珠玉の時間は私のものなんだ。
レストア作業は、私がまだ大型免許を取っていなかったこともあって、最初の内はみんなでゆっくりと雑談、あるいは宴会をしながらだった。
夏休みを利用しての大型免許取得が終わってからは一気にペースが上がり、時には延々と黙々と夜間にまで作業が及ぶ日もあった。
バイクサークルの面々はみんながみんな、程度の差はあるけど自分のバイクの整備は自分で行っている。中でも、宗則の知識や工具量は別格で、宗則がいなければGPZのレストアはできなかったと思う。レストアを通して、私はこのバイクを理解したし、私と私の仲間にもこのバイクは私のものだって認識させた。
レストアもそうだけど、メンテナンスや修理ってのはやればやるほど自分とバイクとの距離が近づいていく、そんな気がする。
気持ちだけでなく、機械の構造を理解すると操作の仕方も自然と変わってくる。いたわれるようになっていく。
もちろん、バイク屋さんに任せるのが良くないとは言わないし、どっちかというとその方がバイクにとっても自分にとってもいいことだってわかってる。
建前、メンテ不良での転倒や故障をしたときに、ケガをするのも苦労するのも自分だし、ましてや第三者を巻き込んで取り返しの付かない怪我を負わせることなんかあってはいけないと思う。わかってはいる。だけどバイクは車と違って、故障したときには道の端に避けていればそれほど交通の妨げにはならないし、事故の際に他者を巻き込む可能性は低い、私は心のどこかでそんな風に楽観的に考えているところがある。バイク部のみんなもそうなんじゃないのかなと思う。だから自分でメンテナンスをする人が多いんじゃないかと。
もちろん、今の私たちにはお金がないって事情があるから仕方なくってのが大きいとは思うけど。
うん。色んな理屈は抜きに、私は単純にバイク整備が好きだ。
父が使ってた〝バイク乗り〟って言葉がずっと嫌いだった。バイクに乗っているかどうかで人の価値を決めるような言葉。
それなのに気付けば私もいつの間にかバイク乗りという言葉を使っている。
だけど、私の使うバイク乗りは〝バイク好き〟って意味だ。バイクに乗ること、バイクのメンテ、みんなで行くツーリングも峠を攻めている瞬間も、全部が全部、私の中のバイクが好きって気持ちの成分。
だから使ってもいいよね? 〝バイク乗り〟って。
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