第17話 夜の病院2

 資材置き場に降り立った二人は先着のアンナを追って角部屋の扉へ向かう。

 扉の前で中腰になって作業する彼女は扉に掛けられた鍵穴にピックを差し込んで前後左右に動かしていた。見てくれは完全に泥棒のそれである。


「ピッキングか。さすが貧民区育ちは器用じゃな」


「いやみか!」


「いやいや単純に感嘆しておる」


 カチッと小気味いい音を響かせてシリンダー箱錠が回る。

 わずか数十秒で本格的な錠前をピッキングするという驚異的な技。それを目撃したリサは彼女に疑惑の眼差しを向けた。


「オヌシ、それで私の教授室に忍び込んだりしてないよな」


「してねえよ。なにが楽しくてテメエの部屋に侵入すんだよ」


「いや、私のスラバスコレクションを嘗めまわすような眼で見るかも」 


「ざっけんな。あのツインテピンク頭のどこがいいんだよ。スライムはなかまーとか言ってるわりに斬新な方法でスライムをぶっ殺していくとか謎すぎんだろ」


「ちがう、あの子は溢れ出るスライム愛と人々の幸せを天秤に掛けて、心を傷めながら魔法少女をやっとるんじゃ」


 リサの教授室は仕事机以外の多くのスペースが”少女はスライムバスター”のグッズで溢れかえっている。本物のスライムボディを無害化したストレス解消グッズも愛用しているぐらいスライム愛に溢れている。語らせたら止まらない。


「あのアニメのせいで微小コアが出来たスライムを触って、ヤケドする患者が多くなって迷惑なんだよなあ、っと。んなこたどうでもいい。さっさと入るぞ」


 3人は扉を押し開け、窓一つない秘密の部屋に足を踏み入れる。

 清廉とした白に覆われた部屋の中央には手術台が設置されていた。そして手術台を上部から覆う巨大なパラボラ状の精密機器にはセンサーやカメラが設置されており、中央の回転軸には各種手術器具が取り付けられている。


「これは……全自動の手術システムか?」


「んな生優しいもんじゃねえ。これは脳に電子チップを全自動で挿脱する工業都市ライダスの秘匿機械技術だ」


「秘匿機械技術って、こんな大型機械じゃと医療用でも認可が降りんじゃろ。大戦で機械兵が使われてから機械運用には大陸全土が眼を光らせておる。というか、なぜオヌシがこの機械の素性を知っておる」


 口元で人差し指を立てたアンナはふっと笑ってみせる。


「残念ながらそれも秘匿情報だ。医療用に限っていえば機械運用法ってのはアルフロイラ国内に大型医療機械を”持ち込むこと”を規制している。だからライダスから構成部品をバラして運んで、アルフロイラ内で組み立てるならば厳密には法に触れない」


「しかし、そんな詭弁を盾としたところで医療機関が国から睨まれるのは必至じゃ。誰も導入したがらんだろ。よくメディカルセンターがこんなもんの設置を許したな。いや許してないから、こんな場所に作られているのか」


「その通り。誰も資材置き場に最先端医療機器があると思わねえだろ」


 手近なスイッチをオンにすると室内の電灯が光り、天井に設置された吸気機構が動き始める。室内は常に綺麗に手入れされている。


「電気も通っているし、最新鋭の手術関連装置も軒並み揃ってる。下手したらメディカルセンターの手術室よりもいい環境なんだよなあ。使わずに放置しておくのが勿体ないくらいだ」


「ほう……まあ脳に電子チップを埋め込むなんて大陸連盟の人権理事会が許すわけないじゃろうな。何が出来るのかは知らんが」


 大陸連盟は南に位置するアルフロイラ、西に位置する工業都市ライダスをはじめとする大陸に存在する大都市らが加盟する諮問委員会だ。機械兵と滅生物質――大戦で生み出した厄災を二度と繰り返さないよう争いを仲裁するために設立された。


「何が出来るか知りたいか。想像以上にヤベエぞ。記憶の読み書きや遠隔での身体コントロール、身体状態の監視までなんでもござれだ。

 モンスターどもにチップを入れて管理できたらクソ便利だと思って試しに起動してみたが、プロテクトコードが掛かってて動かないんだよなあ。できればモンスターを学院から借りてきてチップぶち込んでみてえんだが」


「これを導入したのオヌシじゃないよな?」


「こんな億ごえの装置を私財で導入出来るかっての。ていうかアタイが導入したなら、なんでプロテクト開けないんだよ。って、おいタツキ……大丈夫か?」


 タツキは部屋に入ってから無言で機械と手術室をじっと眺めていた。デジャブのような白黒で蘇る映像の残滓が、眼前の「BTI-1」という刻印から滲み出て徐々に広がっていく感覚があった。


 大型機械を擁する虚空に焦点をあわせたタツキはアンナに一切の反応をせず立ち尽くしていた。アンナの姿がモヤが掛かった白黒に重なり、診療録を胸元で握った白衣の女性がうっすらと浮かび上がる。


――――――――

 腰を落とした女性は濃いめの灰色に色づいた長髪で優しそうな表情を浮かべた。少し吊り目で整った顔立ちで鼻筋が通った美人で、右目の下にある大きめのほくろが特徴的だった。


