第31話 主治医からの招待状2

 ほっぺを軽く叩いたユイナは腕を伸ばしてビシッと指を立てた。指先にはバンデージテープが巻かれており、真っ白な被覆材表面にはゴスロリの金髪少女のミニキャラが描かれていた。

 しまったとばかりに左手で指先を覆って胸に引き寄せたユイナは頬を赤らめる。


「み、みた?」


「可愛い絵柄だったな」


「それ以上感想を述べると一単語につき50サイカの料金を徴収するから!」


「まさか、そのシステムで客から大量の金を巻き上げた?」


 タツキの視線は傍らの数十枚の小銭が入った籠に向く。


「違うに決まってるでしょ。私の評判がいいからよ。ってほら、はぐらかさないで名前教えてよ。な、ま、え!」


「ん、ああ。タツキ・ランバート。リサ教授の元で学んでいる研究生だ。で、俺をわざわざ呼び止めたのはなぜだ。道案内でもするつもりか?」


「はい正解。はなまるあげちゃう。じゃあタツキくんこっち来て」


 また反対の手で指をクルクル回しながら立ち上がってスカートを掃ったユイナ。傍らの籠を右腕にぶら下げてバザールの南方へと歩み始める。広げていたシートや靴磨き用の道具はその場に置きっぱなしだ。


「靴磨き道具は放置していいのか?」


「うん、大丈夫。この界隈だと誰も取らないよ。さあこっちこっち」


 ユイナの手招きで買い物客の多いバザールを南下して抜ける。たった数百メートルの道中では数人の年を取った男女が彼女に声を掛けてきた。いずれも貰った野菜が美味しかったとか、磨いてもらった靴がピカピカで気持ちいいとかの他愛ない内容だ。


「貧民区の人間から慕われてるんだな」


「あの人たちは富裕区の人たちだよ」


「えっ?」


「うちのお店って立地は貧民区だけど、商業区の服飾店よりも品揃えも質もいいの。だから商業区から南下してバザールまで来てくれる人もいるの。大抵はボディーガードが後ろに付いているから分かるよ」


 言われてみれば彼女に話かけた人々は必ず成人男性が付き添っていた。


「なるほど品揃えも質もいいと言い切る自信は伝わった」


「けっこう権力持っている人とか多いからねえ。野菜をお裾分けしたり、靴磨きのサービスしたりして喜んで貰っておくといいこと多いんだよねえ」


「意外と黒いんだな」


「そこは商魂たくましいといってくれたまえー」


 ユイナに連れられて歩いていくと、黒柵で装飾した塀を擁する立派な平屋建てが姿を見せる。店舗周りだけを切り取ると富裕区と区別がつかないほど綺麗な店構えだ。


「ちょっと付き合ってね。お駄賃を配らないと」


「お駄賃?」


 オープンになった庭先へ入ると15人ほどの子供たちがいた。庭に寝転がったり、話し込んだり、ボールを蹴ったり。様々なグループを作った彼らはユイナの到着と共に群がってくる。


