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 目が覚めた。

 嫌な夢を見たのか、スーツのままで仮眠をとったのがいけなかったのか――またはその双方か三波みなみにはわからなかったが、寝起きの倦怠が重く身体を蝕んでいた。

 仮眠用のベッドから三波は身を起こし、鈍痛の残る頭を左右に振った。痛みは引き潮のようにかすんでいくが、冴えていく思考がいらぬ記憶を呼び起こす。

 三波は皇師おうしに所属している。皇師とは別に王師とも書き、その国を統べるものが親しく統率する軍隊のことである。その皇師に所属するオーガナイザーの中でも、限られたものにしかなることが許されない数冠者ナンバーズ。名前に数字を冠した彼らは、一から十まである分隊の指揮権をたずさえ、神都〝天京てんけい〟の防衛を主な任務としていた。

 だが、三波の寝ていたベッドは、彼女の執務室にだけ特別にしつらえてあるもので、他の数冠者の執務室には存在しない。それは彼女の仕事に起因している。山のように積まれ、日々増えていく書類。それらを相手に徹夜で格闘することが、彼女の仕事だからだ。記憶素子を用いれば山積みにされることもなく、シュレッダーにかけずとも簡単に再利用できるはずなのだが、戦闘報告書や作戦試案、機甲猟兵への志願書といった重要度の高いものにはいまだに紙が用いられ、三波の睡眠時間を容赦なく削っていた。

 それでも、三波はなるべく居室に帰るようにしている。部下の間で〝事務屋〟と呼ばれていようとも、彼女だって女なのだ。さすがに昨日と同じ服を着ているのははばかられる。たとえ三波が同じようなスーツしか持っていなかったとしても、である。

 もう何日、居室に帰っていないのだろうか――三波はそう考えるだけでぞっとする。

 使用する頻度がそう高かったとはいえないベッドには、いつのまにか人型のへこみができていた。それを見つけ、細い身体をさらにしぼませるようなため息をつき、机上のデジタル時計に一瞥をくれる。

 〇四二七時。一時間は寝られたか。ぼろぼろの三波を見るに見かねた部下達が、強引にこのベッドに彼女を押さえつけてから、まだ一時間そこらしか経っていない。

 押さえつけられたと同時に寝入ってしまうほど、睡眠を欲していながら深い眠りに落ちることなく、二、三時間もたたずに目が覚めてしまった。寝られない身体。断眠をくり返しているからだ。三波は思った。そのサイクルを身体が覚えてしまい、長時間寝られなくなってしまった。それもこれも三日前――そう三日前より筑長護国連盟を称する叛乱軍が〝天京〟に対する侵攻を始めたから――

「誰か!」

 枕元の通信素子に叫び、三波は自分の愚かさを呪った。

(今まで私は何をしていた? 寝ぼけているからといって現状把握が遅れる理由にはならない!)

 手元のリモコンで執務室の光量をあげ、ベッドを壁へとはめ込むと、三波は積まれた書類の横を通り抜け、机に向かう。

 同時に音もなく扉が開き、細身の男が現われた。

「ここに」

 膝をつき、こうべをたれたのは三波の部下ではなかった。彼女の部下に、女性はいない。

 洗いざらしのジーンズに、落ち着いた色のタンクトップを重ね、肩口でそろえられたセミロングの髪は明るい栗色だ。二十代も終わろうとしている三波には、とうてい真似できない服装。そして、この第一種戦闘配備の状況下で、彼女は軍服を着ていなかった。だが、三波にはそれをとがめることができない。三波は三波で軍服ではなくスーツを着ているから、ということもあるのだが、目前の女性が軍服を着ていないのは、それが数冠者に許された特権のひとつだったからだ。もっとも活動しやすい服装を峻別すべし、という服務規程がなされている。つまり三波の目の前にいる女性は、数冠者なのだ。

 三波がうんざりしたようにため息をつくと、彼女が顔をあげ、にやりと笑った。色素処理でも行なったのか、その笑った瞳がひどく透きとおって見えた。

「なにをしているの一士。 私の部下は?」

「なにって呼ばれたから。――そうそうあなたの部下は、情報管制室に詰めてて、離れられないみたいよ、みんなね」

「なぜ?」

「なぜって、あなたこそどうしちゃったのよ、そんなのあなたが居眠りしてるからに決まってるじゃない」

 さも当たり前という表情をして立ちあがりつつ、柄沢一士はそう告げた。

 現在、皇師の指揮を執っているのは、文官であるはずの〝事務屋〟柄沢三波であった。なぜなら三波のほかには、戦闘指揮を執られる数冠者がいないからだ。三波の目前の少女、柄沢一士が主上と同等か、時にそれ以上の象徴的な役割を担っているために、また「二」の数字を冠する者、椒二盛さんしょうふたもりがその一士の護衛の任に徹していることに起因していた。そのためお鉢が回ってくるようなかたちで、三波が皇師の総司令官となっていた。

