その日の夜。美代が崇に京に友達ができたことを伝えると、崇は目頭を押さえて涙を我慢する光景を目の当たりして、美代と京は目を丸くして彼の肩を抱いた。

(…親父には心配かけてたんだな…)

 心の中で罪悪感を感じながらも、ようやく父親を安心させることができてほっと息をつく。

「…すまない。感極まってしまった。よかったな、京」

「…おう」

「もー、びっくりしたわ。いきなり泣き出すんだもん。崇さん、結構感動屋さんよね」

「うるさい」

 照れ臭そうにそっぽを向いて、崇はカバンを美代に預け、夕飯が用意されている席に座った。

「早く食べよう」

 それに、二人はうなずく。せっかくの料理が冷めてしまったら台無しだ。

「「「いただいます」」」

 声を揃えて、三人は食べ始める。

「そうだわ。今度のお休みに、そのお友達をうちに連れていらっしゃいよ。会ってみたいから」

 美代が朗らかに笑って言った。崇も賛成するように何度もうなずく。

「それはいいな。京がこれからも世話になるんだ。しっかりと挨拶しなければ」

 まるで彼女ができて報告した後のような会話だ。単なる男友達でこれでは、もしも彼女ができた時どうなってしまうのだろうか。

 そう思いながら、京は二人の提案にうなずいた。

「誘ってみる」

 それに、二人は満足げにうなずいた。



 夕飯を食べ終え、風呂も入り終わって部屋でくつろいでいると、飼い猫である三毛猫のネコがベットの上で寝転んでいた京のお腹に乗ってきた。ちょうど乗ってきた場所が鳩尾の部分だったので、京がぐっと息を詰まらせる。

 そして、ネコの顔を両手で包み込んだ。

「…てめぇ、よくもやってくれたな。仕返しだ」

 起き上がり、ネコの体をひっくり返してその柔らかいお腹に両手を突っ込んだ。そのままワキワキと手を蠢かせる。

 ネコは遊んでくれていると思ったようで、その手に噛みつき、爪を立てた。

「ってぇなぁ」

 口は悪いし表情も硬いままだが、京もそれを楽しんでいる。

 と、興奮したネコが思いっきり爪を立てて、それが京の皮膚を貫いた。

 そこから血がじわりと滲んでいく。

「お、やったなぁ?」

 ニヤリと笑って、それをぺろりと舐める。たぶん、今の京の顔を小さな子供や耐性のない人間がみたら卒倒するだろう。

 ネコはしまった、という顔をしてその傷口をざらざらとした舌で舐めた。

「…ふっ、サンキュな」

 その行動に、京はそっと笑った。



 翌朝。やかましい目覚ましの音を京は消した。もう一度意識が沈んでいく。二度目のアラームが鳴り響く。苛立ちを覚えて、目覚ましに向けて拳を上から振り下ろした。

 ガシャン!という音がするのと同時に、右手に鈍い痛みが走る。ようやく、意識が覚醒した。

「…あ?」

 ぼーっとしたまま、壊れた目覚まし時計と自分の右手を見る。

「ちっ…また壊しちまった」

 自分のこの癖は、なかなか直りそうもない。

「親父に謝んねぇとな」

 つぶやいて、京は制服に着替え始める。

 山鹿咲高校…通称咲高ざきこうの制服は、男子が学ラン、女子がセーラー服である。前の高校ではブレザーだったのだが、学ランの方が着替えが簡単なので京は気に入っていた。

 着替え終えて、京は鞄を手に下に降りる。

 台所では美代が朝食と二人分の弁当を作ってくれていた。崇は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。

「はよ」

「「おはよう」」

「顔洗ってくる」

 洗面台に向かおうとして、美代が振り向いた。

「京くん、今日も遅くなるの〜?」

「ああ。今日は運動部の見学に行く」

「了解。楽しんできてね!」

 ふんふんと鼻歌混じりに卵焼きを焼いている母に、彼は小さくうなずいた。



 まだ慣れない登校ルートを歩きながら、京は小さくあくびをこぼす。遅刻はしたくないが、朝が早いと辛い。慣れてきたらもう少し遅く起きてもいいかもしれない。

 前の学校では遅刻や無断欠席は当たり前で、誰も注意してくる人間なんていなかった。そんな学校に、京自身も進んで行きたいとは思っていなかったので、まぁ良かったのだが。今は違う。

 そんなことを思いながら、京は先ほどから後ろをつけてきている気配に振り向かないままちらりと視線を投げる。

(…埼玉からの刺客か、はたまた俺の噂を知った輩が喧嘩を売りにきたのか)

 今、周りには咲高の生徒はいない。もしも喧嘩をするとしたら、今だ。

 相手が徐々に近づいてきて、すぐ後ろまできたというところで、彼はポケットから拳を出し、振り向いた。

「おわっと」

 後ろにいたのは、杉浦だった。京はそれに、慌てて拳を緩めてポケットの中にしまった。

「悪い」

「いや、こっちこそ。こっそり後ろから声かけて驚かせようとしたんだけど、失敗しちまった」

 苦笑する杉浦に、京は微妙な顔をする。今後は気をつけなければ。

「…その、おかしなことを言うがあまり俺の後ろに黙って近づかない方がいい。苦手なんだ、背後を取られるの」

 それに、彼は目を瞬かせる。そして吹き出した。

「なんだそれ。ゴルゴかよ!」

 そうは言っても、事実なのでどうしようもない。

 ひとしきり笑って、杉浦は改めて向き合う。

「わかったよ。気をつける。改めて、おはよう伊吹」

「ああ、おはよう」

 肩を並べて歩き始める。

「お前家こっちの方なんだな〜。俺の家、こっちのもうちょい奥にあるんだよ」

「ケーキ屋か」

「そうだ、ケーキ屋だ」

 ちゃっかり覚えていた伊吹におかしそうに笑って、杉浦はうなずいた。

「今度遊びに来いよな」

「行く」

 即答して、昨日の晩美代に言われたことを思い出す。

「…母親に、杉浦たちのことを話したら今度の日曜、家に呼べと言われた。来るか?」

「え、いいの?行く行く〜」

 嬉しそうに笑ってうなずいてくれた杉浦に、京も少し笑った。

「鈴木も喜ぶぞ、きっと」

「…ああ」

 犬のように飛び跳ねる鈴木の姿を思い浮かべて、京はまた少し、おかしそうに笑った。

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