第12話 邂逅

リサは筆箱大の金属ケースをポーチから取り出す。蓋を開けると黄色い液体の入ったシリンジが3本顔を出した。うち一本を軽く摘まみ上げる。


「 これはアンドロスやマムートなどの蛇が持つ神経毒の混合血清じゃ。まだ抗毒性が確認された段階で量産されておらんが、試作サンプルとして貰ってきた」


「そいつらの神経毒ってことは……つまり薬液中毒を救えるってことか!?」


 アンナは興奮したように身を乗り出した。


「ああ、ニボンと共同研究していた成果がやっと形になった。量産化されれば薬液中毒で亡くなる者たちを救うことができるはずじゃ」


 モンスターを短時間で無力化させる薬液は人間にとっても猛毒そのもの。少しでも皮膚に触れると皮下吸収によって眩暈や身体の痺れを引き起こしてしまう。これが薬液中毒だ。

 悲しいことに対モンスター戦における死亡原因の10%は薬液に触れる事故によって引き起こされている。


「これは驚いたぜ……量産となりゃ莫大な需要がある。さすがはあたいが見込んだリサ教授だ。こいつがあればモンスター戦だけじゃなねえ、通り魔にやられた人間も救えるってことか」


「いやいや直接注入された場合は一瞬で亡くなるから厳しいのう。武器が掠った程度なら早期注入すれば助かるじゃろう」


「画期的すぎんだろ……ノーベル賞ってヤツが存在してりゃ受賞確定だな。ちなみにコイツはラゲットの毒にも効くのか?」


 ラゲットとは北方固有のモンスターだ。トカゲが変異により尻尾を極端に伸ばした愛らしい姿だが、身体が痺れた後に呼吸困難が起こる凶悪な神経毒を持っている。アルフロイラ近辺ではリル川の中腹に生息している。


「ん、ああ。確か薬効があったはずじゃが」


「そうか…………ははは。あと20年早く存在してりゃあな」


「そう言うと思ったぞ。だから持ってきた」


 リサは抗血清ケースの蓋を閉めるとアンナの手に乗せる。抗血清ケースを突き返そうとしたアンナだが、リサは微笑みながら受け取ろうとはしない。


「いやいや、こんな貴重なモン貰えねえだろ。もしかしたら、あたいが勝手に他企業に横流しするかもしんねえんだぞ」


「本当にするヤツはそんなこと言わんだろ。いつか大切な誰かの為に使ってやれ。ここに運び込まれる急患でも構わん。救える命は救っていかねばな」


「ったく。わかったよ。ありがたく頂戴しとくぜ。

 そのお礼代わりといってはなんだが、面白れえもん見せてやるよ。人がいる時間帯だと厳しいから今日の夜にでもここに来てくれ。深夜診療が始まる時間帯だから23時くらいか」


「あの、人払いが必要な時点でロクなことの匂いがしないんですが」


「大丈夫だって。泥船に乗ったつもりで任しとけ!」


 アンナは平べったい胸に右拳を押し付けて自信を示す。なんの自信かはさっぱりだが、彼女がこう言うときは大抵の場合、なにかしら危険を伴う。タツキは困ったようにリサと顔を見合わせる。

 現在は午後1時。ミリアス学院へ帰るにも片道40分かかるため、往復して戻ってくるのは億劫だ。


「学院まで帰るのが面倒なら商業区で買い物でもしてこいよ。どうせ研究室に籠ってロクに遊んでねえんだろ。あ、リサは居残りな。色々と話したいことがある」


「ヌシの話したいことねぇ。まあいいじゃろ。追い出すような形ですまんが、タツキ一人で商業区に行ってくれ。連絡バスに乗れば10分くらいで着くはずじゃ」


「分かりました。調査用の武器も補給したかったのでちょうど良かったです」


 そう答えて丸椅子を立つ。するとアンナはリクライニングした診察用椅子に深々と寄りかかってため息をついた。


「だから若けえんだから遊べっての。前から思ってたけどストイックすぎるぜ。たまの自由時間なんだから好きなモン食ったり、遊びに興じたりして気晴らしろよ。友達とかいねーのか?」


