3

 報告は終わったわけではないのだろう。だが、この沈黙を押しのけるには、気力が必要だった。三波みなみは小一時間の休息でようやく養った鋭気を、ここで使わざるを得なかった。

「……市街は?」

「断続的な戦闘は発生してるみたい。ただ井乃原まもるの退却が効いてるのかしらね、小康状態よ。確認したかぎりでは市街民の五割が、内裏内の地下シェルターに避難して、三割が〝天京〟から脱出。残り二割がその場に留まっているわ」

 この地に在住するもののほとんどが、なんらかのかたちで皇師と関わっている。その場に留まった人々はおそらく退役したものや予備役のなかでも、特に主上への信仰が篤いもの達であろう。この自治都市ではいまだに主上の〝天眼イノセンス・アイ〟を基軸とした神権政治が行われていた。そのため主上の尊称は「陛下」ではなく「猊下」なのである。

 三波はため息をのどで殺したような息を吐き、思う。

 その場にとどまった彼らは役に立たないだろう。戦力差は信仰心でどうにかできる問題ではない。数の話だけではないが、死人がこれ以上増えるだけだ。今の三波にはそれをやめさせる方法は思いつかない。だが彼女はその立場上、どうにかしなければならない。

(どうしろ、っていうのかしら……)

 現実と責任とのせめぎあいの中で三波は、さきほどは押し殺したため息を今回はついてしまった。

 はっ、として三波は顔をあげるが一士は彼女を見ておらず、あらぬ方向に視線を向けていた。見て見ぬ振りをしてくれたのだろうか。三波には判然としなかった。そして一士が判然としないのは、今に始まったことではないことに気がつき、三波は苦笑する。

 唐突に一士が顔を振り向け、三波はそれに驚いて椅子からずり落ちそうになる。一士の行動に、いつも三波は驚かさればかりだ。

「ねぇ三波……」

 恐る恐るといった調子で、一士は言葉を続けた。

「井乃原まもるはどうしてこんなことを始めたんだろうね、三波には、わかる……?」

 それは、三波に回答を求めている訊き方ではなかった。だが、それに気がついていながら三波は言葉を紡ぐ。いや紡がなければならなかった。

「井乃原まもるの動機? 一士……そんなこと今さら考えても、もう意味がないでしょう。実際、井乃原まもるは軍を率いて、侵略を始めているのだし、それを考えなければいけなかったのは、井乃原まもるが一介の形成者オーガナイザーであった時のはずで、今ではないわ」

 一士は押し黙ったまま。それを見た三波は、今度は構わずにため息をつく。感情の渦がそれで、少し整理されたように三波は感じた。

「わかったわよ、仕方ないわね。一士、あなたは結局私にこれを言わせたいんでしょう? 井乃原まもるが蜂起した一般的な理由。それは、猊下の当たらなくなった〝天眼〟にこれ以上頼る必要はない、というもの。傲慢極まりない理由よね……今まではそれに頼っていたのだから。そして次期主上たるために、あなたがいるわけだし。――でももっとひどいのが、私達が武装蜂起のためにオーガナイザーを狩っている、というものよね……」

 三波は、唐突に笑い出した。

「――ほんと、笑っちゃうわ。そんなことして強引に連れてきた人が、兵士として役に立つわけがないじゃない! 少し考えればわかりそうなことなのにどうして――どうして誰もちゃんと考えないの!? それって結局全部――井乃原まもるのプロパガンダじゃない!」

 知らず知らずのうちに三波は叫んでいた。辛かった。この世界では誰もが本当に正しいことを見つめようとしていない。たとえ見えていたとしても目をそむけるのだ。

 古くから懇意にしていた各地の守護家でさえ、井乃原まもるに感化されたのか今回の事態を静観している。いや井乃原まもるの叛乱軍が蜂起した時点で、皇師との戦力差から結果は歴然としていた。戦力比の二乗計算によれば、その差は皇師を一とした時の、二から三倍に相当するというもので、おそらく守護家はこの戦争が終わったあと、戦後処理で甘い汁をすすることを考えている。大局を見据える。それはたしかに人の上に立つ人間には、最低限のレベルで必要な素養だろう。だが、だからといってこの戦争で苦しまなければならない人々のことを、そのような立場の人間が考えずにおいてよいものなのだろうか。

