遺伝子変異源を追って
第30話 主治医からの招待状
アルフロイラ18区の武器屋前の広めの路地を行く。研究室を欠席したタツキは携帯端末へ送信された地図を頼りに貧民区のウェルクロスを目指していた。
分岐した路地奥、武器屋の前に目を凝らすと昨日と同様に店主がタバコをふかしている。老朽化した階段を破壊して彼から煙たがられたのは記憶に新しい。
ウェルクロスへは商業区南東側にある植物生産プラント横を通るのが最速ルートだ。だがその付近は廃棄食糧にスラムの人々が群がるためにとりわけ治安が悪いらしく、リサから通らないようにと釘を刺された。
そのため南西側の武器屋を通っている次第だ。
「こっちも大概だけどな」
武器屋からさらに南下していくと、数十メートルごとに左右に現れる袋小路の奥にはガラの悪そうな男たちが増えていた。たいていは酒を呑んでいたり、談笑している。が、なかには妙な薬物を吸っていたりと憲兵を呼びたくなる光景もチラホラある。まあ通報しても貧民区には来ないが。
広めの路地道を歩いているとはいえ、常に身の回りの危険を配慮せねばならないくらいには治安が悪い。リサから絶対にナイフくらいは持っていけと言われたのでブレザーの下に隠し持ってきたが、確かに万一の事態には必要かもしれない。
「寄ってらっしゃいみてらっしゃい。商業区では売っていないラスティネイルやヒメツリソウ、ウルフの毛など色んな商品があるぜ!」
威勢のよい客引きの声が進行方向から聴こえてくる。剥き出しの砂地に廃商店や朽ちた家々を擁する治安が悪い一帯を抜けると、徐々に舗装された道と生活感のある家々がタツキを出迎えた。
正面にみえる拓けた広場では軒先で果物や野菜などを売る商店も出てくる。先ほどの閑散が嘘のように、身なりのまともな老若男女がたくさん会して買い物を楽しんでいる。どうやら第二の商業区と称されるバザールに無事到着したらしい。
人は守るモノがなくなったときに略奪や堕落といった犯罪に走る。
この一帯はギルドでの仕事を生業とする強者が多く、彼らは家族や友人、親など守るべき存在を持っているから強く真っすぐに生きている。それがバザールの界隈が貧民区でずば抜けて治安が良い理由だ。年端のいかない少年少女が一人で商売をする姿も散見される。
「くつー、くつを磨きませんか!?」
髪をサイドボニーにあげた少女が枯草で編んだシートに座って靴磨きの客引きをしている。
憲兵の目が入らず、良い意味で無法地帯なバザールでは路上販売も取り締まりがないため人々は自由に店を広げることが出来る。こういった場所で小さな子は編み物や靴磨き、国外に生える希少な汚染植物を売ったりして日銭を稼ぐ。そして金が貯まったら武器を買ってギルドで依頼に励む。
そんな話をアンナから聞いたな、なんて思い出しながら靴磨きの少女の横を通り過ぎる。
「そこのあなた! 靴の汚れは心の汚れ。身だしなみの基本は足元からです。今ならたった50サイカでこの私がぴかぴかに磨いて差し上げます!」
タツキに向かってピンと指を立てた少女は空中でグルグルと指を回す。彼女の足元に置いてある編み籠には底が見えないくらいに50サイカ硬貨が入っている。多少は繁盛しているのだろう。
少し足を止めたタツキだが、今はバザールの先にあるというウェルクロスへ行く途中だ。アンナから指定された時間まで少し余裕はあるが、幾分初めての土地のため時間には余裕を持って行動したい。
「あ、ちょ、ちょっと待ったああぁ!」
歩み始めた背中から大声で呼び止められたタツキはさすがに何事かとふり返る。と、少女はなおもグルグルと回した指で描く円を大きくしていく。
「あ、あなたはだんだん靴の汚さが気になりはじめーる」
新手の催眠術だろうか。警戒したタツキはそれを直視せずに視線を彼女の足元に向ける。日銭を稼ぐ孤児のわりには随分と仕立てのいい靴を履いていた。スカートに至っては高級なリアス生地を用いた空色のチェック柄が印象的だ。
偽物だとしても貧しい少女が買える代物ではないだろう。
「て、てがすべったぁーーー」
ついに少女は足元の小さな土の塊を掴んでタツキの足元に投げつけた。乾いているため殆ど靴に付着しないが、靴の間に砂粒が入り込んでとてもとても不快な感覚になった。
「あああ、もうなんなんだ。しつこいにもほどがあるだろ!」
「うっさい! いいから座ってよ。もうお金なんかいらないからとにかく座って!!」
頬を膨らませて駄々をこねる少女は回していた指をぶんぶん振る。指先をタツキと椅子に往復させているため座れというジェスチャーらしい。
多くの収入をあげているあたり靴磨きが天才的に上手かったりもするのだろうか。
すこし興味が出てきたタツキは少女をみながら考えを巡らせる。それでも面倒なのでやはり立ち去ることにする。
「急いでるからまた後で」
「ああ、もう分かった。わかった。もしかしなくてもあなたのお目当てはこのお店でしょ!?」
右手の人差し指と中指で挟みこんだ名刺にはウェルクロスという店名が書いてあった。さすがに気になったタツキはその名刺を少女の指から取ろうとするが、ぷいっとタイミングよく避けられた。
「そんな簡単にあげるわけ――あああ!」
腰を上げたタツキはしたり顔で油断した彼女から二歩ほど遠ざかる。それなら帰るぞ、という意思表示である。
「あげる、あげるから! 話だけでも聞こう、ね!ね!!」
慌てた少女は椅子代わりに座っていた丸太の輪切りから腰を上げて引き留める。
普段なら立ち去るところだが、あえて踵を返したタツキは彼女が素直に差し出してきた名刺を受け取る。背面に書かれている店の位置情報も店名も確かにウェルクロスのものだ。
「偽物じゃなさそうだな」
「ひっどい、偽物だなんて。ユイナ泣いちゃうよ」
「その声のトーンから泣けたら女優を目指せるんじゃないか?」
「ぐすっ……ぐすっ……」
ユイナと名乗った少女は両手を緩く広げて目元に当てて嗚咽を響かせる。往来を通っていた武器を持った男たち数人の視線がこちらに集まった。
まさか本当にやるとは思っていないタツキはドギマギとする。これではまるで自分が泣かせたみたいだ。
少々慌てたがしかし、少女が指の隙間から自分を観察していることに気づく。垣間見えた目元には涙は一切なく、代わりに引きあがった口角があった。
困ったとばかり眺めていると泣き声を上げていたユイナは飽きたとばかりに両手を脱力させる。目尻には涙を流した形跡は一ミリもなかった。
「どこの劇団に入れるかな。黒爪?」
「どこだそこ。ぜんっぜん分からん」
なんせタツキは公共放送も見ないで研究に没頭しているくらいなのだ。そのせいで重大な事件や発表を知らず、随分と時間が立ってからカレンに話題をふられて驚愕すること数回。
カレンがあのフィリム社の息女だと知ったのも、彼女が研究室入りして半年後という体たらくだ。
「おやおや黒爪を知らないとは、アンちゃんから何も聞いてないの?」
「アンちゃん?」
「おっと私としたことが。その情報が何か知りたかったらキミの名前を聞かせて貰おうか!」
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