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四つの対なる神オグドアド〟とは、もっとも強力な鉄晶核のことである。

 オーガナイザーがオーガナイザーとして認知され始めたころには、すでにそれらは存在していた。おそらくそれらはもっと古くから存在していたに違いない。しかしオーガナイザーが自らの能力を認識し始めるのはようやく文明というものを手に入れ始めたころであり、その能力を体系立てて意図的に使えるオーガナイザーはごく少数であった。そのごく少数のオーガナイザーが用いていたのが、現在〝四つの対なる神〟と呼ばれ、恐れ敬われている一連の鉄晶核群のことなのである。

〝四つの対なる神〟はその強力である能力のために、歴史の表に現われてはその流れを歪めるような爪痕を残し、裏側へと消えていく。そのようなことをそれらは幾度となくくり返していた。またその強力さゆえに古来より世界の伝承、民話、伝説にその名を残し、近代の戦争においては大量破壊兵器の名をほしいままにしてきた。

 オーガナイザーにとって、それらは畏怖すべきものであると同時に、羨望の的でもあった。最強の記憶を持つ鉄晶核は、もっともわかりやすい能力の象徴――

〝四つの対なる神〟を用いることのできるオーガナイザーは、鉄晶核の「形を成すもの」という意味の形成者オーガナイザーではなく、世界を「調え、律するもの」という意味の称号、〝調律者オーガナイザー〟を与えられる。

 現在の日本において、その名で呼ばれるものは、〝英雄〟井乃原まもると、〝天眼〟柄沢一士のふたりのみ――

「うわっ」

 それは突然のことだった。二盛が走行中のジープから一士を突き落とした。

 宙に放り出された一士は――即座に頭を抱え、かたい路面のうえをすべるように転がった。反射的に一士は受身をとっていた。

 転がる勢いそのままに一士は身体を跳ね起こし、状況を確認。きらびやかな戦装束が一瞬にして埃まみれとなっていた。

 廃墟の谷間。荒涼とした景色。一瞬一士はここがどこかわからなくなる。几帳面に区画整理されていた市街が、見る影もなく崩れ落ちている。

 そんな意識を頭から振り払い、急制動をかけたならばジープが止まっているはずの先へと、一士は視線をはしらせる。

 そこにはなにもなかった。

 ごっそりと地面が消えうせ、底なしの闇があぎとを開けている。路面の切り口はひどくなめらかで、プリンをスプーンですくった跡のようだ。一士はひどく場違いなことを思った。そんなこと思いながらも彼女はそれがなにによってなされたものなのか、むろん理解していた。

「出てきなさい、井乃原まもる! 今さらこそこそ隠れたところで私から逃れることはできないんだから!」

 ゆらりと――焦点を結ぶのに時間がかかった視界のように、世界が揺らぎ、井乃原まもるが現出した。白い甲冑に身を包んでいる。頭を覆うのは頑強な兜で、耳の横に剣呑な角が三対のびている。籠手と具足が覆っているひじとひざ先はするどく尖り、腕と足の側面からは何本もの短い刃が生えている。爬虫類のうろこを思わせる継ぎ目のない鎧、その背からは折りたたんだ腕のようなふたつの棒が突き出ている。見せつけるようにその腕が関節を伸ばすと、棒の間の皮膜が弾力を保ったまま硬化していることがわかった。翼竜の翼のようだ。そしてそれらすべてが朝霧のような濃密な白によって彩られていた。

「潔くいきましょう、井乃原まもる。私が倒れればもうここにはあなたに対抗する手段はないんだから」

「……そっか。ここでひとり殺したしね」

 ぎし、と音をたてそうなほど一士の表情が歪んだ。腕を組み、大仰なしぐさで井乃原はうなずいている。

「ねぇ……二盛は、さっきの車はどこにいったの?」

「さあ?」

「さ、さあ、ってあなた!」

「うるさいわねぇ、出口指定はしなかったからどこに飛んだのかわからないのよ。まったく……人死でいちいち騒がないでよね」

 なにを今さら、ということなのだろう。覚悟はしていたつもりだった。だが足りなかったようだ。一士は己の未熟さを悔いた。

「てか、あんたが出てくるの、遅すぎるのよ。あんたがもう少し早く出てくれば、死ななくてもよかった人は大勢いるのに……。まぁそれはともかく、やるの? やらないの?」

 待ち切れないといった様子の井乃原。これでは一士の憶測どおりではないか。おそらく井乃原まもるは一士と戦い、彼女を倒すことによって自らを確立しようとしている。最強のオーガナイザーという自分を。

