第7話 ヒュージゴブリン2
視界が拓けた先に広がるルフロ湖には人工的に埋め立てて建造した3つの頑強な建屋が浮かんでいる。
それぞれの建屋は実験用のモンスターが飼われている。湖に覆われているのは、万一にもモンスターが逃げ出した際にも大事に至らないためのフェイルセーフだ。モンスターを連れ出す際には建屋と学院をつなぐ跳ね橋を毎度おろす必要があり、よく利用する生徒は不便さに不満を垂らしている。
「あの女の子一人で大丈夫なのか」
「憲兵は何してるの!?」
憲兵から伝えられた理学部三号棟へ辿り着いたタツキは、ざわざわと囃し立てている野次馬の壁に戸惑いを隠せなかった。
戦闘の地響きも伝わる近距離にいるにも関わらず、彼らには危機感がない。
手元の時間は一限目の終了チャイムの五分前。なるほど講義が終わった連中がヒュージゴブリンの危険さも良く分からずに観戦しているのだろう。
呆れたタツキは強めにため息を吐く。
人間に近い種類の哺乳類が滅生物質により異常な進化を遂げた個体、それがヒュージゴブリンの正体といわれている。所々に析出した岩っぽい皮膚・局所的に針状に成長した体毛が、大陸に古く伝わる神話のゴブリンにそっくりなことから名づけられた。ちなみに学科教本では即刻退避が必要な危険度を誇るモンスターだ。
「チッ、しぶとい。ムダに進化しおってムカつく奴じゃ!」
逆光のなかで少女が火炎弾を投げる。
それは茶色い巨躯の頭部上方で首尾よく炸裂し、ヒュージゴブリンの首元から肩にかけて液状の火炎で燃やしあげた。可燃性で燃え尽きにくい液状有機溶媒が仕込まれたフィリム社製の火炎弾だ。
身長換算で少女の4倍はあろうか。そんな巨人が火のついた顔面を押さえながら唸り、フラフラと後ずさって背後の浅瀬に倒れ込む。隣接する理学部棟の3階まで届く水しぶきが雨となって野次馬に降り注いだ。
「逃げろ! 汚染されるぞ!!」
騒ぐ聴衆の声が耳障りで仕方ない。近距離で彼女の戦闘を観ている時点でそういったリスクは承知のはず。いまさら騒ぎ立てることではない。というか第一、湖水のしぶきを浴びた程度で滅生物質に汚染されたりはしない。
アルフロイラが湖水として引き込む水は全てフィルターを通して一次ろ過を行っている。流石に飲み水として直接飲むのは気が引けるが、皮膚接触する程度なら全く問題はないだろう。
ただ問題があるとすれば――火炎弾の有機溶媒やヒュージゴブリンの体液が湖に拡散することだろうか。都市内の水が汚れると陸地に先程のコア有のようなスライムが現れる可能性もあり厄介だ。
少女は飛沫で濡れた前髪を指で掻き分け、切っ先を上にした槍を舗装路に突き立てうな垂れた。
「あー、しまった……。湖を汚染すると水系管理局のヤツらに文句言われるんじゃった」
浅黄色の緩いウェーブがかかったミディアムヘアと小さな身長から、中等部に通っていそうな年齢だ。だがアレでタツキやカレンなど研究生を統べる教授なのだから笑えない。
「リサ教授、戻ってたんですか!」
「おおおおぉ、タっつん久しいな。たった今、長旅を終えて戻ってきたところじゃが……この騒ぎはいったいどうなっている?」
「さっぱりですが、憲兵が騒いでいない様なので学院中にモンスターが拡散しているわけではなさそうですね」
「そうか。まあ詳しい話はヤツを無力化してからにするか」
浅瀬に両手をついて這い上がったヒュージゴブリンが水中から木片を掴み取って放り投げる。
リサとタツキは互いに足の外側を蹴りあってそれを回避した。突進を持たない巨人族相手では左右に展開したほうが優位に戦えるのは学科教本での定石だ。
対モンスター戦闘においては少しの優位性が生死のラインを分ける――なんて何処ぞのジジイに習った教訓を思い出す。
「ったく、陸地まで渡って来れるなら湖の意味ないじゃろ。管理方法を改めねばならんな。巨人は泳ぎが苦手じゃなかったか?」
「また急速に進化して適応したんじゃないですか。自分の身と重なると思うと怖いですね」
「その話は公衆の前では厳禁じゃ。ほら来るぞ」
よろよろと陸へあがったヒュージゴブリンは岸に流れ着いていた流木を片手に掴んだ。投げるは愚策と気づいたか、今度は武器として握ったまま突っ込んでくる。
