惰眠
箱根から自宅まで併走してくれた宗則には「コーヒーでも出すよ」と言いはしたけど。
「普通に無理だべ、まずはゆっくり休もう」と、気を利かせてというか、当然というかで宗則は帰って行った。
私は言うと、玄関を上がってすぐに革ジャンと革パンを脱ぎ捨て、シャワーも浴びずにそのままベッドに横になった。いや倒れたと言うべきか。
大型バイクでの初めての峠。その疲労感は半端なくって、私は15分後に携帯のアラームをセットして目を閉じた。
膝が心臓になったみたいにズキズキとビートを打っているのを感じる。ビートはどんどん早くなっていく。ほんの一瞬でも寝かしてくれないの? ズキズキ、ズキズキ。
全身がビクッとなって目が覚める。携帯アラームのバイブが鳴っている。
携帯の画面を見ると、既に20分が経過していた。
いつも部屋着にしているおしゃれ作業着に脚を通して、腕を通そうとしたところで、また情け無い声を出しそうになった。右肩が痛い。
全てが面倒臭くなって、たまった洗濯物からスウェットのズボンだけを探しだして、上はカップ付きTシャツのまま外に出た。
陽の落ちかけた秋の空は少し肌寒かったけど、バイクにカバーをかける程度なら我慢できるでしょ。
念のため、トントンッと軽くエキパイに触れて、問題ない程度に冷めているのを確認してからカバーをかけるけど何処かが引っ掛かっているようで、フロントタイヤまでカバーがかかりきらない。前の方を軽く見やると、クラッチレバーにワイヤーロック用の穴が嵌っている。毎度のことだが一回で綺麗にカバーがかかったためしがない。
反対側に回り込んで右膝を伸ばしたまま変な姿勢でかがみ込んでしっかりとカバーをかけ直す。起き上がるときにハンドルのバーエンドで「コツン」と頭をぶつけた。「痛っ」
そのまま立ち上がり、とっさに頭を押さえた右手をカバーの上からそっとタンクの辺りに添える。
「ごめんね」と小さく一言。擬人化は好きではないが、やはりなんとなく口をついて出た言葉。涙は出ていない。
洗面所に行き、服を脱いだ。肩と肘を慎重に動かしながら、鏡の中の自分の身体をみる。肘に打撲痕を確認した。
血が染みこんでカチカチになっている靴下は捨てるかどうか悩んだけど、とりあえず手洗い場にお湯を張り、生理用の洗剤を染み込ませて漬けておいた。
バスルームに入り、シャワーの設定温度を2℃ほど上げた。お湯が出てくるのを待ってから、ゆっくりと足の指先からお湯を当てていく。患部のぎりぎり下でシャワーの上昇を止め、しばらく流しっぱなしにした。排水溝に流れていくマルーンカラーのお湯を眺める。
膝下にこびり付いた血痕が全て流れ落ちて地肌の色が見えるのを待ってから、覚悟を決めてシャワーを患部に当てる。ビクッっと勝手に膝が動く。慌てて水勢を弱める。
息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。痛みが少しだけ意識から剥がれる。
シャンプーとコンディショナー、両方を適当に頭で混ぜ合わせ、雑に髪の毛だけ洗ってバスルームを出た。
バスタオルでざっくりと身体を拭き、ウェスに降ろす予定だったくたびれたフェイスタオルで膝の傷口をポンッポンッと軽く叩くように拭く。肩にバスタオルをかけてベッドまで行き腰を降ろす。壁にもたれかかり、油の切れたような膝をギシギシと曲げ、なんとか片膝を付く姿勢をとってそのまましばらくボーっとしていた。
——大学の駐輪場でレーシングツナギ姿の宗則とCBに会う。
こいつ革ツナギが普段着なの? と思いながらも「行くか?」と宗則に言われて、行き先も聞かずに一緒に走り出す。
宗則は無理な擦り抜けをするタイプじゃないので、町中で私のニンジャ250が置いて行かれるような局面はない。……が、西湘バイパスに入った瞬間、宗則が暴力的な加速で私のニンジャを離していく。アクセルを全開にするが全く追いつけない、すごい風圧。フルカウルのニーハンはさらに横風の煽りを受けて隣の車線の軽バンに一気に身を寄せてしまう。走行ラインを真ん中よりに修正する。
今日の風はいつもよりも潮の香りが強い。
そこで気づく、あっ! ヘルメット被ってないっ、ノーヘルだっ! 反射的にバックミラーを見る。ミラー越しにサングラスをかけた白バイ隊員と目が合う。
「ヒューーンッ」後方で鳴り出すサイレン。
捕まるっ!——
ビクッとしながら目を覚ます。
またしても携帯のバイブに起こされた。寝ぼけたまま相手も確認せずに電話にでる。
「ハイッ、山咲です」
「キョウ?」……宗則からだ。社交辞令のように二、三言の会話を交わしたあと、本題に入る。
「いつから始める?」と聞く宗則に明日からでも始めたい旨を伝えると、暇だから付き合ってくれると言う。正直、腕力と手持ちの工具に乏しいので宗則の存在にいつも助けられる。11時頃にという約束をし、携帯を枕の上に放り投げなげる。
今頃になってようやく気持ちが落ち着いた。ノーヘルもそうだけど、そもそもスピード違反よね。
「とりあえずパンツだけでも履くか」と呟いた。
(一人暮らしは独り言が増えるわ)と、今度は心の中で呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます