第2話 フィリム社の跡取り娘
「うわ臭っ! 換気よ換気」
眉を細めて鼻を摘まんだ彼女はカレン・フィロリア。いまは研究室でマナ生物学のスライド発表に向けてデータを収集している。普段はこの時間帯に来るキャラクターではないが、スライド作成の追い込み中で早出してきたようだ。
カレンは手近な窓へと近寄ってロックを解除する。すぐ傍には壁に激突して意識を失っていたウルフの頭が横たわっていた。
床のタイルを叩く靴音にウルフの鼻先がピクリと反応する。
「危ない!」
タツキは手元の実験用ナイフを逆手で握り、伸ばした右膝を支点にしてウルフの肛門へナイフを突き立てた。肉を裂く手ごたえを感じたタツキは切っ先を力いっぱいに押し込む。
カレンの足首めがけて牙を立てていたウルフはグガァァと弱々しい悲鳴をあげて四足をバタバタさせる。そして数秒後には動かなくなった。
迫っていた危険に気づいたカレンは青ざめながら半歩身を引き、へなへなとお尻から崩れ落ちた。
「た……助かった」
モンスターの牙には雑多な細菌がおり、噛まれると確実に敗血症を引き起こす。それは小型モンスターのウルフとて例に漏れない。モンスターとの戦闘は常に死の危険と隣り合わせだ。
「カレン、その機構銃を貸してくれ」
「え、はい」
銀色の銃をカレンから受け取ったタツキはトリガーロックを解除し、伸びている二匹目のウルフに対して引き金を引く。甲高い発砲音とともに硬質な皮膚を貫いた弾丸は一発でウルフの呼吸を急速に弱め、小刻みに脈打っていた腹部の浮沈を数秒で停止させた。
「ウルフを一発の弾丸で仕留められるのは革命的だな。どういう原理なんだ?」
「えっと確か、表体液に弾丸が接触した衝撃で弾丸中に装填されてる注射針を撃ちだす……みたいな機構みたい。企業秘密だけど」
企業秘密を暴露してよいかはさておき。この銃は間違いなくモンスターを一掃するための希望になるだろう。
なぜなら鉛弾を高速で撃ちだす旧式銃器はモンスターが皮下に宿す粘性体液によって無効化されるからだ。原理はダイラタンシーによる防弾と至ってシンプルだが、あらゆる砲弾がことごとく無効化されるため、表皮を覆う堅くなった外殻とあわせて対弾装甲と呼ばれている。
対弾装甲により、人類はモンスターに対して遠隔攻撃が事実上不可能になった。
現在では切れ味のよいウーツ鋼やミスリル鋼で製造された近接武器で装甲ごとモンスターに傷をつけ、切っ先から毒薬を噴出させて狩猟する方法が取られている。
あまりに原始的な狩猟方法ゆえに大量の死者を出す上に、狩猟効率も悪い。そのため各国は周辺のモンスター掃討だけで手いっぱいの状態に陥っている。
「この銃って量産予定はいつなんだ?」
「機構が複雑で量産はなかなか難しいってさ。それは試作機よ」
もし発売されたとしても貧乏なタツキには数か月断食しても手が伸びない高級品だ。以前に値段を聞いたが、試作機一つで一般区に家が建つとかなんとか。
硝煙の匂いを手で払ったタツキはセーフティを掛けて機構銃を返す。肝心のカレンは自らの足を眺めながら放心状態で三角座りしていた。
「大丈夫か?」
「え、ああ、うん。今のってさ、噛まれたらわたし死んでた?」
「うーん、制服を歯牙が貫通していれば危なかったな」
このミリアス学院の生徒は足から喉元まで防刃機能を持つ制服が定められている。
男子は襟付きの紺色ブレザーと白を基調とした長ズボンなのに対し、女子はブレザーにひざ丈の短め白スカートを指定されており、がら空きの下半身は黒いタイツで防御するという妙な取り合わせだ。
「ま、まあ生きてるから、よし。それにしてもクッキー毒ってこんなに強力なのね。これなら汎用毒性試験ではAAA等級まで狙えそうね」
「ああ……そうだな」
戸惑うようなタツキの反応にカレンは失言したとばかり視線を俯けた。
「それにしても機構武器を考えた先人は偉大ね。人類がこの化け物を倒して生活圏を維持できるようになったんだもの」
「なんだ、ステマか?」
「べ、べつにそんなんじゃないし。フィリム社製は切れ味も命中精度も抜群なんて誰でも知ってる事実だから言葉にする必要すらないし」
しっかり言葉で宣伝を付与してくるあたり商売上手だ。さすがは機構武器の提供で世界No1シェアを誇るフィリム社のご息女さまといったところか。
「フィリム社様の機構刀にはいつも世話になってるよ。俺のは中古で買ったものだけど」
一難去って息も整ったタツキは立ち上がって冗談交じりに会釈した。フィリム社の跡継ぎ娘に媚を売っておけばいいことがあるかも、なんて思ってたりなかったり。
苦笑いを浮かべたカレンはフラフラと立ち上がると、窓越しに学院内を見渡す。現在は朝一発目の講義中であるため、レンガ調の街路には学生たちの姿はない。
「外にモンスターが徘徊している訳ではなさそうね。ひとまず状況を知るために外に出る?」
「そうだな。学院にウルフが入り込むなんて非常事態級の大事態だ。悪いけど機構武器を持ってるカレンが先導してくれ。俺が後ろから注意すべき物陰を指示する」
「え……う、うん。わかった」
カレンは銃を構えながら自信なさげに立ち上がる。モンスターとの対峙経験がない彼女とって先頭を行くのは怖いだろう。しかし現在の戦力はカレンしかいない。心苦しいが頑張ってもらうしかない。
部屋から恐る恐る研究室の廊下を覗く。タツキも後ろから視覚と聴覚を研ぎすませてサポートする。幸運にも他にモンスターが居そうな気配はなかった。
「廊下は何もいないな。ひとまず居室まで注意深く進もう」
「う、うん」
銃を構えたカレンを先頭にゆっくりと廊下を進んでいく。早朝で人はいないが研究室内には常に動いている研究機材もあり、物音でモンスターの気配を察知することは容易ではない。
「あのウルフ共が夢中になっていた草か。これはなんだ?」
足元に散乱していた茎の太い植物を足で触ってみる。ギザギザした葉を持つ螺旋を描いた茎は異常に硬く、植物としてのしなやかに欠ける。変異に侵された植物がよく発現させる形質だ。
「どうしたんだカレン?」
植物から視線を戻すと、前方を行くカレンの後ろ姿は明らかに筋肉が凝り固まっており、踏み出した左足が小刻みに震えていた。銃を握りしめる上腕にも余計な力が加わっている。
「大丈夫か?」
肩で息をするカレンへ手を触れた。制服越しに小刻みに震えるのが伝わってくる。いつもの陽気な彼女とはまるで別人だ。
「ごめん、大丈夫だから……いやっ!!」
振り向いたカレンは肩に触れるタツキの手を視界に入れるや、害虫を払いのけるような勢いで振り払った。そして逃げるように数歩進んで壁にもたれて蹲る。
揺れる横髪越しに蒼白の顔面がちらついた。廊下に呼吸音が木霊するほどの過呼吸も併発しているようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます