第8話 壊れた少女

 引きつった笑い声をあげながら少女は繰りかえし背中を刺し続けた。

 そして付着した脂で白刃の小刀が刺さりにくくなってきたとき、力いっぱい突き刺して柄を握りしめたまま俯き続ける。

 遠距離からでは横髪に隠された表情を伺うことは出来ない。

 猛獣を見守るような緊張感が辺りを包みこむ。一つの雑音も許さないとばかり静まり返った聴衆がその証左だ。


 赤く染まった短刀を引き抜いた彼女は腰の鞘へ納めて立ち上がる。そしてヒュージゴブリンの背から降り、放棄していた白刃の機構刀を拾い上げた。

 ゆっくりと顔を上げてタツキへと視線を向けるや、

「くっ、うぅ……!」

 右手で額を押さえた彼女は苦しそうに口元を歪める。

 そんな状態でも睨むように薄く開けた瞼は鋭くタツキを捉えていた。無表情を張り付けた彼女は痛みに耐えるように呻きながらも一歩一歩とタツキへ向かって歩を進める。


 異様な圧迫感を醸し出す少女。柄にもなく気圧されたタツキは身体が震わせながら鯉口を切った。隣のリサも機構槍を握りなおして静かに臨戦態勢を敷く。


 先の戦闘で少女はヒュージゴブリンの表皮を斬撃で抉じ開け、黒褐色の体液層を逃がしてから機構短剣を皮下組織に突き刺してみせた。たしかに有効だが短刀の切っ先を傷口に正確に突き刺す必要があり、失敗リスクが高いため誰もやらない大技だ。

 それをやってのける相手に勝てるのか。

 思考を巡らせる間にも少女との距離は着実に詰まっていた。 頭が痛そうな素振りで過呼吸気味に肩で息をしているのに。苦しそうな表情を浮かべているのに、彼女は執拗に歩を進める。


「大丈夫……か?」


 タツキは少女を心配する仕草を見せながらも右手を機構武器の柄に添える。あと一歩で刃が届く間合いに左足を踏み込んだ少女は、不気味に口角を引き上げた。


 身を抉るような不穏に苛まれたタツキは機構刀に力を入れる。だが閂を掛けられたようにビクとも動かなかった。


「なっ……うぐ!」


 気づいたときには唇が柔らかくて暖かい感触に覆われていた。

 焦点を合わせられないほどの近距離。頬には彼女の藍色の前髪がちらちらと触れる。その視界の隅には華奢な手で柄頭を抑え付けられた機構刀が見えた。


 苦しく感じる寸前に解放されたタツキは後ずさって反射的に唇を拭う。眼前では舌なめずりした少女が満足げに頬を綻ばせていた。


「私はカナリア・ショールです。この国の随一の踊り子で皆を魅了するにゃあ」


 カナリアと名乗った少女は丸く握った手で猫を模したポージングする。さながら商業区で人気のメイド喫茶とやらで聞くような口調である。

 恥ずかしげの欠片もなく、男性を魅了しそうな全力の猫なで声。その跳ねるような声色には全く似合わない画一的な無表情が少女の顔に張り付いていた。


 場面に合わない少女の狂気的な行動に聴衆が静まり返る。


 ざわざわと声を発し始めた野次馬たちが次々に二人の関係を騒ぎ立てていた。


「では後はまかせたぞ。少年!」


 今度は猫ポーズから一転して両足を揃え、軍隊染みた敬礼を行った。さっきの可愛い声からは想像もつかないほど硬く厳かな口調で言い放っている。


 そして次の瞬間には無表情な顔を弛緩させ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。周囲の状況を探るように眼球を左右に動かした少女は


「ご、ごめんなさい!」


 恥ずかしさから逃げるように上腕部に顔を隠しながら理学部棟の方角へ走り去っていく。困惑したタツキはその後ろ姿を目で追うことしかできなかった。


 何度か呼吸を挟んだ後、彼女の姿が消えた頃にリサが口を開く。


「タツキ、あの少女どう思う……?」

「……化け物ですね。そして精神が壊れてる」

「ああ、もし刃を向けられたらと思うと、ぞっとしたよ」 


 フィールド調査で小型モンスターとの戦闘経験が何度かあるタツキが一つも対応できなかった。


 認識したときには相手の行動が終わっている、そんな不思議な感覚だった。絶望的ともいえる戦闘センスの差というのだろうか。リサと束になって掛かっても勝てそうにないことは直感的に察した。


「おーい、お二人とも大丈夫ですか!?」


 タイミングを見計らったように野次馬から手を振りながらユウリが飛び出してきた。さては安全な状況になるのを待っていたのであろう。手には分厚い紙束を握りしめており、背後には数名の憲兵が追従していた。


「汚染対策憲兵にモンスター処理・土壌洗浄依頼をしてきました。こちらが必要な提出資料です」


「ああこれは……うおぉぉ。帰国早々に面倒な書類が来てしまった」


 渡された紙束はモンスター処理依頼・土壌洗浄依頼・武器使用許諾伺書・経緯説明書など多岐に渡っており、これがモンスター1体1体ごとに存在している。見るのも億劫になる分厚さを誇っていた。


「書類は書いておこう。すまんがユウリ、処理の立ち合いをお願いしてもいいか。私は緊急でタツキと一緒に向かわねばならん場所がある」


「もちろん大歓迎ですよ。土壌洗浄なんて見る機会はなかなか無いですから楽しみです。お二人はデート楽しんできてくださいね」


「ああ、すまんな。いくぞたっつん」


「は、はあ」


 リサは野次馬を抜けて駐車場へと逃げるように歩を進める。訳が分からず立ち止まっているタツキの袖を掴んで強引に引っ張っていった。


「おい、あいつ、例の偽薬犯罪者の息子じゃね?」

「偽薬事件って……10年くらい前だよね。そんなのあったなー」


 近くで囃し立てた野次馬へとリサは鋭い視線でにらみつける。彼女の殺気だった雰囲気にピクリと戦慄いた野次馬はバツが悪そうに目を逸らした。


 二人の姿を見届けたユウリはヒュージゴブリンを検視する憲兵の元へ歩いて立ち止まった。先ほどの不審な少女が逃げて行った先をじっと目で追う。


「ボクも流されてばかりではダメですね……」


 ため息をついたユウリは背後の巨大モンスターへ振り返る。


 モンスター研究一筋のユウリは眼前のヒュージゴブリンに心を躍らせる様子もなく、強ばった表情で無数の切り傷を見ていた。

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