第4話 コアスライムとの対峙2
押し倒されたカレンは狐に摘ままれたような表情で視線を上に向ける。すぐ近くにタツキの喉元があった。
具体的な二人の状態は、タツキがカレンの背中に左肩を差し入れ、右手で上から胸と肩をホールドしている。添い寝の体勢に近い。傍から見れば間違いなく学院法の”風紀を乱す行動”に当てはまるだろう。
「はぁ……大丈夫か、カレン」
「今、どうなったの……?」
カレンは何度も瞬きをしながら視線を頭上の側壁に向ける。コンクリート剥き出しの壁にはジェル状に尾を引いた二つの溶液球が弾けた跡があった。
「銃撃音へのカウンターとして溶液球を放ってきた。カレンが専攻しているマナ生体化学の教本にはないかもだが、コア持ちスライム種の基本生態だぞ」
コアスライムは不浄の運び屋だ。そのコアは遺伝子変異物質の塊であり、触れただけで体内に吸収される毒のような性質を持っている。国外でも滅多に発見されないレアモンスターだ。
「コアスライムがそんな能力を持ってるなんて知らなかった。図鑑で実包銃での攻撃が有効って書いてあったから撃ったんだけど、ごめんなさい」
「その知識は間違ってない。ただ、それは100m以上離れた射程に限った話だ。コアスライムは総じて溶液が酸性か塩基性だから、万一でも触れるとやけどじゃ済まないぞ。こんな風に」
タツキの着ていた白衣に出来た青いシミの中心には斑点状の穴が空いていた。壁に当たって散った液体の飛沫の仕業だ。
「じゃあ、もしタツキが庇ってくれなかったら――」
「失明、全身やけどの重体だっただろうな。考えたくもない」
ミリアス学院が属しているアルフロイラでも、スライムの体液に触れてやけどをする事故は年間に何件か報告されている。しかしそれらは微小なコアが発生したスライムでの事例であり、眼前の巨大なコアを持った種とは天と地ほど差がある。
こいつらは周囲の音に反応して攻撃する、正真正銘の人殺しモンスターだ。
上体を起こしたカレンはいまの出来事を思い出して肩を震わせた。
「カウンターを無効にするには音の出ない近接武器で叩き切るしかないな」
そう言って起き上がったタツキは機構刀を抜いて階段を下る。
油を塗った刀身には朝日が反射してチラチラと鏡面のように輝いた。切っ先の薬液噴出孔は出番がないため薬液カートリッジを引き抜き、代わりにサンプルホルダーに付け替えておく。
中段に軽く構えたタツキはスライムの真正面から音をたてぬよう歩を踏みしめる。
遺伝子汚染の根源であるコアスライムを近接武器で相手するのは自身の汚染も早める自殺行為だろう。だが汚染抑止の研究を行う当研究室としては、汚染源である赤いコアは絶対にサンプリングして解析を行いたい。
さてコアスライムをどう切り伏せるかは難題だ。
基本的にはコアを形作る膜を破砕させれば、自分自身の溶液に晒されてぐちゃぐちゃに変性して消滅する。ネックになるのは音への反応速度だろう。
学内随一の身体能力を誇るカレンが射撃を外したのはおそらく狙いがズレたからではない。発射音のほうがスライムに早く伝わり、着弾より先にコアが反応したからだ。
小難しい表情で距離を詰めたタツキは異変を察知して足を止めた。スライムの体液内を浮かんでいた赤いコアが幾何学模様を描いて世話しなく移動し始めたのだ。
スライム表面に目を凝らすと、釣鐘型の頭頂部から触手にかけて波打っているのも確認できた。
そういえば同期のユウリが過去に言っていたことを思い出す。
『コアスライムはある時期になると鳥肌を立てて音に過敏になるんですよ。これはボクの予想ですが、こいつら有性生殖すると睨んでいます。ようは発情期で気が立ってるってことですね』
楽しそうに語るユウリの姿まで思い出したタツキはため息をついた。
確か彼が纏めた論文では、この現象をEXカウンター状態とか名付けていたはず。カウンター性能が飛躍的に上昇し、木々のさざめきにさえ溶液球を撃ち出すほど音に過敏になるとか。
