第11話 変異の加速源
「変異の加速、か。それはおヌシが担当する患者たちのことか?」
「あたいのっていうより全体のだな。ここ半年ほどで変異部位が悪化したと駆け込んでくる患者数が膨れ上がってる。この地図を見てみろ」
アンナが指さしたアルフロイラの衛星地図は居住地区ごとに色が塗られていた。富裕区も一般区も軒並みオレンジ色であり、その中に赤色に塗られた場所が点在している。
「赤が1.5倍以上、オレンジが1.3倍以上に変異患者が増加した地区だ。見ての通り富裕区と一般居住区も増加傾向にある。しかも面白いことに患者数はさほど変わらん。ちなみに深変異患者は母数が少ないので除外してある」
汚染保護法では”変異患者”とは頭部に変異がないものの著しく人姿を逸脱した者と定義されている。頭部付近に変異がある場合は”深変異患者”として問答無用で隔離される。
「貧民街からは殆ど患者がいないが、これは経済的事情からメディカルセンターに通えない者が多いためか。いわゆる生存バイアスってやつじゃな。捕まりたくない深変異患者は表面化しないので当然か」
「つうことで、データが収集できない貧民区はあたいがツテと足で調べた。聞き込みっつう原始的な方法だが、500人に知人の変異がひどくなったか否かを聞いた分だとココだけ明らかに変異が加速してねえ」
アンナが資料を捲ると、貧民区だけでなく居住区ごとにヒアリング結果を纏めた円グラフが掲載されていた。アンケート項目は五段階のチェック式であり、変異が早まったと回答した者には時期・内容を追記させている。
アンケート結果によれば、変異が早まったと答えた者は富裕区と一般居住区や商業区などで80%程度で横ばいだった。だが貧民街だけは55%とある。いずれの地区もデータ数は500に揃っていた。
リサはなおも怪訝な表情で円グラフを眺める。主観的なデータに対しては特に強い疑いを持ってかかるのは当然だ。ほぼツッコミどころのないデータなのは流石アンナだが、疑問が残る点はまだ存在している。
「アンナ先生、質問が二つ。一つ目は変異速度の判断基準が教育レベルの異なる富裕区や一般区および貧民区で異なる、つまりアンケート自体が変異加減速の実態を表してない可能性。二つ目は貧民区以外のヒアリングは来院患者によって行われていますよね。その場合、治療によって変異が減速したと感じてしまう可能性については?」
腰に手を当てたアンナはニヤリと口角を引き上げる。
「いい質問じゃねえかタツキ。前者の質問はごもっともだが、あたいはアンケート回答の信憑性が統計学的に問題ないという明確な証拠は提示できない。ただ、おめえは変異が急成長して気づかねえのか、と逆に質問したいね。形質変異部は日常生活の妨げになる以上、嫌でも意識せざるを得ない。わずかに範囲が広がったり、分厚くなっただけでもデカい違和感を覚えるだろうさ。そんな違和感が急に増えたとなりゃ、アンケートには十分反映されると思うけどな」
「あとタツキの二つ目の質問は的を得ておる。だがアンケート結果をみると、その懸念とは逆に治療を受けていない貧民区では変異が加速していない。つまり変異の加速は明らかに富裕区や一般区で起きているといえる」
「そういうこった。とにかく貧民区の変異進行が遅い理由を突き止める必要があるぜ。なあタツキ、貧民区には行ったことあるか?」
貧民区は、商業区から白壁を隔てた土地にあるアルフロイラ区画番地16-20番地の通称である。
大災厄から50年が経過した今も管理が間に合っておらず、勝手に住み着いた者たちによりスラムが形成されている。一応は番地が付いているのは、食肉加工場やギルドなどの国営公共施設が設置されているためだ。
「 恥ずかしながら……近づいたこともないです」
リサに拾われてから研究一筋で生きてきたタツキは、そもそも外出することが殆どない。せいぜいカレンに”荷物持ち”と称して週末に商業区を連れ回されるくらいだ。
「んじゃ、おめえの端末に地図を送っておくから明日にでも行ってくれねえか。調査を手伝ってくれる頼れる仲間を紹介したい。あたいも時間の許す限り調べてみるが、仕事のないタツキの方が圧倒的に動きやすいだろう」
「このアンケート結果といい、おヌシは貧民区にもパイプがあるようじゃな。食えない奴じゃ。私も不在の間に溜まった仕事を片付けにゃならんのでタツキに託す。ヒュージゴブリンの後始末という厄介事も増えたしな」
首を縦に振っていないのに勝手に仕事が増えた。
「そういや学院の方でモンスター脱走事件があったんだってな。なぜかヘッドニュースに記事が挙がってるぞ、凄腕の精神疾患少女が巨人を討伐したって。なんでリークしたんだろうな」
ミリアス学院では機密を守るために学内情報の開示には検閲が入る。許可なく開示した者は重い罰則が科せられるため、学内の出来事が即座にニュースになることは皆無だ。
「さしづめどっかのアホが映像を動画サイトに投稿して、そこにニュースが乗っかったという感じじゃろう。ミリアス学院にそんなアホはいない思っていたが」
「ヒュージゴブリンが逃げるとか有り得ねえだろ、と思うが事故原因が分からねえと何ともいえねえな。もしかしたら本当にただ脱走しただけだったりしてな」
「また笑えん冗談を言いおって」
「まあいいや。とにかくタツキは明日に貧民区に来てくれ。よろしくな」
アンナは任せたとばかりにタツキの肩を持つ。勝手に話が進んでいくのはいつものことで慣れっこだったりする。変異を調査できるのだから、断ると理由はないのだが。
「ああ、もう一個見せたいものがあるが、あたいの話はひとまず以上だ。タツキはとりあえず渡した薬を一錠飲んどけよ。偽薬ってことはねえだろうが、なんか異変があれば即座に相談することな」
偽薬という言葉にタツキの胸が詰まった。傍らのリサも一瞬だけ表情を強張らせる。
「…………はい」
「あ……すまねえ。そんなつもりじゃなかった」
「気にしないで下さい。根も葉もない噂だと思っているので」
首元を掻いたアンナは机上の天然水ボトルをサラクチンの横に置く。受け取ったタツキはシートから楕円形をした白色錠剤を取り出して口に運んだ。
「んじゃ、あたいからの情報提供は終わり。次はリサの番なー。ニボンでの一年の研究成果を見せてくれ」
「私がニボンに行ったのは知識供与の目的が大きいからな。あまり研究は進んでおらんが、研究成果のお土産は持ってきておるぞ!」
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