「まだ顔がヒリヒリする…」

 京がトイレに行っている間に、鈴木が両方の頬をさすりながら言った。

「あいつ力強いなぁ。喧嘩とかしたら強そう」

 その言葉に、杉浦は一瞬ぎくりと体をこわばらせる。今この場に京がいなくてよかった。いたらきっと、ボロが出ていただろう。

「…そうだなぁ。まぁ、今度から伊吹をからかうときは十分注意をしてからということにしよう」

「だな〜。触らぬ神に祟りなしってか」

 後頭部で指を組んで、のんびりと言う。

「そういやさ、結城って伊吹のこと好きなんかな」

 思っても見なかったその言葉に、杉浦は少し大袈裟にも思えるリアクションをしてしまった。

「は」

「え、そんな驚く?」

「いや、逆になんでそうなった」

 少なくとも、自分はそうは思わなかったが。

(俺の知らないところでなんかあったんか?)

 むむと眉間に皺を寄せて首をかしげる親友に、鈴木はきょとんと首をかしげる。

「普通に、結城が自分から男子に話しかけてるのって、あんま見たことないからさ。気があるのかなって」

「…なるほど?」

 言われてみれば、確かに。だが、だからといってそうと決めつけるのはいささか早合点ではなかろうか。

「ただ単に家庭科部に見学に来てたの見て、話しかけただけってのもあるかもよ?」

「確かに。まぁ、もしそうだったら応援してやりたいなーって思ってるだけなんだけどな」

「お前でもそんなこと考えたりするんだなぁ…」

 感心したように言うと、鈴木は不満そうに口を尖らせた。

「どーいう意味だよ。お前なんか最近俺に対して当たり強くね?泣くよ?泣いちゃうよ??」

「どーぞ、お好きなように」

「サイテー」

 面倒そうにしっしと手を払われて、鈴木は泣き真似をし始めた。それに杉浦はうざったそうにげんなりと顔をしかめる。

 京が戻ってきた。

 不思議な光景に、首をかしげる。

「何かあったのか?」

「杉浦くんがいじめるの〜京くん助けてっ」

 語尾にハートマークがつきそうな勢いのその言葉に、京は眉間にシワを寄せる。

「………悪い、どうすればいいか反応に困る」

「気にするな、こういうのは真に受けなくていいんだ」

「ほーら、そうやって」

 けっと唾を吐く真似をする鈴木に、京は気の毒そうな視線を投げた。

「落ち込むな」

「うわぁ、イッケメーン伊吹くん」

 きゃー、とわざとらしい黄色い声をあげる鈴木に、これまた京は反応に困ったように眉間にシワを寄せた。

「こんのドアホ!」

 ゴインッという、結構痛そうな音を鳴らしながら杉浦が鈴木を殴った。

「いっ…」

(うわ、痛そうだな…)

 流石に同情する京である。

 目尻に涙を浮かべて、鈴木は杉浦を睨みつけた。

「流石にそろそろ本気で傷つくんだけど!?」

「はいはい、悪かったね」

「〜〜っ!便所!!」

 肩を怒らせて、鈴木は教室を出て行ってしまった。

 それを見送って、京は戸惑ったように杉浦を見る。少しだけ、バツが悪そうな顔をした。

「いいのか」

「…ま、大丈夫だろ。あいつ単純だし」

「……そういう、ものか」

「ああ…」

 少しだけ気まずい空気が流れる。廊下で、ガラスが割れる激しい音が鳴った。

 京たちも含め、教室にいたクラスメイトたちがびくりと肩を震わせた。次に野太い怒号と悲鳴が聞こえてくる。一気に騒がしくなった廊下に、クラスメイトたちがざわめき出す。

 京と杉浦がすこし急かして身を乗り出した。

「一年が先輩に生意気言ってんじゃねぇよ」

「先輩ったって、一年しか変わんないじゃないっすか。ダサい真似しない方がいいっすよ」

 柄の悪い男子生徒が鈴木の胸ぐらを掴んで割れた窓に押し付けていた。鈴木の頰には赤い液体が筋を作っていた。彼のすぐ隣に、座り込んで体を震わせる女子生徒が一人。

 京は身体中の毛穴が一気に開く感覚を覚える。頭に血が登っているのがよくわかるのに、妙に思考がクリアだ。

 自然と体が動いた。

 が、その熱くなった手首を、がしりと力強く掴まれた。

 とんでもない怒気を纏った杉浦が、鋭い眼光で京を見た。思わずひゅっと息を呑む。

 そっと道を譲った京を置いて、杉浦は無言で、足音もなく、鈴木の胸ぐらを掴んでいる上級生の肩に、そっと…本当に、怖いくらいそっと、優しく手を置いた。

 急に肩に手を置かれて、上級生は顔を歪めて振り返る。

「あぁ?なんだてめぇ…」

「センパーイ」

 にっこりと、綺麗な無感情な笑顔で。

「テメェの汚ねぇ面今すぐぐちゃぐちゃにしてヤローか、その手今すぐ離さなきゃ殺す」

「は?」

 上級生は訳がわからないと言わんばかりに顔を歪める。なぜか、鈴木の方が顔色を悪くして顔を引き攣らせた。

「あの、ちょっと手離してもらってもいいっすか…先輩のためにも」

「はぁ??何言ってんだてめ…」

 鈴木の胸ぐらを掴んでいた手に力をさらに入れたその一瞬、上級生の体が宙に浮いた。

 背中に鈍い痛みが走って、呼吸が詰まった。踏まれたカエルのような醜い声をあげて、上級生は一瞬にしてのされてしまった。

「あ〜……お見事」

 なんとも言えない顔をして、鈴木は自由になった両手でぱちぱちとあまり心にこもってない拍手を贈ったのだった。

 

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