巨躯なわりに俊敏な足は人間よりも僅かに速い――図鑑に記載されていた情報に違わず十数メートルはあった距離がものの数秒で埋まった。
「私の後ろで屈め!!」
喉奥から鳥肌が立つような唸り声を張り上げたヒュージゴブリンは、流木片をオーバースイングで振り被る。黒く爛れた瞼を剥いた碧眼には怒りが滾っていた。
機構槍の穂を垂直に立てたリサに密着して身を屈めるや、脳を揺らすような衝突破損音が耳を劈く。
その一撃を受けとめた槍の石突が舗装路を穿った。
タツキは早鐘を打つ鼓動を押さえながら視線を上げると、ハルバードを真似て作られた穂先が振り下ろされた流木の貫通を防いでいた。
「やれ!」
リサが叫ぶ前に抜刀したタツキは巨大な左膝を機構刀で袈裟懸けに引き切る。分厚いビニル製品を引き裂くような不快な感触が手を伝う。
明らかに斬撃が浅く、真皮に届いていない。
「クソッ、どんだけ表皮厚いんだよ」
モンスターは総じて対弾装甲と皮下脂肪が厚い。とくに大型モンスターの装甲はとても分厚いため、個人持ちの機構武器で真皮まで刃を届かせることは不可能だとと言われている。
一太刀を見舞ったタツキも手ごたえのなさに苦笑いを浮かべてしまう。ここまで機構刀が無力だと笑えてくる。
「危ない!」
流木を放棄したヒュージゴブリンが素手の右手で薙ぎ払う。インパクトの瞬間に機構刀を差し入れたものの、丸太のような右腕に為す術なく弾き飛ばされた。
衝撃でタツキ自身も数メートル吹き飛ばされ、歪に転がりながら左肩と腰を舗装路に2回叩きつけられて止まる。
「っ…………」
「タツキ!!」
心配するリサの声に頬を軽く弛緩させて応える。辛うじて背や頭という急所は守りきった。致命傷ではない。まだ戦える。だが肝心の得物がなくてはどうしようもないか
金属音を張り上げて舗装路に落ちた機構刀から幾つかの装飾が破損して飛び散る。無残にも大事な相棒が傷つく姿にタツキは奥歯を噛み締めつつ、ヒュージゴブリンをにらみつけた。
すると巨人の背後に人影があることに気づく。
藍色のサイドポニーテールを作った女学生だ。白刃の機構刀を握った彼女は音もなくヒュージゴブリンに一歩ずつ歩み寄り、一糸乱れぬ立ち居で得物を振り上げる。
剣気――そう銘打ちたくなる張り詰めた感覚にタツキが唾を飲み込んだ。
袈裟切りに振り下ろされた白刃がヒュージゴブリンの膝裏に鋭く牙を剥く。流れるような引きで分厚い皮が切り拓かれ、鮮血の混じった飛沫が飛んだ。
変異により生まれた装甲を抜いて真皮まで刃が通った証だ。
いまの一撃でいくらかは薬液を注入できた。しかしヤツの巨体に作用させるには量が心許ない。無力化させるための致命打にはなり得ない。
振り返ろうと身体を捻るヒュージゴブリン。 その巨体から反撃を受けて彼女が吹っ飛ばされる未来がタツキの脳裏に湧き上がる。
”危ない”という言葉が喉元まで出掛かって、噤んだ。彼女は振り抜いた白刃を放棄して左腰に据えた短刀を右手で握っていたからだ。
落下した白刃が金属音を木霊させるまでの僅かな時間。その間に彼女は白刃で切り開いた傷口へと素早く手元の短刀を突き刺す。狂いなく正確にミートした切っ先は、柔い皮下組織を掌ほどの長さまで食い破って侵入した。
そして彼女が短刀のトリガーを引いた刹那、声にならない悲鳴を上げたヒュージゴブリンはガクガクと身体を痙攣させながら足元から崩れ落ちる。
その間は僅かに数秒。これが現代の対モンスター戦に用いられる薬液、つまりは即効性神経毒の威力だ。
地響きを伴って倒れた巨躯は微動だにすることなく完全に動きを止める。あまりの呆気なさに観戦していた野次馬たちを含めて場内は静まり帰った。
遅れて野次馬から拍手が巻き上がる。
だが称賛されるべき英雄の少女は、目障りだとばかりに野次馬を一瞥すると興味がなさそうに手元に視線を戻した。そして膝裏に突き立てていた短刀を両腕で引き抜くや、未だ鮮血が滲む傷口に再び突き立てた。
「これでおわりなんて……ふふ……ははははははは」
恍惚とした表情で2回、3回と刃を突き立てて新たな傷口を作る。体液や鮮血が制服や頬に跳ねても何も気にしていない。
数百の人間が一斉に拍手を取りやめる。場内が凍り付いたように静まり返った。
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