加速する遺伝子変異
第9話 忍び寄る変異
中央に聳える王城を囲うように王都外周をぐるりと巡る環路アニュラシビア。PDGPSにより制御された車たちが円筒状の半透明なパイプロードに列をなす。パイプ形状は制限車速の飛躍的向上に対応して建造されたためだ。
「うー遅い遅い! たった200キロしかないというのに何分掛かっとるんじゃ」
リサは運転席でダッシュボードに顔を乗せたまま、高速走行する車列を睨みつける。ちなみに150km/hは出ているため特段遅いわけではない。
「ニボンと比べちゃダメですよ。あそこは大型の高性能モーターが利用できますからね。めちゃ早いと聞きますし」
王都アルフロイラは医療機器を除いて大型機械類の利用は機械運用法により厳しく取り締まられている。これは大戦にて機械兵器が利用され、凄惨な虐殺が繰り広げられた歴史を重く捉えているからだ。
「まあ分かっとるんだがな。しかし大型機械によって一枚も二枚も利便性が高まると知ってしまうと、機械運用法を頑なに順守するのもいかがなものかとは思う」
リサは前を走る車から手を振る子供に手を振り返す。恐らく同い年の子だと錯覚されたに違いない。
「それはそうと、さっきのモンスターはどこから湧いたと思いますか?」
シートに背を預けたリサは少し硬い表情で一瞥を返す。
「ユウリの持ってきた始末書だとヒュージゴブリン以外にコアスライムとウルフも出現したそうじゃないか。普通に考えれば実験用モンスターが逃げ出したと考えるべきじゃが、コアスライムなんて貴重な種が管理されていたとは驚きじゃな」
「それは思いました。俺は毒性試験とは無縁なので、管理されているモンスターに詳しくはありませんが、あんな貴重な種が実験動物として飼われていると思えない」
「昔に脱走を許して大騒ぎになったから、モンスター建屋にも何重にもフェイルセーフが掛かっておるはず。自然に逃げ出したとは考えにくいな」
リサは難しい顔で言いつつまた手を振り返した。どうやら子供と間違えられるのは満更でもないらしい。黄色で塗られた派手な外用装車だから注目を浴びやすいのだろう。
リサが所有する外用装車は一般車の車幅の1.5倍の車幅を持ち、全中後に六本のタイヤを擁する。4本タイヤである一般車からすれば装甲車そのものだ。現行の自動車でマニュアルハンドルが付いている唯一の車ともいえる。
「ナビに行先を告げるだけで目的地に到着するというのも車好きとしてはつまらんな」
「じゃあアニュラシビアを自分で運転してみますか?」
「いや……それはさすがに私でも事故る」
王都ではPDGPSと呼ばれる衛星測量システムにより車両通行・運行時間・信号待ち回数などが管理されており、ヒトの反射神経という枷が外れることで車は時速200km以上での走行を可能としている。
アニュラシビアでは血脈のように数秒おきに分岐が存在しているため、人間が運転しようものなら操作ミスで事故るのがオチだ。
「それで、大事件を放ったらかしてメディカルセンタに直行する理由はなんですか。言われたとおり月一で通ってるし今月も通院済みで優先順位は低いと思いますが」
「あの事件の真相解明は憲兵どもに任せとけばよかろう。めんどい書類仕事もユウリに押し付けてきたから問題ない。メディカルセンター直行便が最優先な理由はこれじゃ」
リサは薄く車内に響いていた電波系のアニメソングを切って、オーディオ音量を上げる。車載ディスプレイで女性アナウンサーが堅いトーンで話し始めた。
「次は本日より世界同時販売が開始される変異抑制剤に関するニュースです。販売元であるグリュック社グリュード社長の会見を中継いたします」
何十にも重なるシャッター音を押し退けてしわがれた渋い声が発せられる。中継は音声だけが先にきており、未だに映像ディスプレイはアナウンサーを映したままだ。
『――大戦以降、突然変異によって生活も住む場所も全てが変化しました。シェルターに守られているとはいえ変異患者がますます増え続けています。
治療法の無い変異によって様々な人々が苦しめられてきましたが……今日をもってそれが変わります。我々が開発した新薬サラクチンが変異に苦しむ人々を救います』
「ああ、今日は例の眉唾治療薬の発売日でしたか」
「さあ眉唾かどうかは、これから行けば分かる」
「って……まさか」
「その通り、手に入れた。タツキにモノを見て納得して貰ってから、アンナと相談してから決めるつもりじゃがな。他にもいいニュースがあるが……それは目的地についてからにしよう。それにしてもコイツはいけすかんな」
リサは嫌悪感を目元に表しながらディスプレイを睨みつけた。
社長と紹介された男性の横にいる黒髪眼鏡の男が、大仰な身振りで手元のアンプルを取材陣に見せつけている。机上には”研究所長 タイラム・ハリクーレ”と名前が掲げられていた。タイラムという老人は大きな球形レンズを貼り合わせた眼鏡から狐のような細長い目でカメラを見つめている。
『研究には長い年月を要しました。とくに量産プロセスで必要となる素材を大量に調達する方法が課題となりましたが、最適な立地条件を確保することで克服しました。今後は物量を見ながら生産能力を調整していく予定です』
「研究所長タイラム……こいつが」
「知り合いですか?」
