第19話 銀髪憲兵の初任務

アルフロイラ王国 商業区北口 護送車発着場前憲兵詰所


「……少尉、リズ少尉。そろそろお時間です」


 少し高めの良く響く声が詰所の入口から響く。リズが所属する憲兵小隊の少年だった。恐らく入りたての二等兵だろう。上官を起こしにくる役目は新人と決まっている。


「分かった。今行く」


 昨日病院で握った弱々しい手の感触が今でも両手に残っている。奥歯を噛み締めたリズは机を両手で力強く叩いて腰を上げた。


「しっかりしろ、私」


 汚染調査憲兵隊へ配属されてから、まだ一か月。これまでは顔合わせや簡単な治安維持任務が主だったが、今回与えられたのは国外での初任務だ。

 モンスターの徘徊する王国外の土壌調査に少尉として出動する。やっと王国の秩序と安全を守るために行動が出来る。願ってもない。


 凛々しい表情を意識して詰所を出たリズを10名の下士官たちが迎える。彼らは憲兵ではなく、王国陸軍でモンスターとの実戦経験を積んだ兵士たちだ。リズは彼らの副官としての役割を担うことになる。


「ライメンツ少佐はまだですか?」


「今、いらっしゃるところです」


 下士官の言葉通り、ほどなくしてライメンツは商業区の雑踏から小走りにやってきた。そして深々と頭を下げる隊員に対して軽く会釈をした。


 高い背丈に細すぎない筋肉質な身体、細い長方形の眼鏡も相まって学者のような雰囲気を醸し出している。11コ下のリズとの年齢対比もあり、隊員からしたら余計に大人びてみえるだろう。


「遅れて申し訳ない。では行きましょうか」


 北口門に用意していた護送車に乗り込んだ一同は北口の跳ね橋を抜け、アイサル森林地帯付近の調査ポイントへと向かう。


 王国外であっても衛星のPDGPSを利用した自動運転システムが機能しており、軍用の護送車は完全に自動運転である。なお王国外の測量システム利用は軍専用となっている。


「では、早速だが任務の詳細を話しておこうか」


 目的地までは高速運転で約20分。互いに対面した車内で早速とばかりにライメンツが携帯端末を見ながら作戦説明を行う。


「アイサル森林付近のリル川で水質汚染が発生しているとの通報が複数寄せられている。本河川はアルフロイラの水源に流れ込んでいる訳ではないが、封鎖により謎が多い森林村内部から流れ出た水だけに調査の必要があると上が判断した。

 我々の任務はサンプルとして河川水を上流・中流・下流から各30L持ち帰ることだ。なお小型モンスターと出会った際には学科教本に基づいて対処せよ。なにか質問のある者は?」


 先ほどリズを呼びに来た青年がすっと手を挙げる。


「あの……私の横に見慣れない機械とケースが置かれているのですが、本任務に関連する物品なのでしょうか?」


 末端に座る彼の隣に無造作に置かれたアタッシュケース、そして緑のシートを被った大型の何かに視線が向く。少なくとも護送車の標準装備ではない。


「ああ、シートを被った方は採水機だ。川にノズルを浸して起動させるだけで自動採取してくれる」


「では我々に支給された手動の小型採水機は……」


「使わせん。情報によると水は滅生物質で汚染されている。もしかしたらスライムのコアで直接汚染されているような水かもしれん。私の隊員にはそんなものには欠片も触らせない」


 乗っている全員が驚いたように顔を見合わせる。つまるところ自動採水機はライメンツが私費で購入した機械ということだからだ。


「アタッシュケースには私が持ち込んだ応急治療薬や包帯が入っている。支給された簡易な代物よりは幾分か使えるものが多い。とくにモンスターの攻撃を受けて危険なのは敗血症だ。耐切創装備の不備がないかは念入りに確認しておけ。傷を受ければ命に係わるからな」


『はい!!!』


 兵士たちの士気が一気に上昇する。彼らがライメンツを”頼れる指揮官”として認識したからであろう。


 指揮官には出身によって二種類に分かれる。幾多の戦場を潜り抜けて階級を駆け上がった生え抜き、そしてライメンツのように将官学校から来たエリートだ。

 大抵は生え抜きの指揮官は成果を得るためなら多少の犠牲も厭わず任務に挑む傲慢な人間が多い。対して、エリートは頭は切れるはずだが実戦経験がなさ過ぎて全く頼りにならない。付き従う下士官にとってはどちらも地獄のようなものだ。


「ライメンツ少佐、あれらは本当に任務のために用意されたんですか?」


「ああ……まあな。俺が使える範囲の金で人間が死ぬ確率を下げられるなら、幾らでも使うさ。それが本来の使い道というもんだからな」


 モンスターの台頭によって貨幣経済が破壊されて以来、軍は貧しい人々の働き口として機能してきた。リズもそんな思想で憲兵を志した者の一人だ。


 金を貰うために命を掛けて働いている彼女にとってライメンツの言動は不可解でならなかった。


「あの……ライメンツ少佐……」


 名前を呼んで言い淀んだ。配属後に上官として知り合ったライメンツに対して、あまりに唐突で重い相談などしていいはずがない。


 あなたのお金で助かる命がここにもある――欠片の信頼も寄せていない他人からそんな傲慢な論拠をぶつけるなんて。それはリズ自身が許さない。


「どうした?」


「いえ……何でもありません」


「ただの採取任務で俺が入念に準備したことに違和感を覚える、か?」


「は、はい……」


 狼狽して視線を泳がせたリズ。声のトーンを落としたライメンツは彼女だけに聞こえるよう耳元で続ける。


「副官である君には伝えておく。滅生物質の溢れる地帯のモンスターは狂暴化する。これでも準備は入念とはいえない。隊員が採水機を動かす間は無防備になる。何かがいると思いながら警戒にあたってくれ」


 滅生物質の濃い場所のモンスターが狂暴化する――そんな話は士官学校でも習ったことがない。

 驚きを表情に出すまいと頬の筋肉を強ばらせてライメンツに敬礼する。


「かしこまりました。任せてください」


 強く頷いたリズは佩用する35式軍機構刀の鞘を左手で握りしめる。

 士官学校では少女時代に体操で鍛えたしなやかな体裁きを武器に、屈強な男子相手でも連勝を重ねた。モンスター相手の実戦はないが、学校に導入されていたVR訓練でイメージは掴めている。ウルフ程度なら切り伏せられる自信があった。


 リズの力んだ左手にライメンツが右手を添える。


「言っとくが真っ先にモンスターに飛び込むような真似はしないように。君は勇敢で剣技にも秀でた士官だと聞いているが、我々は彼ら下士官を指揮する人間だ。もし俺が死んだら君が小隊全体の指揮を取る。俺たちが彼らの命を背負っていることを忘れるな、いいね?」


 コクリと小さく頷いたリズは何度か瞬きをしてから小隊全員を見回した。一人の青年を除けばリズよりも若い少年たち。彼らはスポーツ、VRゲーム、サッカーなどの話で談笑している。


 軍に兵士として入隊するのは大災厄によって親を失った子供たちが殆どだ。困窮した末に軍に居場所を見出した彼らを死なせたら――


 その罪悪感に耐えられるだろうか。想像しただけで指先が震えた。


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