「えーっと……いないかもしれないですね」


 12歳ごろからリサの元で研究に没頭してから早8年ほど。アイサル森林村での出来事を解き明かすために、がむしゃらにクッキー毒の成分解明を進めてきた。無論、人付き合いなど二の次だ。


「オメエの気持ちは良くわかる。だが遊びがてらに人脈は作っておいたほうがいいぜ。他人からの信頼はいざって時に大きな武器になる」


「大きな武器……か。確かに。肝に銘じておきます。では」


 スライムを倒した光景を思い浮かべたタツキは軽く会釈をした。


 ”積もる話があるから出ていけ”という雰囲気に逆らえず、そそくさと診察室を出て長めの廊下を歩く。


「とにかくお前はこの治療を受けるべきなんだ!」


 階段を下りて一階に着いた折、眼前の診察室から物音と大声が響いた。近くを通り掛かった看護師も足を止めるほどのイラつきに満ちた声色は病院には似つかわしくない。


「こんな訳わかんない治療、あたしは受けたいなんて一言もいってない!!」


 聞き覚えのある声にふり返ると、診察室から橙色のツインテールの少女が飛び出した。廊下を歩いていた車椅子の老婆をギリギリで避け、髪をを揺らして走り去っていく。


「どこへ行くんだカレン。おい、早くあの子を連れ戻してこい!」


「はい。少々お待ちください!」


 指示を受けたであろうスーツの男が診察室から飛び出してくる。廊下にカレンの姿はないにも関わらず、男は携帯端末を見ながら正しい道を選んで走り去った。


「クソっ、どうして親の気持ちが理解できないんだ。あのお転婆は」


 診察室から白髪が半分ほど混じった50代前後の男性が出てくる。

 オールバックに近い髪型と細い金属フレームの眼鏡、そして彫の深い目元。タツキは一瞥しただけで誰であるか分かった。


「クリマオ・フィロリアか」


 クリマオの一挙一動に注目する。一瞬だけ目があった彼は開け放っていた診察室の扉をバツが悪そうに閉じる。面識がないゆえ、タツキに気づかなくて当然である。


 彼はアルフロイラ商圏の先頭を走る巨大企業であるフィリム社の二代目社長だ。有名企業ゆえに労働組合と待遇交渉をする姿が毎年のように報道されている。

 となるとカレンを追いかけていったスーツの男はボディーガードだろう。改めてカレンが本当に大金持ちのご息女だと認識させられる。


「気になるな……」


 運動神経抜群で体力テスト一位の元気娘のカレンだが、若者なのに精密機器の取り扱いに疎いという謎の弱点を持っている。おそらく従者に聞けば欲しい情報が手に入るからあまり電子機器を触らないのだろう。


 研究室に入ってきた当初のカレンは連絡用の基本アプリの使い方すら分かっておらず、リサ教授を唖然とさせたことは記憶に新しい。今回もPDGPSで自身の居場所がバレていることに気づいていない可能性は大いにある。


”スーツの男はたぶんPDGPSを使って追ってきてるぞ。携帯端末をOFFにして、どこかに隠れていればいい”


 この文面を送信したタツキは本館エントランスへ向かう。

 アルフロイラが誇るメディカルセンターは擁する広大な敷地にデカい駐車場を完備しており、敷地中央に縦長に据えられた本館、その背後に横長に建てられた旧館が威容を誇っている。

 本館では 外科であるアンナも含めて様々な医者が外来患者を診療している。旧館は半分が入院患者用の医療施設であり、もう半分は深変異患者たちの隔離施設として利用されている。隔離施設は全面が高い塀に覆われており、一般入院患者とは絶対に顔を合わせない構造だ。


 エントランス前には昼飯時ともあって商業区行きバスに並ぶ列が出来ていた。人ごみが苦手なタツキは億劫に思いながらもしぶしぶと最後尾についた。

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