 どこまで探ったとしてもただ虚偽のみを掲げ、侵略してこようとしている井乃原まもる。誰に呼ばれるでもなく自ら〝英雄〟を名のり、世論を味方につけてきた井乃原まもる。たしかに彼女の父はその二つ名――〝白竜騎師ドラグナー〟に恥じない功績を残している。それをさながら自らが行ったことのように騙る井乃原まもる。そうやってたぶらかし、数冠者を何人も引き抜いていった井乃原まもる。三波は再三再四そのことを訴え、近隣守護家や中央政府に交渉を行ってきた。だが、交渉のすべては徒労に終わっていた。それほどまでに井乃原まもるの行った情報操作は見事なものだった。そして三波はそのことをもっとも痛切に理解しなければならない。そういう立場にいた。

 三波は声を荒げたことを恥じるようにうつむき、ぼそぼそと続けた。

「結局、いくら調べても私には、井乃原まもるが私達を――いえ、猊下を悪役にしたててまで起こそうとしたこの戦争の、その意味をつかむことができなかったのよ」

「……三波、私は別にあなたをへこますつもりで訊いたわけじゃないんだけど、結果的にそうなっちゃったみたいね」

 きまり悪そうな顔で一士が三波を見つめている。その視線が三波には痛かった。結局のところ三波は自分の不甲斐なさを露呈したにすぎなかった。

 三波には最初からわかっていた。一士が井乃原まもるの動機を知っていることを。なぜなら一士も井乃原まもるも、古来より神話にその名を残す〝四つの対なるオグドアド〟――最強の鉄晶核コア群がそのひとつに選ばれたオーガナイザーだった。他者よりも強大な力を持ったもの同士にしかわからないなにかを、確実に一士と井乃原まもるは共有していた。そんなことは本来考えるまでもなく、三波にとって自明であるはずだった。それでも、たとえ自分の不甲斐なさを露呈することになったとしても、三波は言わなければならなかった。それが三波だった。

「おそらく――でも私には確信があるんだけど――井乃原まもるは力のはけ口を求めているのよ」

 三波はそう告げる一士の顔を、見ることができない。なにかに耐えるようにうつむいている。

「なまじ彼女の父親が、かりそめとはいえ、世界に平和と安寧をもたらしたから、彼女には力を示せる場所がなかったのよ。そう――たしかに彼女の父親のおかげで、オーガナイザーへの否定的な偏見が減ったわ。北米連合とシルバチノフ共和国の小競り合いから始まった、中央アメリカ紛争を彼はその能力でおさめたからね。オーガナイザーが平和の伝道者みたいなイメージを一般人に与えて、好意的な研究が盛んになったのも事実ね。半世紀前のような陰惨な私刑や科学者本位の研究は格段に減ったわ。そういった一般人との諍いからくる紛争は、ほとんど消滅したといってもいいわね」

 長広舌に疲れたのか考えをまとめるためか、一拍をおいて一士は言葉を続けた。

「だから、オーガナイザーはこの街の主を頼りにしなくても生きていけるようになった。移民の減少がそれを如実に表していたわ。このことを下敷きにして、古い体制でありながらいまだこの国に絶大な影響力を持つこの街に、井乃原まもるは目をつけたのよ。同一の体制が長く続いているだけ、裏で暗躍することも多くて、叩けば埃がいくらでも出てくるこの街を、ね。あとは適当な理由をでっち上げるかして、ことを進めた」

「ちょ、ちょっと待って! でもそれなら批判すればいいだけでしょう? なにもこんな軍事的な方法でなくても――」

「三波、それはあなたがオーガナイザーでありながら、まず議論っていう文官だからそういう発想になるのよ。井乃原まもるはあれでも、〝四つの対なる神〟に選ばれしひとりなんだから、その持て余すほど強大な力でもって、オーガナイザーは強くなければならない、っていう古くさい矜持を守ることしかできないのよ。世界を引っぱっていけるほど強かった、昔のオーガナイザーを再現しようとしているの。古いかたちの世界を取り戻そうとしているってわけ。そのための、この侵略」

「ええっと――」

 というあいだに三波は言葉をまとめ、

「つまり、井乃原まもるは強いオーガナイザーとしての自分、というアイデンティティの獲得が目的で……そのための方法がこの戦争だった、ということなの?」

「うまいこと言うじゃない、さすがは三波」

 そう言って一士は拍手してみせた。冗談ではない。三波は激怒した。

「ふざけないでそんな理由で――人を苦しめるモラトリアムなんて、そんなふざけた理由で――」

「まぁ実際は父親が残したもんが気に食わない、ってだけかもしんないけどね」

 全部憶測だし、と一士はつけ加え、部屋の入り口を振り向く。それで三波も扉の向こうに人が立っていることに気がついた。

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