 彼女がタツキへ差し伸べた手は左頬をすり抜け、肩甲骨に縞状に浮かび上がった銀色の変異部位を触わる。褒められるだろうと期待したタツキは裏切られて目を伏せた。


『経過は順調ね。あなたは選ばれし子。誇りを持って私たちと素晴らしい世界へ歩みましょう――』


 少し顔を上げると女性の肩越し、偶然にも他のスタッフによって開け放たれた病室扉の外には手を引かれて歩くイノリの姿があった。


「イノリ!」


 手を伸ばそうとしたのも束の間で扉が閉まってしまう。入室してきたスタッフは眼前の女性へなにかを数秒で耳打ちする。

――――――――



「……ツキ、おいタツキしっかりしろ」


 パチっと手を叩く音が耳朶をうつ。

 眼前の景色に色が戻ってくると真ん前にアンナが立っていることを認識した。平衡感覚を失ってふらついたため背後の壁を支えにする。


「で、なにか思い出せたか?」


「同じような機械がある部屋で俺が髪の長い女性から変異部の検査を受けていて、たまたま病室の廊下を小さなイノリが通りました」


「その女はどんな特徴だった?」


 アンナはぐいっとタツキの上腕を握って前のめりに壁際に押し付けてくる。傍から見れば襲われているような構図だ。


「えっと……右目の下に大き目のほくろがあって、長髪で鼻筋が通った美人で白衣を着てた、かな。髪は白黒で見えてるので定かではないですが、たぶん紫とか緑とか赤とか濃い色かと。身長は平均より少し低い気がします」


「右目の下に黒子で、濃い髪色で平均身長に満たない女、ねえ」


 両手を離して脱力したアンナは俯き気味にため息をつく。


「知っておるのか?」


「残念ながら嫌いなヤツの特徴と一致してる。昔にアタイを殺そうとしたクソ女に」


 力が抜けたタツキは壁に背を擦り付けながらズリズリと滑り落ちて三角座りに落ち着く。


「こんな鮮明に幻覚が見えたのは初めてです。このBTI-1という刻印がきっかけで記憶が呼び起されたような、変な感覚だ」


 リサは少し曇った表情でどこか別の場所に視線を向ける。対してアンナは右手で前髪を掴みとるように自身の額を押さえた。


「幻覚の中にBTI-1があるってことはつまり、幼少期のオメエがライダスに居た可能性が高いってことだ。そこで何らかの医療的行為を受けてたんだろうな。ああ……嫌な予想が現実味を帯びてきやがった。その女は何か言ってたか?」


「たしか”経過は順調。俺が選ばれし子だから誇りを持って素晴らしい世界へ歩もう”とか」


「チッ、新しい世界を創る――そういうことかよ」


 苦悩の表情を解いたアンナは解を得たとばかりに立ち上がる。


「どういうことじゃ?」


「リサ、オメエにはまた次の機会に説明してやるよ。あと30分ほどで巡回の警備員がC館を覗きに来る。垂らしたロープの秘匿と脱出を考えると悠長にしてられねえしな」


「ほう……わかった。一つ聞くが、我々はあのワイヤーを昇って脱出する必要があるのか?」


「いや扉から出て大丈夫だ。C館から旧館への扉は電子ロックがないから普通に開閉できる。ログも残らねえのは確認済みだ。今なら警備員はいないから鉢合わせることもないだろう。あたいは回り込むのめんどいからワイヤーを昇るけどな」


 明らかに会話を断とうとするアンナは逃げるように手術室から出ていく。

 しかし踏み出した右足を反転させて戻ってくると、顔だけひょっこりとドアから差し入れた。 


「言い忘れてた。レミリア・アルハイムって名前で検索してみろ。おそらくオメエの幼少期に一枚噛んでる。ただウェブ検索だと殆ど情報が得られねえから、昼頃にあたいが紹介した場所に行ってカルナって少女に会え。変異の加速源を探るついでに調べてくれるだろ。あとその扉の鍵も閉めてきてくれな。んじゃ」


 アンナは白衣のポケットから成形した針金を出してポイと放り投げる。床に跳ねた転がった針金を前にタツキとリサは困惑した表情で目を見合わせた。


「ま、まあとりあえず病院を抜けるか。長居は無用じゃし。ここの写真は共有しておく」


 リサは携帯端末を掲げて大型機械を写真を撮影して部屋の電気系統を落とす。

 施錠はアンナがよこした針金をカギ穴へ差し込んでガチャガチャするとできた。本格的な錠前がこんなちゃちな針金一つで開けられるのだ。院内のセキュリティが本当に大丈夫なのかと心配になってくる。


「なんか犯罪をしている気分じゃ」とリサ。間違ってはいない。  


 垂れたワイヤーを昇っていたアンナはすでに天窓付近まで到達し、ワイヤーを巻き取り始めている。その間は僅か1分ほど。揺れるワイヤーをあの速度で昇りきるとは驚くべき身体能力である。


「あ!」


「どうした?」


「いや、武器屋で研究室用のサポートウェポンを買い忘れました」


「なんだ、そんなことか。それなら明日に貧民区に行くついでに買ってくればよいじゃろ」


「ああ、そうですね」


 タツキとリサは正規の出入口を通ってC館という名の資材置き場を後にした。アンナの言う通り巡回とは出会わず、無事に夜のメディカルセンターからの脱出に成功する。


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