「いや人づてに名を聞いただけじゃ。到底口に出せないような卑劣な実験を行っていると知り合いから昔に聞いた。理性のないマッドサイエンティストだと」
「そんな狂人が研究所長ですか。規制がゆるゆるなのは輸出品目だけじゃないってわけか」
「研究面では誰も足元に及ばんほど優秀らしい。産業レベルが少し前までアルフロイラの足元にも及ばんかった国じゃ。急成長のために狂人を所長に立てるのも仕方なかったんだろうさ。
今回の輸入規制大幅緩和に関しては私も思うところはあるが……サラクチンを入手できたという点を考えると無碍に否定もできんな」
グリュックの属する工業国ライダスは食品や医療薬を初め、あらゆる製品の危険分類基準がアルフロイラよりもゆるい。急激な工業発展のせいで法治も満足にできず、ロクに対策も施されないまま工業廃棄物を撒き散らしている有様だ。
ライダスから滅生物質汚染の危険がある製品を輸入することに不安はあるが、蔓延する変異物質への対策は急務。対抗策と期待される新薬の”サラクチン”を輸入するために、アルフロイラは仕方なく自由貿易協定の締結に踏み切った。
汚染の進む他国も泣く泣く輸出入の合意を結ばざるを得ない状態だ。
「ったく、私の故郷であるニボンでも貿易協定を結ぶ予定じゃ。島国ではあるが、風に乗ってきた滅生物質のお陰で各地で変異が観察されておる。今回私が呼ばれたのも変異に対する知見を提供することが目的の一つじゃった」
幼女のような姿だが、リサはニボン出身の薬液化学の第一人者だ。滅生物質汚染によりモンスターが人類を脅かす前、植物を主食とする小動物類に異変が起きだした頃から滅生物質の危険性に注目していた。
リサ、そして対モンスター武器のシェアNo1を誇るフィリム社を筆頭に、アルフロイラは今や薬液化学研究の中心地となっている。汚染が拡散している今、世界中から彼女の知識は引っ張りだこだ。
「ニボンはアルフロイラ並みに化学技術や倫理観が発達した美しい国と聞きます。自分もゲートループをくぐってニボンに行ってみたいものですよ。機構刀の原型であるニボン刀を見てみたい」
タツキは王都中央から斜め上に伸びる黒い塔へ視線を送った。それはゲートループとよばれる防護壁付き航空機誘導路だ。 数十年前、 汚染蔓延によって生まれた飛行モンスターからの攻撃により旅客機が墜落したことで各国で整備された。
飛行モンスターのいない高度4000メートルまで伸びる斜塔のような建造物である。建造費が嵩むため大国のみ滑走路を持つに至ったことから、国力象徴のような側面も併せ持っている。
「しかし現代になってニボン刀のような近接武器が主流になるなんて想いもせんかったよ」
「モンスターに旧式銃器が通用しないのが悪いですね」
人類が敗走を重ねて水を満たした堀とシェルターで守りを固めざるを得なくなったのは、モンスターの皮膚組成が類を見ない対弾性を持っていたからだ。
大量のモンスターが初めて押し寄せた50年前の大災厄。そのときには周りにあった村々が壊滅し、防御態勢が十分でなかったアルフロイラでも多くの犠牲者が出た。この事件を転機として、現在のように薬液と呼ばれる神経毒によってモンスターを殺傷するスタイルが確立された。
「動物が遺伝子変異で凶悪的な防弾性能を持つなんて誰も想像もしなかっただろう。数百年も銃器で狩猟され続けてきた腹いせに、進化して大逆襲してきたって感じかねえ。もはや食物連鎖で人間は捕食される側じゃ」
滅生物質により進化したモンスターの皮膚下には大きな粘性を持った赤褐色の体液層が形成されている。銃弾が通用しないのは、超高速で侵入した弾丸がダイラタンシー現象によって固化した体液に食い止められるためだ。
ダイラタンシー現象の仕組み上、体液層による防御力は弾丸の大型化・弾速の向上により殺傷力が高まるに従って強固になる。特に虎の子である旧式の対物ライフル銃やガトリング砲は殆ど効かずパニックに陥ったという。
「スライムたちは本当に厄介な化け物を生み出してくれた。おかげで人類は城塞の中でしか生きられない。あの子たちも一生外の世界を知ることはないじゃろう」
前を走る車の子供たちが飽きずにリサを凝視している。同い年だと思っていたのか子供たちは熱烈に騒いでいたが、両親に怒られて萎んでいた。
アニュラシビアを降りた車はメディカルセンターを眼前に捉える。ナビからはあと2分で到着する旨がアナウンスされた。
「ところでたっつん……あの少女とは本当に面識がないのか?」
「残念ながら。あんな精神崩壊寸前の凄腕剣士は知らないです」
奇声を発してモンスターを刺し続ける行動、錯乱した態度。いまでも記憶は鮮明に思い出せてしまう。
「ほう、初めてキスされたのにぃ?」
横目に視線を向けたリサに対し、タツキは嫌そうに窓外に視線を送る。
ファーストキスというのは本当なので返す言葉もない。乾いた唇が触れる感触は今でもなんとなく思い出せた。
「向こうは俺のことを知っていそうでしたが。全く面識なしですよ」
「実は研究室の面々に黙って交際しておったのかと思ったぞい」
「会話がマトモに成り立たない相手と交際はきついですね」
そんな雑談をしているうちにメディカルセンターへ到着する。
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