 なるほどたしかに根がまじめで、ものごとに関して手を抜くということを知らない三波にはうってつけの仕事かも知れない。彼女の肩にかかる重責は半端なものではないはずなのだが、生来の生真面目さをもってそれを感じさせない働きぶりを見せていた。

 苛立っていることを相手に悟らせぬよう、三波は自制する。その苛立ちの対象が不甲斐ない自分へと向けられたものなのか、緊張感のない相手のためなのか、またはその双方なのか三波には判然としなかった。

「それも、そうね。それで現状は? 報告してくれるんでしょう?」

 口の前で両手を重ね、三波は一士をうながす。一士はひとつうなずき、

「両軍ともに膠着状態ね。七番隊の――七生ななみの犠牲で井乃原まもるが退却したから、叛乱軍は今のところ手が出せないみたい。向こうは市街の民間人には手を出すつもりはないみたいだし、とりあえず空爆は考えられないかな」

 どんなに精密であろうとも、誤爆の可能性を多分に秘めている航空機による空爆は、義勇を気どる叛乱軍――筑前と長門の護国連盟軍が用いる戦術としては、適当ではない。助けるはずの市街民を殺すことになる。本末転倒だ。もちろん皇師もそれを用いることができないため、戦局は膠着している、と一士は判断したのだろう。三波はそう理解した。

 だがこんな時にまでそうやって冷静な判断を行っている自分が、三波は恨めしかった。一士の報告にはもっと重要な言葉があったではないか。

「七生が、死んだの……」

 歌が好きな女の子だった――ひとりで歌うことをひどく嫌っていて、バカ騒ぎが大好きな一士とつるんでは、三波や他の数冠者をも巻き込んで歌っていた。強制イベントだった。音痴で歌うことが苦手な三波にとって、それは苦行以外のなにものでもなかったが、それでも逃げ出さずに彼女がつきあっていたのは、七生と一緒に歌っている時だけ下手なはずの自分の歌が少しはマシに聴こえるような、そんな気になれたからだ。七生の歌にはそう思わせる、不思議な温かみがあった。

 もうその歌声を聴くことはできないのだ――その事実に、三波は愕然とした。

「六部も消息不明MIAよ。でもまぁあいつは死なないから、放っておいても構わないわね」

 はっとするほど淡白な口調。三波が見れば、なんと一士はへらへらと笑っているではないか。たしかに一士は、昔から六部に対していい感情を抱いていなかった。それは六部の性格に起因するものであったが、だからといってその嫌悪を、この状況で露骨に示していいものなのか。

 眉をしかめ、三波は、

「不謹慎ね。――たしかに報告には感情を混ぜるものではない。でも、数冠者である以上、義理とはいえ私達は兄弟の契りを交わしているのよ。もうすこし言い方に気をつけなさい」

 皇師のオーガナイザーの中でも、さらに限られたものにしかなることが許されない数冠者。その数冠者に選抜されたものは、必ず柄沢家、もしくは椒家へと養子に入り、義兄弟の契りを交わすことになる。三波が数冠者入りを果たした時、ほかに兄弟のいなかった彼女には家族が一気に増えたように感じられた。――だが、現在、兵八へいはち九音ここね十児とうじが離反し、六部と七生が死んだ。もう残っているものも、少ない。

「……ねぇ三波。七生も六部も、椒家の人間よ。戦いに際して自分が死ぬことを覚悟してないとは思えない。それは私達、柄沢家もそう。記紀神話のころより猊下をお守りしてきた戦闘豪族。その末裔たる私達両家の人間が、そのていどのことを理解せずに戦場に出るなんてありえない、と私は思うんだけど」

 一士は一拍おき、三波の表情をうかがってから言葉を続けた。

「――でもまぁ一度も戦場に出たことない私にもあなたにも、それはわからないことなのよねぇ、実際はさ」

 三波はなにも言えず、一士もそれ以上口を開こうとはしなかった。

 ふたりが押し黙ると、じとじとした重苦しい空気が部屋を侵食していく。ここ三日、秋の入り口にしてはひどく蒸し暑い日が続いていた。初代の主上がこの地に身を寄せたことから「神の宮土」という意味の名が与えられた、神都〝天京〟。戦闘の興奮を多分に内包した空気がこの神聖な地を徐々に、だが確実に侵し始めていた。いまだ終息の果てが見えぬまま、市街地では凄惨な戦闘が行われているのだ。この吐き気をもよおすような暑さの理由を、どうしてもこのいわれなき侵略に帰結したがっている。

 沈黙の中、三波はそのことを自覚した。

 じっとりとのしかかってくる重みは膨張をくり返し、密度を増して、押し黙ったふたりを圧迫していく。部屋がいつのまにかせまくなっていた。

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