②
元々はオールバックにしていた癖のない黒髪を、バサリとおろす。やはり少し鬱陶しい。明日にでも切るか。視界が不明瞭なままでは落ち着かない。いつ奇襲に会うか分からないからだ。
「って…そういや、もうここは埼玉じゃねぇから俺が喧嘩やるってこと知ってる奴なんざいねぇのか」
どこか機嫌良さげに言う京は、再度新居の洗面台の前で自分の容姿を確認する。
「よぉし、どこからどう見たって普通の学生だ。とても喧嘩が強そうだなんて思わねぇだろ」
ふふんと自信満々に鼻を鳴らして、彼はリビングへと移動する。
美代が用意してくれた朝食を食べながら、今日の自己紹介を考える。
まずは普通を心がけるのだ。大丈夫、なんども柄にもなく転校生ものの少女漫画を読んだのだ。きっとうまくいく。願わくば心を許せる友人が欲しいものだ。あわよくば、恋人なんかもできたりして。
悶々と考え込んでいると、崇が起きてきた。
「はよ、親父」
「ああ、おはよう。今日から学校だ。きちんとやれよ、京」
「ったりめーだぜ。バッチリ決めてやんよ」
人の悪い笑みを浮かべる息子に、美代はおかしそうに笑った。
「京、お友達が欲しいのならその笑顔はダメよ。完全に悪人だから」
「…まじか。気をつける」
自分がどんな表情をしているのかは分からないが、美代が言うのならそうなのだろう。彼女は嘘をつかない。
一つうなずいて、彼は再び箸を動かした。
担任と共に、教室へと向かう。その途中で、ゲラゲラと下品な笑い声が彼の耳に入ってきた。
「マジウケっし」
「だよなー!」
ちょうどそこを通りがかったので、ちらりと声の聞こえる方へと目を向ける。いかにもチンピラといったような輩が、通路のど真ん中で居座っていた。
ーーどこの高校にもあんな奴らはいるもんだよなぁ。
内心で謎の感心をして、京は何度かうなずいた。
担任が、苦々しく顔を歪める。
「やなもん見せたな。あいつらは関わらなければ何もしてこないだろうから、無視してくれ」
「うっす」
もう自分は喧嘩を辞めたのだ。ああいうのとは無縁にならなければならない。
「うちのクラスは少し変わった奴もいるが、みんな穏やかな奴らだ。安心してくれ」
教室の前に立ち、そう言ってから、担任教師松尾はドアを開けた。
騒がしかった教室が一瞬で鎮まり、生徒たちが自席へとついていく。
「今日は転校生を紹介するぞ」
その言葉に、再びざわめきが広がった。それに構わずに、松尾は京を手招いた。
「入ってこい」
言われた通りに中に入ると、ざわめきが大きくなる。こういう反応は新鮮だ。
教卓の前に立ち、クラスメイトたちの顔立ちを確かめる。よし、一見してみたところ特に柄の悪そうな輩はいなさそうだ。
喧嘩を売られたら反射的に買ってしまうので、まずは喧嘩を売られないことを目標としなければ。
決意を固めて、彼は口をひらいた。
「伊吹京。埼玉から来た。よろしく」
なんとも簡素で王道な自己紹介をして、彼は頑張って普段あまり使わない表情感を駆使してそっと笑ってみた。クラスメイトたちからの反応は特にない。まぁ、誰でも笑うことは当たり前なので、反応がないことの方が正しいのかもしれないが。
謎の達成感を得て、京はうなずく。きっとこの中の誰もが自分が普通の子だと思っただろう。
「じゃあ、お前ら伊吹に聞きたいことあるか〜?」
流石にこのまま終わるわけにもいかないので、松尾がお決まりの問いかけをクラスメイトたちにした。
一人の男子生徒が元気よく手をあげる。
「はーい!」
「なんだ、鈴木。変なこと聞くなよ?」
目をすがめる担任に、鈴木と呼ばれた男子生徒は不満そうに口を尖らせた。
「わかってるって。まっつん俺に対してひどくね?」
他の生徒たちがその言葉におかしそうに笑い始める。どうやら彼は、このクラスのムードメーカー的存在のようだ。
京はその光景に、軽く感動を覚える。前の学校だったら、きっと自分がいる時点でこのような空気になることはなかっただろう。新鮮だ。
心の中で幸せを噛み締めていると、鈴木が京をみた。
「んで、質問なんだけど」
「ああ」
真剣な顔をするので、何事だと思いながら耳を澄ます。
「伊吹は…彼女いるか?」
「は…?」
その表情とは裏腹に、案外くだらないことを聞かれたので面食らった京である。
「…いねぇけど」
「おっしゃ仲間だ。お前とは仲良くなれるな」
ガッツポーズを決める鈴木の頭を、後ろにいた席の男子生徒が引っ叩いた。
「って、何すんだよ、杉浦!」
「何すんだよじゃねぇよ。いきなり転校生に何聞いたんだよアホ。ごめんねー、こいつアホなんだ。気にしないで」
申し訳なさそうに眉を寄せ顔の前で手を合わせてくるその男子生徒に、どう返せばいいか分かりかねて京は眉間にシワを寄せる。
「…別に気にしねぇよ」
「お、ならよかった。ほら、お前も謝っとけ」
と、無理やり鈴木の頭を下げさせる。鈴木は渋々と言ったように謝罪の言葉を言った。
「よーし、鈴木の洗礼を受けて伊吹も少しはこのクラスがどんな感じかわかっただろう。これからよろしくな」
松尾が爽やかに笑いかけるので、京はなんだか気恥ずかしくなってそっと視線を外し、小さくうなずいた。
他人に優しくされるのは慣れない。今まで家族以外の自分に向けられてきた視線は、ずっと嫌悪感などを孕んだものだった。
だが、今は違う。それを実感し、彼は改めて引っ越しという転機が自分に訪れたことに感謝した。
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