第26話 希望を求めて

「ここが……依頼場所?」


 服を買いたい、そんな体のいい理由を述べてライメンツと別れたリズはウェルクロスから細路地を南下した。

 迷路のような道を辿った18区の外れ、資材置き場に沿った小道に風化した蔵が目的地だ。処々の木材が剥がれ落ち、錆びた鉄くぎが露わになった蔵は大災厄で放棄されたままの姿だった。


「あ、あのー!?」


 ささくれの出来た木扉を軽くノックしてみる。だが返事は返ってこない。




 試しに押すとギシギシと嫌な音を立てて扉が開いた。枯草で編まれたマットが敷かれた蔵の中には廃材と思しきパイプと破壊された樽。お世辞にも人が住んでいそうな雰囲気はない。無人の蔵内に疑問を抱いたリズはギルドで受け取った依頼書をもう一度凝視する。地図の下にある注釈には”マット下にある隠し階段を下った先で待っているとあった。


 マットを捲ると丸形のハッチが姿をあらわす。金具を押して開けると人間がギリギリ通れるくらいの下り階段が暗闇の中に続いている。携帯端末のライトで照らしてみるが、左にカーブした石造りの段差が10段ほどが見えるのみ。

 深さは想像もつかない。


「これ……やっぱり罠だよね」


 ギルド受付嬢の戸惑った表情を思い出す。彼女から聞いた話では既に何名かの憲兵が依頼を受注したが、誰一人として達成報告に来た者はいないらしい。客観的にみればあからさまな罠だろう。


 誰もいない蔵で30秒ほど立ち尽くしたリズはもう一度依頼書の報酬欄を確認する。


”どんな願いでも”


 ゴクリと生唾を飲み込んだ。


 リズの月収20万サイカでは逆立ちしても用意できない500万サイカという大金。もし依頼が本物であれば母は助かる。

 このアルフロイラに蔓延る悪意に蹂躙されるだけで終わるなら――リズは自分を許せない。可能性があるのなら一縷の光にだって手を伸ばさないといけない。


「話を聞くだけならたぶん大丈夫。もし罠だったら叩き潰してやる」


 胸に手を当てて言い聞かせるように呟き、佩用する実包銃、機構刀といった一連の装備を確認する。そして震える足を無理やり動かして階段を下りだした。


 負圧により入口から吹き込んだ風がリズの背中を押す。


 響き渡る靴音を極力殺しつつ、早鐘をうつ心臓の音を聞きながら銃を構えて慎重に下っていく。石造りの壁に一定間隔に灯されたランプの淡い光と相まって、死霊に冥界へと誘われているような気色悪い面持ちになる。


 50段ほど下ると大仰なシャンデリアを擁した長細い広間に出た。左壁に並んだ棚には書籍がびっしりと整頓されており、右の壁際には大量の食べ物が樽に入って保存されている。書棚に並んだ本達は武器図鑑から大陸地図、童話まで多岐にわたる。アルフロイラで聞いたことのない出版社が多かった。


「貯蔵庫みたいな場所?」


 リズの問いかけに答える声はない。


 広間の奥側右手には手洗い場と調理場が据え付けられていた。とくに壁掛けされた包丁のコレクションは20種類以上にも及び、いずれも良く磨かれて綺麗に保管されている。


 広間から奥に繋がる金属製の重厚な扉を開ける。


「あのー、依頼者さんいますか?」 


 扉から顔を出して呟いた彼女を円形の広間が迎える。天井部にはクレーンアームが左右に一つずつ、ガラス張りの壁を跨ぐように設置されていた。広間を見渡せる最奥には重厚なオフィスデスクが設置されており、スーツ姿の背中を向けた白髪の男性が座っている。


「依頼者のラルクローズさん……ですか?」


 ピクリとも動かない男に疑問を抱いたリズは銃を構えながら少しだけ近づく。


「あの――!?」


 突如として部屋の灯りが薄暗い間接照明に切り替わった。そして白髪の男がゆっくりと振り返る。


「ようこそ憲兵さん。依頼を引き受けてくれたのでしょうか?」


「え、は、はい。どんな依頼でしょうか?」


 スーツを来たラルクローズという老人は優しそうな語り口調だった。


「ええ、簡単なお仕事ですよ。一週間後の夜に正門管理所に忍び込み、マザーコンピュータにこれを挿して実行ファイルを起動してもらうだけ。それだけで貴方の願いを叶えましょう」


 ラルクローズは右手で掲げたUSBメモリを挿すようなコミカルな動きをする。


「それはなんのファイル……なんですか?」


「おやおや憲兵さんはギルド依頼の掟を理解していないようですね。依頼主とは仕事に必要な情報のみを共有する。貧民区の常識でしょう?」


 長く伸びた白髭を左手でなぞりながら黒皮の椅子にふんぞり返ったラルクローズは両手を広げて大仰に宣う。その様子には悪びれた様子もない。


「王国法のギルド運用指針には、依頼主と納品者での仕事内容の明示が不可欠とあります。第一、マザーコンピュータへ妙なファイルをインストールするなんて完全な国家反逆行為じゃないですか」


「それがどうした? ギルドは依頼者の願いを叶えるためにある。王国法なんかに縛られるとは憲兵は腰抜け揃いだな」


「……そんなふざけた依頼なら受けません!」


 踵を返したリズ。しかし轟音と共に降りた黒い鉄格子が帰路を塞ぐ。


「ちょっとどういうつもり!?」


「どうもこうもございません。貴方の憲兵としての腕に期待していますよ」


 振り返ったリズは銃口をラルクローズへ向けたまま近寄って撃鉄を起こす。当のラルクローズは椅子から立ち上がると、両手を大きく広げて芝居のかかった振る舞いを見せる。


「ふふ、ははっはは。血の気の多い憲兵さんだ。さあショータイムを始めようか!!」

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