第16話 夜の病院
「まだタツキはダリアスに行きたがってんのか?」
「ああ。研究を始めた理由もイノリがよこした殺人クッキーの毒を解析して、殺そうとした理由を知ることじゃからな。それが解析出来たとして真相解明には繋がらんだろうが、ダリアスにあるイルの家を調べれば或いは。まだ残っていればだが」
夜22時40分ごろ。互いに仕事を済ませたアンナとリサはメディカルセンター本館の診療室へと集合していた。消灯時間を過ぎた院内で巡回警備と遭遇すると面倒なため、アンナから予め裏口ルートを教えて貰って病院に潜り込んだ形だ。
「タツキがイノリってのを信じようとするのが分からねえ。おそらく真相は知りたくなかった事実だ。ま、アタイもイルに命を救われたからな。その子供であるタツキが望むなら力を貸してやりたい。ってことで、今回はヤツの記憶が蘇りそうな景色を見て貰おうと思っている」
「記憶を蘇らせるというと、たまにタツキがぼーっと立ちつくすアレか」
「ああ。オメエの話が本当なら、あれは無意識に封じ込めた幼少期の記憶にアクセスしてんだろう。これから行く場所の景色をみれば同じことが起こる確率が高い。タツキにはつらい経験になるだろうがな」
アンナは棚からリングファイルを取り出し、黒皮で編まれた回転チェアに浅めに腰掛けた。そして後頭部までチェアに寄りかかって天井に手を伸ばす。
両手を組んで姿勢よく丸椅子に座るリサとは行儀の良さが雲泥の差である。
「過去を思い出せばイノリが何者か分かる、か。タツキ本人が前から記憶の掘り起こしを望んでたようじゃし、やるしかないか。ダリアスへの遠征の件も、ウチの研究室で受諾できるよう交渉中だが危険な任務じゃ。汚染対策に特化した憲兵でなく、教員と学生で行くことを正当化する強烈な根拠が必要になる」
「ま、確かに汚染調査だけなら憲兵で十分だしな。思いつく調査理由としては偽薬事件の真相解明か。これなら現在も容疑者であるイルと面識のあるタツキが調査に行く必要性を担保できんだろ」
「同じように考えてその線で進めている。そして、いざダリアスの調査が出来るなら私が連れていくさ。首尾よく外用装車も持っていることじゃしな。それが果たすべき責任だ」
「贖罪ってやつか。別にオメエのせいでイルが死んだわけじゃねえ。後悔するなってのは無理かもしれねえが、責任を感じる必要はないだろ。タツキを引き取って学院内で世話し始めたのも、少しでも罪悪感を薄めるため、か?」
リサは否定せずに小さく首を縦に振った。そして何か答えようとした折にノックの音が3回響く。タツキがやってきたようだ。
「おう、開いてるから入んな」
「失礼します」
タツキはメンテナンス後の機構刀をリサの装甲車に積んで帰ってきたところだ。
社長座りしていたアンナは彼の顔を見るなり立ち上がって手元のリングファイルを机に広げる。中身はこのメディカルセンターの見取り図である。
「うっし、役者も揃った。夜の病院探索と洒落こもうぜ。これが今から移動する経路な」
診療室がある本館の最上階から旧館への連絡通路を抜けて旧館の入院患者棟へと移動し、その先の使われていないC館へと至るルートをアンナが手でなぞる。
途中のC館へと移動する際、手書きで付与した謎のルートを通ること以外は館内図通りだ。
「その手書きルートはなんですか。嫌な予感しかしないんですが」
「これはアタイが独自に開発した隠しルートだ。C館にある目的地は少し厳重に秘匿されていてなあ、高所からワイヤーを使って侵入するしかないんだよなあ」
「アンナよ、それは隠しルートとはいわん。ただの不法侵入じゃ」
リサは困ったようにため息をつく。学院の一研究室を預かる教授という立場だけにあまり変な問題を起こす訳にはいかない。
「いやいや大丈夫だって。軍の機密関連でないことは保証する。ついて来れば面白いモノがみれるぞ。一応確認するが見にいくよな?」
タツキは首を縦に振る。渋い顔をしていたリサも諦めたように同意した。
「よっし、じゃあ出発だ。静かに付いてこい!」
胸を叩いて自信を露わにしたアンナを先頭に夜間の薄暗い廊下を歩いて旧館の入院病棟へと移動する。非常口と消火器の光りに照らされた不気味な暗闇は幽霊でも出てきそうだ。
「非常経路をいくのか?」
アンナは非常経路となっている扉の鍵を開ける。夜風が吹き抜ける外付け螺旋階段が現れる。照明も設置されておらず、あきらかに常用されている道ではない。
「ああ。こいつで屋上にあがるとC館に繋がっている。もともとC館ってのは資材置き場として使われてんのさ。普段は道路に沿った資材搬入口からしか人が入ってこない」
本館の屋上へたどり着いた三人は点検作業用のキャットウォークを通って旧館の屋上を行き、さらにC館の屋上へと移動する。
C館は足元が少し傾斜の付いた波型スレートになっており、資材置き場というだけあって外観は完全に工場の屋根だ。潜入している泥棒のような気分になる。
「汚れで天窓が見えにくいから気を付けろよ。間違えて踏み抜いたら死ぬぞ。ちゃんとアタイの歩いた場所を辿れよ」
「怖いこと言わんでくれ。ああ、やっぱり拒否しておくべきじゃった」
「んなこと言うなよ。楽しいのはこっからだしな」
軽い足取りで軽快に進んだアンナは黒いワイヤーがグルグル巻きに括りつけられた煙突の横で止まる。そして天窓を手で押し開けると、巻きつけていたワイヤーを解いて天窓の中に垂らしていく。
「これで降りるんですか?」
「ああ、目当てのブツは電子ロックが掛かっていてC棟入口から入れねえんだよ。ただの資材置き場のクセにロックまでして守りたいモノって気にならねえか。だから調べてみたってわけさ」
「完全に不法侵入じゃな。誰にもみられてないことを祈る」
「みられねえようにさっさと降りるぞ。っと忘れてた。降りるときはこれ使え。摩擦で手のひらがヤケド塗れになっからな」
アンナはレッグポーチから取り出した手袋をリサとタツキへ手渡した。
「ほう、この手触りはスペクトラ繊維じゃな」
「おお、さっすがー。よくわかんなあ」
「手袋用に安価に入手できる汎用防刃繊維といえばこれしかないさ。ちょうどタツキの来ている制服を編むのにも利用されておる。ま、ミスリル刃は貫通するんじゃけどな」
「それな。まあウルフの牙を防げるだけマシだろ。リザードマンにぶん殴られたら意味ねえけど」
何度かワイヤーを引っ張って強度を確認したアンナは先頭をきって滑り降りる。
天窓から覗き込んだ室内はだだ広い資材置き場という見た目だ。パイプや工具、留め金などの資材が巨大な鉄籠に入っていくつも置かれている。その大部屋の角部分に病室のような部屋が存在している以外はとくに変わったところはない。
「教授なのにこんな潜入とかして大丈夫ですか? 地位とか」
「大丈夫なわけあるか。まあ、あんなふざけた恰好した医者じゃが、頭の良さは私が認める。おそらく我々が知っておくべき代物がこの先にあるのだろうな。先にいくぞ」
手袋を装着したリサもワイヤーを掴んで滑り降りる。その後にタツキも続いた。
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