これがEXカウンター状態ならばわずかな足音も感知されるだろう。つまりタツキは身動きが取れないことになる。
どうしたものか頭を捻っていた折、研究室の庭先の木から一羽の小鳥が飛び立った。その瞬間、二匹のスライムが体表を震わせて弓なりに変形。釣鐘型に戻るときの弾性を利用して溶液球を発射する。
小さい溶液球は羽ばたいた茶色い鳥に正確にヒットした。植えられた低木の葉を散らしながら鳥は芝生へと垂直に墜落する。
驚異的な命中精度と威力を目の当たりにしたタツキは唇だけ動かして”うそだろ”と呟いた。わずかな音も立てないよう眼球だけ動かし、腕時計で時間を確認する。
眼前にいるのはコアスライムの域を超えた怪物。音を発する万物全てを破壊する恐ろしい大量破壊兵器だ。講義を終えた学生がお喋りをしながら街路を通れば、溶液球を食らって死亡事故に繋がる未来は想像に容易い。
機構刀を握る両手に嫌でも力が入る。
こんな怪物が古に人類が生み出した”兵器の最高傑作”だと思うと頭を抱えたくなる。現代では野生化したスライムが撒き散らす遺伝子変異物質により、様々な動物が歪な進化を遂げてモンスターとなった。
それは人だって例に漏れない。汚染対策が講じられていなかった黎明期にどれだけの人間がモンスター化したことか。
現況での不幸中の幸いは一限目の講義が終わるまで15分ほど猶予があることだ。学生が街路へ大量に溢れてくる前に意地でも片をつけねばならない。
考えろ――音を立てずに奴らのコアを砕く方法が何かあるはずだ。
変色したタイル上を憎たらしいまでの低速で闊歩する二匹のスライム。タイルが変色しているから体液がアルカリ性のソルトスライムのはず。ハッと後方を振り返ったタツキはコンクリート柵に隠れて見守るカレンを視界に捉える。
妙案が浮かんだタツキは学院支給の携帯端末のボタンを押し、空中に白枠のインターフェースを展開する。人差し指で空中キーボードをなぞり、学内SNSからカレンへメッセージを送信した。
後方のカレンはほどなくして”了解”と親指を立てるジェスチャーを行うと、コンクリート壁を盾にしながら階段を駆け上がって研究室へ戻った。
寸刻後には研究室から手のひらサイズの茶色い瓶を持ったカレンが二階の外廊下へ戻ってくる。タツキはスライムたちへ投擲するようにジェスチャーを出した。
コクリと頷いたカレンは引き締まった細腕で綺麗な投擲フォームを描くと、瓶の首を掴んで二階から溶液瓶をぶん投げる。
回転しながら山なりの軌道を描いて自由落下した溶液瓶は吸い寄せられたようにスライムたちに着弾した。
ガラスが割れる甲高い音が辺り一面に響き渡る。瓶内の強酸飛沫と粉々に砕け散ったガラス片が一気に撒き散らされ、いくつかの化学反応も相まって瞬く間に白煙を上げた。二匹のスライムは体表を嵐のように波打たせるや、瓶から溢れ出した大量の強酸液へ立て続けに溶液球を撃ちだした。
機関銃にも比肩する連射速度で狂いなく溶液球を発射する様子は、恐れを超えて感嘆を覚えるほどだった。
アルカリ性を帯びたゲル体が強酸に触れれば起こることは一つしかない。中和だ。アルカリと酸という危険な液体が塩と水という無害な物体に変化する、基礎的な化学反応である。
ガラス片や酸を避けるために背を向けていたタツキは治まりつつある白煙へ目を凝らした。
そこには溶液を失って大気に晒された暗赤色のコアがタイル上に落ちていた。歪なシワが至るところに入って半分以下の体積に収縮しており、その姿は人間の脳を彷彿とさせる。実に気持ち悪い。
明らかに二つのスライムの生体活動は停止した様子だ。安全確認のために付近に小石を投げてみると、跳ねた音に対してコアが溶液弾を飛ばす素振りはなかった。
タツキは二階のカレンへ”来るな”というジェスチャーをしてからスライムの残骸へ近づく。野良犬のような自分はともかく、大企業の令嬢であるカレンを危険には晒せない。
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