「……いいわ、やりましょう。あなたみたいに人を殺してニコニコ笑っていられる、そんな人が〝調律者〟を名のっているなんて――私が後悔させてやるわ!」

「言うわね、では――」

 井乃原が凄絶な笑みを浮かべた。

「筑長護国連盟が盟主、〝英雄〟井乃原まもる――推して参る!」

「皇師〝天京〟守護方が一番隊、〝天眼〟柄沢一士。お相手、仕る」

 翔、という羽ばたき。空気の層を突き破るように井乃原まもるが間合いに飛び込んできた。

 得物は槍。白金の穂先が一士に迫る。

 即座に彼女は〝四つの対なる神〟を誘導。鉄の小太刀が二刀とし、一本を本手、一本を逆手に構える。

 白金の穂先が一士の身体にふれるか否か――その瞬間に彼女は身体の軸だけずらして、突進を躱す。非常にきれいな、舞踏のような足捌きであった。

 勢いそのままに一士は、打ち払う二連撃。ぶわ、と背より広がる翼竜の翼。急制止と防御をかねた井乃原の動作は、一士の小太刀を弾くだけでなく彼女の体勢をも崩す。よろける一士にその場で旋回する井乃原。急旋回で粉塵が舞い、その向こう側より火の出るような斬撃が――

 恐い。なにかも投げ出したい。このままなにもしなければ――

(こらえろ、思い出せ!)

 目をつむったら、終わる。

「アアアア――――」

 その場で一士は跳躍。逆さに吊られたような体勢から兜の付け根、その隙間に差し込むように小太刀を繰り出す――唐突に、井乃原がかき消えた。

(空間転移!)

 詞を削って放てるのか。先ほど感じた恐怖よりも鮮烈な感情が、一士の身体を席巻する。逃げ出せ、と危険に従順な身体が悲鳴をあげている。やつはどこから来るかわからない。

 一士は恐れおののく身体を叱咤した。空間転移は、対象が現出する際、ほんのわずかではあるがその地点に向けて世界が引き込まれる。一士はそのことを知っていた。あとはそれをうまく感じられるかどうか――

 着地。逆手に握っているのは右腕。一士は腰のひねりで遠心力をのせ、鉄の小太刀を後方へと振りぬいた。

 轟音。

 打ち出される井乃原の質量と一士の遠心力。その双方が一士の右腕をきしませる。衝撃に腕の感覚が消えた。

しびれる腕を抱えるように一士は前方へと飛び退き、間合いをとった。飛行できる井乃原相手に間合いをとるのは無意味かも知れない。それでも彼女が驚いているあいだなら――一士が振り向けば、そこに井乃原はいなかった。

「また!」

 叫び、すかさず後方への交差斬り。

 鎧との衝撃と火花。 

 避け切れず、脇腹に生じる焼きごてを押し当てられた感覚。苦痛をのどで圧し殺し、槍の柄を上下に切り捨てた一士は、そのまま井乃原に肩から身体を預けるように、

「――ハッ!!」

 呼気とともに、踏み込んだ。刺し込んでくる相手の勢いを利用した、体当たり。

「がっ――」

 兜の隙間から洩れ聞こえる絶息音が、ふたたびかき消えた。一士は油断なく周囲をうかがう。聞こえるのは自らの荒い吐息。そして――飛翔音。現出した井乃原は、一士の間合いの外で制止していた。

井乃原が飛行できるのは流域ヴァレリーによる空間制御のためだ。鉄晶核を仲介してこの世界に干渉し、己が思考の通りに誘導して物理法則をぶっちぎる。一士は〝天眼〟という流域に、鉄晶核の能力の大部分を食われてしまっているため、他の流域がほとんど使えない。覚える必要がないために流域に関する知識は少ないのだが、井乃原のそれについては、父ともども有名な能力であったため一士でも知っていた。

「……やるわね。体術ではあんたの方が、上みたい」

「私は負けられないから。死んでいった人達のために、これから死に逝くことが決まっている人達のために」

「でも、しょっぱなの突撃が当たらなかったのも、空間転移の死角とりが当たらなかったのも、先を見たんでしょ? やっぱ便利よね、先読み(ファストリード)できる〝天眼〟って。まぁ使いすぎて、どうなってもあたしの責任じゃあないけど」

「猊下ほど、私はまだ使っちゃないわ」

「でも、さっきからずっと髪の毛、茶色じゃない。目の色だって薄いし、初めて見たけど〝天眼〟ってやっぱ負担が大きいみたいねぇ。使いっぱなしって大変よね」

「それは、どうかしら」

「……よかった。あんたが強い人で。これで証明できる。わかってると思うけど、今までは形成者としての戦いよ。でもここからは〝調律者〟として、世界の流れを変えられる力での戦い。――覚悟はいい?」

「ええ、いいわ」

 一士はためらうことなくうなずいた。もう恐れない。迷わない。一士は三波と交わした約束を思い出したのだ。

 井乃原まもるが呼ぶ。

「出なさい、マルドゥーク!」

 間髪いれず柄沢一士が乞う。

「お願い、ティアマート!」

 天に浮かび紫電をまとう竜神と、地にそびえ大盾を構える竜神。

 フェニキア神話にその名を残す対たる〝四つの対なる神〟が、その真の姿を顕現させた――ふたりの〝調律者〟が宙へと舞う。

 そして激突した。

 ……この時、この戦争において最大級の爆発と閃光が観測され、この模様を監視していた各国の軍事衛星が膨大な情報を処理できずにもれなくクラッシュした。

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