「ユイナだあ。お駄賃ちょうだい!」


「今日はがもんをたべにいく!」


「順番が守れない子にはお駄賃あげないぞー。ちゃんと一列にならんでならんでえ」


 慣れた様子で子供を一列に並ばせると、先頭の子から順番に50サイカを一枚ずつ渡していく。貰った子供から我先にと庭から出ていく。


「バザールから北へは行っちゃダメだからね!」


『はーい』


 慣れた手つきで全員に配り終えるまで数分。最後の少年だけに小銭を4枚渡してお金の配布会は終了した。


 最後にやってきたポニーテールに括った少年は庭先で塀に背を預けて見守るタツキの前で立ち止まった。その眼は飢えたウルフのようだ。


「ユイナやカルナに手を出したら俺が許さないからな!」


 捨て台詞のように言い放った少年はタツキが反応する間もなく逃げ去った。

 困惑するタツキに対してユイナは口元をおさえて笑う。


「ふふふ、さっそく絡まれたねえ。あの子はアリヒト。この辺りの子供たちを取り仕切ってるリーダー格の子なの」


「今の大行列はなんだ。慈善事業でもやってるのか?」


「まあ表の顔はそんな感じかな。そういうとこの詳細は中に入ってから話そっか」


「結構繁盛してるみたいだな」


 庭先から見えるガラス張りの店内には客が数人確認できる。みな貧民区に多い薄い肌着一枚という恰好ではなく、色づかいやオシャレに配慮している印象を受ける。


「商業区の人気店より稼いでる自信があるよ。まあ私たちはここからは入らないけど」


「どういうことだ?」


「付いてくれば分かる。こっちだよ」


 一度敷地から出たユイナはウェルクロス横の路地に入って裏手に回り込む。店の裏手は広めの空地になっており、シャッターの閉まった新しめの倉庫が二軒建っていた。


 ユイナは背後に人の気配がないことを確認し、倉庫横の引き戸に付いている電子錠のカバーを開ける。そして両手でタッチ面を覆いながら暗号キーを高速で入力した。


 ピッという電子音が隙間なく響くほどのうち込み速度には感嘆さえ覚えるほどだ。


「さあ入って」


 開かれた扉に足を踏み入れると、そこは鉄製の棚やかごが大量に保存されていた。いずれもパイプやネジといった汎用の機械部品や工具類であり、メディカルセンターのC館でみた資材置き場と遜色ない景色だ。


「これはまた服飾店らしくない倉庫だな」


「布地や服の在庫が置いてある倉庫はもう一方のほうだよ。こっちは私たちのお家に入るためのエントランス。そして――検査場」


 ユイナはブレザーの端を摘まんで引っ張る。


「私に背中の変異を見せて。大丈夫だとは思うけど、あなたが本当にアンちゃんがいってたタツキ・ランバートなのか確かめる必要がある」


「……身分証明書とかじゃダメなのか?」


「だって持ち物は誰でも提示が出来るしー。最も精度高い本人確認は、当人しか持ちえない特徴を確認すること。あなただったら背中の銀色変異だね」


「そういうことか。アンちゃんってのはアンナ先生か」


 変異患者も深変異患者のような隔離は受けないにしろ、奨学金がはく奪されたり、フィールド調査の許可が降りなかったりと様々な場面で権利が制限される。そのためタツキのように変異を隠して生活している者も多い。


 実際、タツキの変異は主治医であるアンナと保護者であるリサしか知らない。アンナがそれを教えたということは、ユイナに全幅の信頼をおいているということだろう。


 タツキはしぶしぶとブレザーとカッターのボタンを緩める。肩甲骨を露出させる程度に首回りを露出させると、少し背伸びをしたユイナが覗き込んだ。


「触っていい?」


「触ると感染するかもしれないぞ」


「また適当なこといってえ。変異部位はあなたの遺伝子変異で形成された身体の一部なんだから感染なんて有り得ないでしょ。それに滅生物質は細菌やウイルスじゃないから感染という言い方もおかしいし、わあホントにスベスベでカチカチだぁ。アンちゃんから聞いたとおりけっこうおっきいねえぇ!」


 興味津々とばかりユイナは変異部を指でなぞったり、爪を立ててみたりとやり放題だ。ちなみに銀色変異部に触覚はなく、掛かった圧力の大小はなんとなく感じられる程度である。


「もういいか?」


「よいよいよ。あなたをタツキ・ランバートと認めましょう!」


「ここまで認めてなかったのかよ」


「いやアンちゃんから無口でツンツンしてて、研究以外には興味ない冷酷な人間って聞いてたから、ちょっと疑っちゃったんだよねぇ」


「ひどい言われ様だな」


 変異が深刻化した大災厄から50年余りが経過した現在でさえ”変異部から感染する”という迷信を信じている人間は腐るほど存在している。幼いながらユイナが正しい知識を身に着けていることには驚いた。さすがはアンナ肝いりの少女だ。

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